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何もない人生もいい
東急東横線に乗りながら車窓から建物百景を眺めていたらふと、思った。
僕の家には何でもある。ロボ掃除機も2体いるし、ダイソンやらドラムくんやら、ミーレくんまでいるし、お家もでかい。
子どもだって3人の男の子に恵まれ、資産もそれなりにあり、僕の代は逃げ切り確定だ。傍目には結構充実レベルは高いと自覚している。
どうだ!?スゴイだろ?
と言いたいわけではなく。事実だ。無いと欲しいけど、普通になると何もないように感じる。
若かりし頃、新入社員で手取り16万だった頃。月に5万の自由に使えるお小遣いが欲しいと思ってた頃。
世界的に見れば裕福なのかもしれないが、僕的には何もなかった。
だから
いつか手にしてやろう。そこに行ってやろう。
と漠然と思ってた。
特に何もせずに。
あの頃の漠然とした熱の代わりに秋風のようなものがある。
若い頃→熱量で満ちた心はあるが金もモノもない。
アラフィフ→金もモノもある程度あるが熱量は低い。
東南アジアが何だかんだで好きで、どローカルの連中と絡んでいるとあの生々しいライブ感というか、生臭い生命力を感じる。いつかの自分が持ってたような。
勤労学生の頃、バイトの給料日まで残り2週間で2000円。貯金は数万円。タイ米+徳用ウインナーにたっぷり塩をまぶして量を満腹感を確保する生活。
何かに飢えていると活力になる。
ヒマだと悩む。必死だと悩まない。
たまに思う。あぁいったのも悪くなかったな。と。今は持たない熱量が恋しいだけかもしれないし、そもそも、あの熱量があったから今のとこまでは来れた。
でも生きる熱量の方が結局のところはプライオリティじゃねーのかな?と。
だけど、今でも歩くのは厭わないし、必要なら何処へでもいくし、必要ならやる。頻度が下がってるだけだが、こうして人生への情熱が失われるのかもしれない。
でもまだまだ夕焼け前。まだまだ歩ける。
そして、結構追い込むレベルの運動は不可欠。あれをやると活力が圧倒的に違う。
食い過ぎもダメ。一気に活力なくなって眠くなる。
アラフィフの同志よ。まだまだですよ。