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「べき」と「普通」の呪いを溶かしていく。


今年は、「べき」と「普通」の呪いを溶かしていく年にしようと思う。

「普通」に則った「〜するべき」

それは一見統一されているように見えて実は人の数だけあるものだから、そんなものに価値観を置いて目標にしていたらいつまでも答えに辿り着かないし、辿り着いた気になってもすぐに違う価値観が出てきてまたそこに辿り着くまで必死に頑張らなければならない。結果、気がおかしくなる。

「べき」に従った直後はなんとなく安心し、それはそれで甘美な果実のようでわりと次から次へと貪ってしまう。
でもいつまでもゴールが見えず、振り向くと空虚な道筋を辿ってきた事が丸わかりでゾッとする。

なんとなくわかっていたのに、言語化できていなかった為うっかりそこに落ち込んで、ここ何年か長いことおかしなことになっていた。

「普通」に囚われていた為に、自分が何を好きなのか、何をしたいのかがわからなくなった。

最初に直感で試したのが、自分がそれを思った時に笑うかどうか。

何かしようかな、と考えた時に、自分がニコッと笑ったら、実行する。

なんとなく、自分の中の怒っている子供が柔らかくなっていく気がした。

次に試したのが、日々の記録をつける事。

以前は自分の中に鬼マネージャーがいて、「とにかく働け!身を粉にして!」と張り切っていたのだが、もうそいつには従えない。

ライフログをつけて、自分が無理な予定を立てないように、豊かに時間を使えるように、調整ができるように、少しずつだけど、そっち側になってきた。

キーワードは、「べき」と「普通」。

結構たくさん、言葉でこれらの価値観が頭に埋め込まれている事に気がついたので、言葉で呪いを溶かしていく。

何か苦しい気がして、これらに囚われている事に気がついたら、その都度少し、気を緩めて、「自分が本当は何がしたいのか、何が好きなのか」に戻っていく。

結構、こちらを選んだ直後は苦しい。
他者の承認を期待できないから。
だから、誰にも見せない日記を書く。
本当の自由は、そこで育んでいこうと思う。

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