昔の話⑭

最近小学校の頃の記憶がワラワラ出てくる。

小学校の卒業式の話します。

小学六年の時の担任がものすごく嫌いで、反吐が出るほど嫌いで、とにかく嫌いだったんです。

だったと言うか、今でも嫌いで、二度と会いたくねぇなと思っています。

何が嫌だったかってとにかく偽善的だった。当時はその言葉を知らなかったけど、今ならハッキリ言える。アレは“偽善”だった。

当時毎日憎しみを抱いてた。

で、卒業式ですよ。

式本番の卒業証書授与で1回校長から1人ずつ卒業証書渡して貰うじゃないですか、そのあとなんかわかんないんですけどまた卒業証書回収されて、式が終わった後改めて教室で担任からもっかい渡されるっていう謎の二度手間システムがウチの小学校ではあったんですね。

んで、メンドくせぇなと思いながらも2回目の証書授与が始まったわけですよ。

したら担任のヤツが証書渡した後に1人1人握手してて、なんかそれが気持ち悪いなと思って。

それにそこで握手しちゃうとなんか和解したみたいな空気が出ちゃうなと思って、僕の大嫌いな『終わりよければ全てよし』になっちゃうなって思って。

なので僕、自分の番になった時、証書だけふんだくって握手は無視して足早に席に戻ったんですね。

もちろん変な空気になりました。教室には保護者もいましたから。卒業式ですから。

担任のヤツも内心腹立ってたとは思います。だけど状況的に怒るわけにはいかなかったのでしょう。卒業式だし。保護者いるし。

自分の行動でその場が変な空気になったことを確認し、僕は心の中で「ざまあみろカスが」とほくそ笑んでいました。もうガッツポーズでした。

人間が小さいですね。

最後の最後にそんなことすんなよとお思いでしょうが、最後だからこそやる意味があると思うのです。最後にやるから印象が強く残るのです。

しかしまあ、今思い出しても当時の自分よくやったなと思います。場の空気に流されず、自分の考え、自分の判断で勇気を持って行動したなと褒めてやりたい。流されるとロクなことにならないという教訓をしっかり活かしてる。

あと人間が小さい。

1個だけ申し訳ないなと思ってるのが、母親に恥をかかせちゃったなってこと。

保護者が教室にいたってことは、もちろん自分の母ちゃんもいたってこと。さぞかし恥ずかしかったことでしょう。なかなかの親不孝だったと思います。

後日他の保護者からだいぶイジられたみたいです。本当に申し訳ない。

まあでも自分が産んで自分が育てた子供ですからね。自業自得みたいなところありますよね。

色々思い出してわかったのが、自分という人間の本質が子供の頃からあんまり変わってないってこと。子供の頃にボンヤリとしか理解してなかったことを今になって理解したり、なんて言ったらいいかわからなかった感情の正体を最近になって突き止めたりしてるだけだってこと。

12歳ともなると人格ってもうある程度確率されてきてるんですね。子供ナメたらダメですね。おもしろいなぁ。

いやしかし、改めて思い知りました。

なんで自分は人間が小さいんだろう。

読んでいただいてありがとうございました。退屈しのぎにでもなっていれば幸いです。