ブラタモリ日記その58 「東海道“五十七次”の旅 ▼ 第三夜 ついにゴールの大阪へ!」 (2024.11.4)
さあ、第三夜は最終夜、枚方(ひらかた)宿から始まる。ここで印象的だったのは「くらわんか舟」。枚方の宿場のすぐ脇に川が流れているので、大坂方面に行く人たちはみな船で下って宿場は通りすぎていったという。
とうぜん宿場を利用する人は江戸方面へ行く人ばかり。一方通行の宿場町という様相で、枚方宿の財政は厳しかったようだ。そこで知恵をしぼってできたのが「くらわんか舟」。
淀川を行き交う船に、料理や酒を売りに行く舟である。商売をやってた身としては、なんか切実さがわかるなぁ〜。けっして、くらわんか舟が儲かるとかではないと思うのだ。
ただ何もしないでいるとこのままではジリ貧になっていくという危機感。その危機感が枚方の商人を駆りたてたと思うぞ。わしも商売やってたときは危機感ばかりだったわ。はたから見るとそうは見えなかったかもしれんけどね。
そして東海道五十七次のゴールは大坂高麗橋。現在の高麗橋はどうってことないそこらへんの橋って感じだが、江戸期はとても立派な橋だったらしい。そして大坂城と大坂の町をつなぐ重要な橋だったようだ。
調べてみると、周辺は三井呉服店(三越百貨店の前身)など、さまざまなお店が立ち並び、人々の往来が絶えなかったという。幕府が直接管理する重要な橋を公儀橋というそうだが、高麗橋もそのひとつだったようだ。
そして公儀橋のなかでも、とりわけ高麗橋は重要視されていたとか。城と町をつなぐのだからそりゃそうだ。それが今はそこらへんの橋。なんだろね、時代や事情の変化によって、橋や道の意義や価値も変わっていくんだな。
また東海道も、江戸と大坂をむすぶという意味では、五十三次より五十七次のほうが個人的には重要だと思うのだ。それがこれも歌川広重の「東海道五十三次」の絵の影響で、五十三次のほうか有名となった。これも事情というものか。
今回、三夜連続の特番というかたちで復活したブラタモリ。うん、めっちゃ良かったッ!そしてタモリさんのパートナーとして出演された佐藤アナウンサー、初めてなのに緊張感を感じさせることもなく、めっちゃ良かったッ。
そして物議を醸したあいみょんのナレーション。いやこれね、わしも最初はとまどった。草なぎくんとちがって、なかなか元気なナレーションだったからね。
でもわし、今回のブラタモリ、三夜分の放送を2回ずつ、のべ6回観たのだが、慣れるとめっちゃ良かったぞ。やっぱ歌手なんだな。声に張りがあるというか何というかわからんが、みょうに耳に残ってクセになる。
次回も、うん、ナレーションはあいみょんがいいな。頼むよNHKさんッ。よろしくあいみょんッ!
「東海道“五十七次”の旅 〜行けばわかるさ徳川の思惑〜」
56番目の宿場町、枚方宿(ひらかたしゅく)
枚方橋の跡を通ると道標「右大坂ミち」
五六市 → 56番目の宿場町にちなんだ市(いち)
「鍵屋」という名の宿屋 → 扉が上下に開く
鍵屋のすぐそばを淀川が流れていた
川のすぐそばに宿場を置くことで人や物が集まる便利な場所をつくる → 徳川の思惑
川舟で下ってしまえば枚方宿はいらない
宿場に泊まっている人は江戸方面に行く人が多くなる → 一方通行の宿場町
枚方宿の財政はかなり厳しかった
枚方宿の対策
① 枚方宿を通過する船から宴会が見えるような宿のつくり
② くらわんか舟
くらわんか舟 → 淀川を行き交う船に料理や酒を売りに行った。旅人に「くらわんか舟」として親しまれた。
くらわんか舟名物 ごんぼ汁 → ごぼう、油あげ、鶏肉、おからの入った汁もの料理
五十七番目の宿場町、守口宿
堤防の上に東海道が通って宿場ができた
秀吉が少なくとも10kmはある堤防を築く → 家康がその堤防の上の道を東海道にした
秀吉がつくった堤防をうまく利用して、川沿いでも歩きやすい東海道を整備する → 徳川の思惑
東海道の出発点 → 江戸日本橋
五十三次のゴール → 京都三条大橋
五十七次のゴール → 大坂高麗橋
高麗橋は大坂城につながる
高麗橋は大坂城と大坂の町をつなぐ重要な橋
江戸と大坂のふたつの大都市をつなぐ東海道五十七次 → 徳川の思惑をつないだ大事な街道
五十七次より五十三次のほうが有名になったのは歌川広重の絵の影響
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