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50歳の子育て。日が暮れてから日が暮れると実感してしまう。

アローハ🏝️マブーハイ

50歳でも2歳半の末っ子を育てさせていただけてることにまずもってありがとう!

上から9歳(俺似)7歳(嫁激似)と末っ子の男の子三兄弟。中々のウザさではある。

ふとスポッと時間が出来た時に若かりし頃と時間の感じ方か大きく違うことに気がつく。というか実感する機会が増えた。

日中は1日に終わりが来ることなど考えもせずに働いたり、遊んだり…まるで時間が無限にあるかのように呼吸をする。

やがて夕暮れがいつの間にか訪れたた時に深呼吸をする。意識もしなかった呼吸が何となく有限に感じる時間だ。

あぁ、、、そういうことか。と。

時の流れが一定であるとするとその流れ、スピードに負けないくらい、何なら追い越す勢いで走り回る。そんな時は流れを感じない。

でも、走り続けてふと一息ついてところで夕暮れは訪れ、時間の経過を感じる。

歩む速度を少し下げると時の流れの方が速くて何となく何かだったり誰かに取り残された感じになる。

それが50代。アラフィフかなと思う。

そこで焦らずに、ゆっくり周りを見渡していると子どもの成長を感じるゆとりができたり、子どもが1センチ伸びる代わりにシワが1つ増えることに知る。

以前とは違うペースで歩き始めた時に何かを取り戻すようにモノを買ってみたり、少し贅沢な時間の過ごし方をしてみたりするがどこか虚しさは残る。

こんな時に変な女に引っかかってみたりして大変なんだろうな…と思ってみたりする。

新鮮なものを入れたくなる心理はわかる。でも僕はそっちじゃない。新しいことを習ってみたり、トライしてみることで健全にハリのある生活を過ごせる。

家庭の幸福度が高くなければ他がどれだけ凄くとも幸せにはならない。

様々な団体の理事会的なものに参加してると不幸せそう…というか、変な大人たちを沢山見かける。関わりたくねーな。と。

僕は付き合う人は選ぶ。選ばずに選んでもらうとかもわかるけど、やはり選ぶ。

我々にとって1番貴重なのは時間であって、時間は誰と過ごすのか?で大きく変わることを我々はしっているからだ。そして、素敵な人と過ごす時間に勝る充足感はないことも知ってるはずだ。

夕暮れも結構美しくてひとときの取り残され感を甘受するのも悪くない。

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