考えごと日記その27 「文化大革命 上巻」を読んで、なぜ若者たちが決起したのかを考える
文化大革命を最初に知ったとき、なぜ一度失脚した毛沢東がまた政治の最前線に復活してきたのか、なぜ多くの若者が毛沢東を支持し決起したのか、不思議でならなかった。
まだ本書を読み中だけど、なんだか少しずつわかってきたぞ。文化大革命のときの若者は、子どものころは中華人民共和国の建国時にあたる。そのため、彼らはもともと「毛沢東は素晴らしい!」と洗脳(マインドコントロール)されていたという下地があるのでは。若者にとって毛沢東はすでにカリスマ的な存在だったというのが関係しているように思う。
その毛沢東というカリスマが、かんたんに言えば「資本家や権力者(教師など若者にとって疎ましい存在)をぶっ潰せ!」と号令をかけたのだ。普段から社会にたいして不満をつのらせている若者が呼応するのに時間はかからなかったであろう。
これは毛沢東からしたら、じつは若者を味方につけて、自分を排除した者たちへの宣戦布告となる。自身の権威回復というエゴ、それだけのために若者を利用したのだ。また若者からしたら、普段から心の奥底にある不満を毛沢東が代弁することによって反抗心に火がつくことになる。
つまりこれはロックと同じ原理なのだ。若者がロックを聴いて社会に対する反抗的な音楽に共鳴する。そしてそのバンドやミュージシャンのファンになる。ライブなどでミュージシャンが拳を振り上げると呼応する。ロック、とりわけパンクロックなんてのは反社会、反体制の塊で、多くの若者の心を揺さぶるからね。うん、ボクも学生のときにブルーハーツに心揺さぶられたわ。
そもそも若者とはそういうものだ。親に反抗したり社会に不満をいだいたり。これが音楽の世界だけでとどまっていればいいのだが、文化大革命は学校や政治の世界で現実となり暴徒化したのだ。
そしてこれが、毛沢東の単なる個人的な恨み節から始まったのが、恐ろしいところなんだな。たったひとりの人間のエゴによって、国が混乱し、多くの人命が失われることになったのだ。
たぶん。