心地良いナンパをしてきた、あのダンディーなスイス人
世界各国に暮らす物書き仲間で、リレーエッセイをやっています。
その名も『日本にいないエッセイストクラブ』。
イタリアに拠点を置くスズキケイさんよりバトンを受け継ぎ、
スイス在住・アリサが第2周目のリレーお題
「忘れられない人」の内容でお届けします。
文末に、前回走者と次回走者の紹介があります。
また過去のラインナップは、随時まとめてあるマガジンをご覧ください。
ナンパはなぜ鬱陶しいのか。
ふと新書化されたブログのタイトルみたいなことを考えた。というのも、街中で知らない人に声かけられても付いて行ったことがないし、ナンパ師の話術力の低さに萎々としてしまうからだ。「ねぇ、これからどこに行くの?!飲みに行かない?!」とか「君、可愛いんですけど!」って言われても、同じテンションで「あんたとは飲みに行かないよ!」と突き返したくなってしまう。そう言ったら、見知らぬ可愛い子の連絡先をゲットできると思っているのだろうか。このような軽い口調で人々と繋がることができたら、パートナーを切実と探している人たちの悩み事は一発で解決してしまうことだろう。そう簡単には人の心を掴めないことは容易にお分かりだ。
そう考えたとき、スイスでナンパしてきた人の話ぶりが良い反例であることを思い出した。
振り返ること2019年10月。ドイツ語学校を卒業し、チューリッヒ市内の小さなビビンバ屋でアルバイトをはじめた時期だったが、異文化に順応できない不安とストレスで、市内のカウンセリングに通っていた時期でもあった。
バイト上がりは14時、カウンセリングは16時から。空いた2時間で、わたしはよく夕食の残り物を弁当箱に詰め、街中のベンチで昼食をとっていた。太陽燦々のヨセフ公園でココナッツカレー。ランデス美術館裏の公園、リマット川を眺めながら野菜たっぷりのマカロニグラタン。場所はその日の気分におまかせ。カウンセリング中お腹が鳴って恥をかかないよう、古今東西な献立をせっせと頬張った。
とある日、チューリッヒは終日雨予報だった。マッチ売りの少女のように、冷たい雨粒に打たれながらお昼ご飯を食すわけにはいかない。わたしの気分は、リマット・プラッツにある大型スーパー内のラウンジにあるベンチへと誘った。
本日の献立は残り物の焼きそば。湿った生暖かい空気の中、腰を下ろしては膝に風呂敷を広げ、冷めた焼きそばを突く。もちろん、持参したマイ・箸で。うん、ちょっとベタついているけどまだ美味しい。昔、「公共の場で食べるのって、品がないよね」と日本の友達たちが話していたが、腹が減っていたらそんなのお構いなし。そう多くの人たちが行き交う時間帯じゃないし、人目を気にしていたら外では何も食べられなくなってしまう。
ついでだから、昼食後はラウンジ下階のスーパーで買い物をすることにした。パスタ好きの夫のリクエストに応えて、今晩はジェノベーゼソースのパスタを作るとしようーーそう決め、マカロニが並ぶ棚に足をむけていたところ、向かいから通り過ぎようとした人に予期なく話しかけられた。
「すみません。先ほどベンチでお箸を使っていた方ですか?」
その声の持ち主は、物腰の柔らかい男性。見た目を一言で表すと「ワイルド」で、黒レザージャケットにラフなジーンズを着こなしていた彼の年齢は40歳半ばくらい。白髪が混ざったグレーの長髪をポニーテールに束ね、健康的に焼けた肌と、重なる目元のシワに囲まれた緑色の瞳が印象的。背はそれほど高くはないが、引き締まった身体と、溢れ出る控えめな自信が、一目見ただけで好印象を与えてくれた。
丁寧な口調。ダンディーすぎるイケメン。何とも心地が良い。
あっという間に、今までのナンパランキングで堂々の1位を獲得したことを、彼は知る由もしない。
「はい、そうですが……」と渋々答えると、彼の顔はパッと明るくなる。
「そうですか! 出身は中国ですか?」
アジア人に対して、「どこ出身ですか?」と聞くよりも「あなたは中国人ですか?」と聞く傾向があるのがナイーブなスイス人ならではのあるある。彼らの目には、東アジア人はみな中国から来ていると思うらしい。とんちんかんな決めつけと「アジア人はみんな一緒に見える」という固定概念に何度と鬱々としたかは数えきれない。
でも彼の控えめな態度の甲斐あって、わたしはよろめくなく、日本人ですと訂正した。
「そうですか、これは失礼」と一言挟んだあと、彼は紳士にも自己紹介を始める。名前、この近所に住んでいること、職業がドキュメンタリー映画監督であること、そして撮影で3ヶ月間中国に滞在していたということ。しかも帰国したのがその日の午前で、空っぽになっている冷蔵庫を補充するためにスーパーに来たのだという。
「中国にいると、白人の僕はどうしても目立ってしまってね。毎日アウトサイダーな気持ちだったけど、初めての中国はエキサイティングだったよ。それで今日、スイスに帰ってきて、見た目から馴染む母国に戻ってきたと実感した矢先、あなたを見かけてね。ちょっと中国に帰った気分になってうれしくなってしまいました。 僕も慣れないお箸を毎日使っていたよ!」
10歳の男の子がクリスマスプレゼントをもらうかのように、目を輝かせながら中国での経験を語る彼。まずい、彼の端正な出で立ちはどうも魅力的すぎる。かつコミカルで面白い。庶民的なスーパーでドキュメンタリー映画監督と遭遇することはそうそうない上、その人の目に留まるなんて、ちょっと小っ恥ずかしくなってしまう。
それでもわたしは愛する夫がいるので、「なぜスイスにいるの?」と聞かれても、「夫がスイス人なので」と防御線を張る。そうなんだ! と動じない彼は、「日本でもお箸を使うの?」「日本行ってみたいんだよね!」「中国行ったことがないなら、一度行ってみるといいよ!」と、次々と会話を広げようとする。気がつけば、大きなスーパーど真ん中で、まるでばったり遭遇した友達と立ち話をするように、わたしたちは10分強話し込んでいた。
ここまで来ると、何事もなかったように立ち去り、「今日あった良いこと」のひとつとして留めておくか、連絡先を聞くあるいは「時間があったらこのままお茶をしませんか」のお誘いをしてくるのが妥当だろう。
だが彼は、わたしが働いているお店の場所とその名前を聞くだけだった。下心はないが、律儀に興味を示してくれているような、100点満点の質問。
お店の名前を伝えると、じゃあ今度行ってみるね!と言って、さようならをした。
・・・・・・
それから何日経ったのだろうか。詳しくは正直覚えていないが、おそらく2週間経った頃だろう。ナンパされたことはとっくの昔のことのように思えるほど、浮つく心とともに、時間は遠くへと過ぎていた。
働いていたレストランのランチの時間帯は、いつも同僚と2人で回していた。一人はレジ担当、もう一人は仕込み担当という役割分担が主で、13時を過ぎればお客さんもまばらになり始めるから苦ではない。14時の閉店にむけて、少しずつ片付けを始める最後の1時間でもある。
しかしこの日、Wi-Fiの接続が突然悪くなったせいで、一台しかないレジの操作ができなくなってしまったのだ。お客さんを待たせる始末になってしまい、一人、また一人とお客さんが来店しては5人ほど店内に並ぶ。「迅速な対応」が命のジャパニーズ・おもてなし精神に焦りがあらわれ、どうにかして端末の調子を整えなければと、わたしは同僚の足元でしゃがみこんで端末をいじくっていた。
それでも笑顔とあいさつは忘れない。お客さんが来店すると反射神経が働いて、立ち上がって「いらっしゃいませ」と言ってはそのまましゃがみ込む。まるでプレイヤーを焦らす素早いもぐらたたきのもぐらのように、わたしは全身でアップダウンを繰り返していた。本当に礼儀正しい態度かは定かではない。
立ち上がったその一瞬、まさかであった。
あのラフなポニーテール。あの焼けた肌。
5人ほど並んでいた最後尾に、スーパーで話しかけてきたあの彼が見える。
まさかではあるまい、わたしが働いているお店に立ち寄ってくれたではないか!
どうしようどうしよう。何を話したらいいのだろう。
「本当に来てくれたんですね」って言ったら妙にしめっぽい?
「あら久しぶり」って言ったら馴れ馴れしい?
気になるあの人とパーティで遭遇して赤面するラブコメの主人公のように、立ち上がったその1秒であたふためく。ひええっといった心情だ。そういう境地に行き着くと、とっさに起こす行動は、再度しゃがみ込んで身を隠すことだった。我ながらみっともない。
最後尾にいる人は、あの魅力的すぎる出で立ちのドキュメンタリー映画監督であることは間違いないのだが、ここは、引き続きWi-Fiの修理に専念するべき?
それとも、もう一度すばやく立ち上がって満面の笑みをこぼすべき?
ドキドキが速まるとちどろもどろになるなんて、自分でも驚くほどの心理状況だ。繰り返すが、我ながらみっともない。それにWi-Fiはとっくに復活している。しゃがみ込んでいる口実として言えるのは、この時点では腹痛だけだ。ガスが溜まりやすい腸内環境とは裏腹に、この日はすこぶる腹の調子が万全だった。
でも、スーパーで10分強も話しておいて、いざ来店したら「いらっしゃいませ」で済まされてしまう彼の気持ちを考えたら、それは虚しいの一言であろう。顔見知りの、友達のサークルの先輩と構内ですれ違っても無視されるようなあの虚しさは結構な打撃だ。「人にされて嫌なことを、人にしてはいけない」という母からの教訓はどこへ行ってしまったのやら。だめだ、ここは堂々と運命の再会を分かち合うべきだ!
そう意を決して立ち上がると、儚くも彼の姿はもうなかった。
儚くもと言っても、結構な拍子抜けである。しゃがみ込んでいた数秒間、脳みそ内でああだこうだと議論した意味は何だったんだろうか。三度目の、我ながらみっともない。
きっと、人違いだと思ったのだろう。それとも、店を間違えたと思ったのだろうか。この時点では、彼がどういう経緯でお店を後にしたのかは、予測することしかできない。
彼は何も注文することもなく、わたしに話しかけることもなく立ち去ってしまったのだ。
それ以来、わたしは二度と彼を見ることはなかった。
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胡散臭いハリウッドのラブストーリーのように綴っているが、わたしは現夫を愛しているから、心が揺すられることはない。むしろ下手に連絡先を交換していたら、夫に怪しまれるくらいだっただろう。そんな切ないラブストーリーが、泥沼な昼ドラに転身させたいとは滅相もない。結果オーライだ。
とはいえもう2年前の話だから、残念ながら彼の顔はもう覚えていない。名前も覚えていないし、わたしも働いていたレストランをすでに後にしているから、彼と再会する術はすべて絶たれてしまった。無念ではあるが、彼はお箸をみるたびにわたしのことを思い出してくれているといいなと、妙な下心が踊る。お互いのことに気づかず、きっとこの小さな街・チューリッヒですれ違っているかもしれない。
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前回走者、イタリアのスズキケイさんの記事はこちらです。
自分の知人の中で、一人くらいはおっちょこちょいな性格の持ち主がいることでしょう。
スズキケイさんの場合、それは屋根の下を共にしたルームメイト。おっちょこちょい度はイタリア級で、適当さでいったら高田純次に負けないほどのよう。忘れたくても忘れられない、しつこく脳裏にこびりつくルームメイトの絶対的な存在感と言動に思わず笑ってしまいました。失礼ですが、わたしはこんな人とはアパートを共有できません。淡々と、しかし的確であるスズキさん夫婦のツッコミも見所です。
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次回走者かつ第2周最終走者、チューリッヒからぐぐんと北上したベルリンに住むベルリン酒場探検隊が、第1回目(テーマは「はじめての」)に書かれた記事はこちら。
わたしがはじめてベルリンを訪れた際、驚愕したことのひとつが「午前8時、開けたバーでビールを嗜む男性4人の姿」でした。それ以来、「ベルリン=呑んべえが24時間有頂天になれるパラダイス」という方程式は更新されずにいます。
名前の通りお酒好きのベルリン酒場探検隊にとって、はじめてのロックダウンは悲報としか言えなかったことでしょう。まさに失楽園です。
そんなベルリン酒場探検隊が、市内で営業停止直前の酒場を訪れた様子を端正に綴っています。大好きなものを取り上げられてしまうのは苦痛ですが、頭を下げず、前向きな想いが込められているのが印象的。2週間ほど前に投稿された営業再開の記事も併せて一読してみてください。