子どもの頃、わからなかった懐メロがわかるようになってきた話
パパ友自宅のリノベ現場をチェックした後、土地を見に移動。不動産の仕事は久しぶりに感じた。材料費を聞いて思ってたより高くなっており、中々大変なもんだと思った。今までの大家さんじゃ枠キツい。
夕暮れに自宅に戻り、各方面と打ち合わせしてたら夕食に。
昭和の歌特集番組をみた。
子どもの頃、大人が「ナツメロ」というものを見て眩しそうな顔をしていて(僕にはわからないけどそういう感じがあるんだなぁ)ということを知った。
今見てみるととても新鮮で、子どもや若い頃に何も考えずに歌ってた歌がまるで違う歌詞に見えてきて「こんな歌だったのか…」と感じる。
同じものでも見る側が変わると別物なんだ。。とここでも念押しされた気分になった。
歌はスゴイ。匂いもスゴイけど、その時に一瞬で連れてゆかれる。
「ここに俺は確実に居たんだ」
という過去の事実を自分に聞かせることで輪郭がボヤけた「何か」の縁取りを上書きするような気分になった。
あの時、若い自分は確かにその時代にいて、その時をライブで生きていた。
この歌をほのかな憧れ混じりで聴いていた時もあるし、希望を持って聴いていた時もあるし、すがるような気持ちで聴いていた時もあって「いつかきっと!」という漠然とした気持ちでいた記憶がある。
いつかのために特別なことは何もせず、その時が来れば何かは輪郭をもって降ってくる気分さえあった。
ナツメロってやつがほんの数時間強制的にあの頃の匂いを吹きつけてくる。ただ、数時間ならそんな気分もたまには人生の滋味になって、何かを発する前に一呼吸するゆとりになってくれるような気がする。
多分、子どもたちはそんな父を見ながら僕の幼いころと同じ感想を持ったかもしれない。