ブラタモリ日記その39 「白の奇跡 秋吉台 #251」 (2023.10.21)
今回のブラタモリは秋吉台。山口県の真ん中に広がる日本最大級のカルスト台地だそう。もともとは3億5千万年前のサンゴ礁がプレートに乗って移動してきて、その後、隆起したものだという。
3億5千万年前……言葉にすれば簡単だが、実際どんな時代だったのだろう。そこでサクッと調べてみると、恐竜時代よりさらにさかのぼって、カルー氷河時代という氷河期のようだ。
南アフリカのカルー地方で、その年代の氷の塊の層が見つかったことからカルー氷河時代という。ひぃ〜ッ、氷河期って南アフリカまで凍っちゃうのかい。そして多くの生物が絶滅したという。そりゃ絶滅するわ。
そんな時代のサンゴ礁が石灰岩となって、こんにちは~っとばかりに地中から顔を出したのがカルスト台地だという。なるほどッ。
その秋吉台。タモリさんが歩いた今回のように、草がボウボウ生えてる時期は普通に見れるが、草が少ない、もしくはまったくない時期の秋吉台って……言っちゃ悪いが、イボイボに見えるんだな。
そしてこちらがイボイボ。
まだ草が生え始めの春先かな?
いや、おそらく……おそらくはだよ。生で見れば壮観で素晴らしい景色なのだろう。うん、そう信じたい。ただ画像で見ると……このイボイボ観が、なんとも言えないんだな。首すじや背中がかゆくなるような。
そして秋芳洞。じつはなにを隠そう、ボクはこれまでの人生で鍾乳洞に一度も入ったことがない。ボクにとっての鍾乳洞はテレビや写真だけの世界だ。高校球児が夏の甲子園にあこがれるように、ボクは鍾乳洞にあこがれる。
その秋芳洞、スゲェ~ッ、そして広ッ(そう)。黄金柱、千畳敷、百枚皿、見てみたいな〜。はたしてボクに鍾乳洞を見る日がくるのだろうか。残りわずかな人生。いつまで体が自由に動かせるかわからん歳になってきたからね……とほほ
「秋吉台のヒミツは “ 穴 ” にあり?」
石灰岩でできた台地、カルスト台地
もともとは、おおよそ3億5千万年前に南の海に生まれたサンゴ礁
プレートにのって移動して隆起してできた
江東区に匹敵する広さ → 日本最大級のカルスト台地(4502ヘクタール)
ドリーネ → ポコポコした穴
カレンフェルト → 飛び出した石灰岩(イボイボ)
普通の石だと雨水をかけても特に変化はないが、石灰岩だと表面や隙間などから石が溶けていく
川ができずかなドリーネのような穴ができる → 下に鍾乳洞ができる
秋芳洞 → 地下80メートル、年間45万人の観光客
鍾乳洞 → 石灰岩が雨水に侵食されて生まれる
秋吉台には450を超える鍾乳洞
鍾乳石 → 雨水で溶かされた石灰岩の成分が地下に固まった
黄金柱(こがねばしら)→ 高さ15m、太さ4m、秋芳洞最大級の大きさ
成長線 → 鍾乳石の成長が刻まれた線
鍾乳石の太さからおおよその年数がわかる
1年で0.1mm、100年で1cm(10mm)
黄金柱はおよそ4万年
千畳敷(せんじょうじき)→ カルスト台地の外から流れてきた川が砂や礫(れき)を運ぶ
大昔の秋芳洞は小さな洞窟 → 外から流れてきた川が侵食することによって川底が低くなる → 壁や天井が崩れて大きな空間ができた
百枚皿 → 水の波紋の端の泡立つ部分に石灰分が沈積。 波紋の縁の部分だけが、長い歳月の間に盛り上がって、皿状になったといわれている。
秋芳洞付近の厚東川 → 鍾乳洞が崩れて地上の谷に変わった
厚東川を挟んで東台はカルスト台地の保存エリア、西台は人が活用するエリア
西台 → 石灰石の採掘、セメントの材料として利用
石州瓦(せきしゅうがわら)→ 島根県石見地方でつくられる日本三大瓦のひとつ、赤茶色が特徴
ウバーレ → ドリーネの大きいもの
ウバーレの斜面に畑作 → 石灰岩の水はけのよさを活かす(たばこ、さつまいも、大根、大豆、あずき)
石灰岩だけでなく泥岩の層もある → 井戸
もともと大昔は泥岩のあった土地、あとから石灰岩が移動してくる
ウバーレのなかで標高の低いところに水の吸い込み穴 → 大雨のときに水が流れて洞窟を通って厚東川へ
自然にできた穴を集落の人々がそうじをして守り続けてきた
戦後、アメリカ軍によってドリーネを利用して爆撃演習場にしる計画がもちあがる → 大規模な運動の結果、計画は撤回
毎年2月に山焼き → そのままにしておくと森になるので、山焼きをして景観を守る
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