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私だけの場所
少し前に70cm角ほどの小さい机を買った。
ある日オットに何の気なしに「小さい机がほしいなぁ」と呟いたところ、なぜか彼の方が大盛り上がり。
私はすっきり広々とした空間が好きだから、ぶち抜きワンルームの狭い我が家にも必要なもの以外は置かずにやってきた。
それに本とヘッドフォンがあれば自分の世界に入り込める。気安いオットとの二人暮らしで、自分だけのスペースが欲しいと思ったことはなかった。
だから自分で言い出したくせに「いや別にそこまで欲しいわけちゃうねん。狭くなるしええわ。」と渋った。
そんな私にオットは、自分だけの場所があることの重要性を熱弁した(謎)。
私はぐずぐずと「じゃあ…まぁいいものが見つかればそのうちね…」と返事した。
後日、なんと私がある程度話していた理想のデザインやサイズを元にオットが勝手に買ってしまい、突然机がやってきた。
なんで勝手に!とちらりと思ったが、そんなこと吹き飛ぶほど一瞬で気に入った!(デザインも)
妙に集中できて、ぐんぐん読書が捗る。
読書や編み物、ぼんやり音楽を聴いたり、家にいる時間の大半はそこにいる。
何しよっかなーと考えながらとりあえず机に行くようになり、毎日の楽しさが7割増になった。
引き出しも何もついていない平凡な机が、こんなにも気分を変えることに驚いた。
そんな今一番お気に入りのスペースで読んだ村岡花子の戦後すぐのエッセイに、女性が個人の場所を持つことの重要性が書かれていた。
個人の場所を得る機会が少なかった日本人女性の思想内容はいつしか貧しくなった、それでは批判も議論も討論もできない、個人の場所を持つことは考える時間と個人の考えを持つために大切なことだ、というような内容だった。
家があるだけありがたいというような社会の中で彼女が未来を生きる女性たちに望んだことを、長い時を経ていま私は叶えている。だとすれば、停滞しているように感じられる今この時代も着実に理想に向かって時を刻んでいる、そう信じられるような気がした。
ちなみに大盛り上がりしたオット、普段から私が私自身について決めたことには一切口出しはしないし何かを勧めてきたりもしない。そんな彼がなぜ強く勧めてきたのか。
村岡花子と同じような思いで勧めてくれたのだったらいいなと思った。(後日要事情聴取)