ブラタモリ日記その16 「大阪・梅田 #237」 (2023.6.10)
梅田粘土層のやわらかさには驚いた。そして昭和30年代にかけて起きた地盤沈下の激しさにも驚く。江戸時代までの大阪は、大阪城から天王寺へつづく上町台地以外はすべて湿地帯で、人が住めないほどだったという。
そこでふと思うのは1615年の大坂の陣だ。ボクはその布陣図をみた時に、冬陣と夏陣の両方とも家康本陣の側面の守りがうすいことに気づいた。豊臣方が家康本陣の側面を突けば、もしかしたら、があったかもしれないと考えたのだ。
ところが本番組と、この前のブラタモリセレクション「大阪」をみて納得した。人が住めないほどの湿地帯なのだ。兵や馬が思うように歩けなかった可能性があるのだ。そうそう、昔は湿地帯を歩こうとすると腰までつかると、なにかで聞いたことがある。
↑↑ こんなだったかもしれない。
(注)これはボクの妄想
最後に顔認証の改札があった。そういや自動改札機を日本で初めて導入したのもたしか大阪だったような、と思いググってみた。そしたらなんと日本初ではなく世界初だった。大阪スゴっ!!
カオスな梅田はどう生まれた?
直径1.5kmの範囲に駅が7つ
・JR大阪駅
・阪神大阪梅田駅
・大阪メトロ西梅田駅
・大阪メトロ梅田駅
・大阪メトロ東梅田駅
・JR北新地駅
・阪急大阪梅田駅
露天(つゆのてん)神社(お初天神)→ 恋人の聖地
曾根崎心中 → 江戸時代中期、近松門左衛門が描いた人形浄瑠璃。のちに歌舞伎の演目や映画になった
江戸時代後期、町はずれのキワのところに神社があった
湿地帯 → 川がよく氾濫をおこしていた → 人が住めないさびしい場所
「梅田」は当て字で「埋め田」→ 埋めて土地をつくった
明治7(1874)年、大阪駅開業
堂島周辺に蔵屋敷 → 年貢米や特産品を集積・販売をするためにつくった建物
もともと大阪駅は堂島あたりにつくる計画だった
堂島だと機関車の付け替えが必要。付け替えしないようにするには町を広い範囲で壊す必要があった
ほとんど人が住んでなく、スムーズに通過できる梅田に変更
大阪駅 → たくさんの高低差 → 地盤沈下
昭和30年代にかけて多くの地盤沈下
縄文時代の大阪市一帯は海
梅田粘土層 → 海の時代に堆積したもの
梅田粘土層が地盤沈下に大きく関係
固い地盤の天満砂れき層まで杭をうつことで沈下を防ぐ
さらに地下水の取水規制をしたことで地盤沈下は昭和40年代ころに収まる
梅田ダンジョン → いろんな方向に複雑に道がのびていく
高度経済成長期に交通渋滞がひどく、地下街をつくる
北西に斜めにつくられた大阪駅と旧市街を最短でむすぶために、斜めに道がつくられた → その後さまざまな方向から次つぎと道がつくられる → カオスの街ができあがる
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