昔の話⑪

なぜかフイに思い出したので小学生の時の話。

僕の通ってた小学校では五年生になると委員会活動をやらされるんですが、僕はなんとなく楽しそうだからという理由で放送委員に入りました。

そしたらこれが楽しかった。

僕の通ってた小学校ではいつもお昼の給食の時間になると校内に放送が流れ、いろんなお知らせとかリクエストのあった楽曲を流したりとか、ちょっとしたラジオ風のことをやってました。

その他にもたまにテレビ番組風のことをやったりとか、放課後に最終下校時間を知らせる放送を流したりしてたのですが、何が楽しかったってほぼ全部児童である僕達にやらせて貰ってたってところ。放送室にある機材を当たり前のように10〜12歳の子供が触ってました。

寛大な小学校だったんだと思います。

僕も機材を操作して音楽を流したり、自分でアナウンスしたり、どんな放送をするか企画したりしてました。それが楽しかった。

楽しすぎて積極的に活動しまくってたので、気がつけば委員会の中で一番機材に詳しくなってました。一番機材を扱えるようになってました。

五年生から六年生に上がる時、そのまま放送委員を続けようと思っていたのですが、とある理由で続けられず、結果その後中学や高校では放送委員をやることはありませんでした。

なんか流れで離れてしまったので忘れかけていたのですが、というか忘れてたのですが、放送委員をやってた当時の僕はかなりそっちの仕事に興味があって、なにか放送系の仕事に就きたいくらい思ってた記憶がうっすらあったなって。

放送業界の裏方に対しても興味があったし、あとナレーターにも憧れがあった。お昼の放送のアナウンスとかやって、自分の喋ってることが人に聞かれてるってのがなんとなく気持ちよかったんだと思う。

この感覚って結構大事なモンの筈なのに、なんで忘れてしまってたのかってことを凄く考えた。そして忘れてたことを後悔してる。

途中で他のことに興味が移ったってのも理由としては少しあるかもだけど、にしては後悔の感情が強い。

その“後悔”がポイントなんだなってわかって、原因がわかった。

それは放送委員を続けられなかった理由にあったんだと。

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ちょっと長くなりそうなので、一旦区切ります。

続きは明日。

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エイプリル
読んでいただいてありがとうございました。退屈しのぎにでもなっていれば幸いです。