「発達障害」が好きじゃない
発達障害とは?メディカルノートによると
発達障害とは、生まれつきの脳の障害のために言葉の発達が遅い、対人関係をうまく築くことができない、特定分野の勉学が極端に苦手、落ち着きがない、集団生活が苦手、といった症状が現れる精神障害の総称です。
症状の現れ方は発達障害のタイプによって大きく異なり、自閉症スペクトラム障害、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、学習障害、などさまざまな障害が含まれます。幼少期または学童期から症状が現れますが“変わり者”“怠け者”という誤った認識がなされ、見過ごされているケースも多いと考えられています。社会人になってから、不注意やミスが多いといった症状が目立つようになり初めて診断が下されるケースも少なくありません。
発達障害による症状は薬物療法などである程度抑えることができるものもありますが、根本的な治療法はない症状が多いのが現状です。発達障害を抱える当事者はさまざまな場面で「生きにくさ」を感じているとされており、将来的に症状とうまく付き合いながら日常生活を送っていくには早期の段階で生活訓練などの療育を始めることがすすめられています。
だそうです。治療は?というと
治療
発達障害は、現在の医学では根本的な完治が見込める障害ではありません。
しかし、それぞれの症状を改善するための薬物療法を行うことがあります。具体的には、脳のはたらきを活性化させることでADHD症状を治療する精神刺激薬などが用いられます。また、併発した不眠症に対する睡眠薬、うつ症状に対する抗うつ薬なども用いられることがあります。
一方で、発達障害は症状とうまく付き合いながら、できるだけ円滑な社会生活を送るスキルを習得することが大切です。そのためには、幼少期から自身の症状をカバーするような日常生活の習慣を身に付ける「療育」を行うことがすすめられています。
ということで、ここにはありませんが、「療育」という形で社会に馴染むような環境を整える+お薬が現時点でのベストショット。
ここでタイトル回収なんですけど、僕は「発達障害」が嫌。
功罪で言えば罪が大きいと思う。
僕の友人はかなり重度のADHDだが、一昨年マザーズに会社を上場させた。というか、創業者たちはほぼ皆、発達障害だと思う。
僕らが幼い頃は発達障害の概念も現在とはまるで違い、単に「変わったやつ」で終わってた。起こりっぽいけど優しいとこもあったり。とても繊細な感性を持っていて驚かされたり。
何でもカテゴライズしないといけないのかね?と思う次第であるわけです。カテゴライズはすると儲かる人達の方が多いので社会構造としては「カテゴライズしたいよね!」って話になります。そこには「人として〜」「人権〜」「平等に〜」という看板を掲げて稼ぎたい人達も垣間見えます。
うちも次男が結構「気味」です。親としては大変な時もそりゃありますよ。将来ももちろん心配。
でも、「治療」できるものとできないものがあり、できないものはする必要ないんしゃないの?そもそもそんな診断いらねーよ。と思ってます。
診断されて気が楽になる人もいる
って話も聞きますが、それって全体の何%なんですかね?って思います。マイノリティをマジョリティにしたい人達が騒いでるだけじゃないのか?と。
1番大事なことは、イッチバン大切なことは、「診断」を得て「ポジティブ」になるかならんか?だと思うのです。
僕の周りには発達障害の人間が多いんですが、そんなの気にせず事業に邁進してます。一方で、37歳の時に発達障害と診断されて、それまでは普通に付き合いあったやつが、それ以降は何かにつけて「俺は
発達障害だから」と無気力になったやつもいます。
昔が良かったわけではないでしょうけど、この点に関しては色んななやつがいて、それもまた「人それぞれだ」とされていた方が寛容だったのではと思います。
治療しても治らない個性の分類の人間(僕は色んな国で色んな人と会ってきてるので普通の概念が多分広いです)が、発達障害とされて「発達障害の人も普通の暮らしを!」とかやってるみると「え?何?不必要な人までカテゴライズして何もなかったようなとこに煙をたてて火事場泥棒的なことしてもっともらしい顔してんの気持ち悪いんだけど」と感じることもあります。
治療必要な人も「もちろん」いますよ。それはしたらいいんですよ。
本人と近しい人がより幸せな感じになりゃなんでもいいんです。
もっかい言います。発達障害としてカテゴライズしていいのは本人がポジティブになれる時だと思います。
保育現場で、発達障害っぽい子も結構いますよ。でもね、子どもは皆落ち着きないし、話聞かないですよ。だって日々見たことないことを目の当たりして大忙しですから。
嫌なのは保育士さんでもカテゴライズしたがる人やジャッジしたがる人がいて、「だから私は大変!」をアピールする人がそれなりにいること。
いやいや、たかが1〜5歳ですよ…どんな可能性が1人1人の子に眠っていることか!!
世界の偉人たちの大半は現役時代は変人かバカ扱いですよ。
子どもらをそんなヘンテコな自己承認欲求に使って欲しくない!そして、わけわからん人権派のネタにもしてほしくない!そしてそこに利権をつくって金稼ぎしたい医師や行政であって欲しくない!
そんな人たちはもう一度、子どもたちの目を見てほしい。あなた方を目の当たりにした「不安な目」じゃなくて、見たことない虫を見つけた時や葉っぱをいじくってる時の目を見て!
あれだけ美しいものはない。子どもらにはあらゆる希望が詰まってる。それは将来の可能性であり、親御さんたちの祈りだったり愛情だったりする。
世界はまだまだ広い!どんな個性でも超普通受け入れてくれる。本当の多様性とは「違うよね」を明確にすることじゃない。違いを無いことのように扱うことでもない。
あ、君はそうなんだ。いいんじゃない?
が多様性。違いが普通に在ることが多様性だ。日本はその多様性に対する許容値が低い。島国だから。
いいじゃんか。箸の使い方が下手だって。スプーンもあるんだよ。世の中には。色がなんだ。違ってるから色彩に満ちてるわけだ。
言葉が下手だって笑顔の意味も泣顔の意味もわかるじゃねーか。悲しい泣き声は人間だけじゃなく、犬猫ですら同じだ。
話を聞かない、注意力散漫とか、「お前の」方向ばかりから見るなよ。全て表裏一体、その狭い視野じゃ見えてない素敵な面だってあるよ。確実に。
オーティズム自閉症のパパママ。寂しいと思う。反応わかりにくいし、パパママとも呼んでもらえない。でもno one plasticで、20歳になって初めて呼んでもらえることもある。愛はどんなに幼くとも伝わる。生きている以上は。
勝手にわけわからんカテゴリーを増やして勝手にハメるな。生きづらくすんな。人と違っていいじゃないか!
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