わし流 にいがたブラタモリの旅 その19 『日本遺産「北前船」の文化財を巡る日帰りツアー』 ⑤ 新潟市歴史博物館みなとぴあみ 編
さて、ツアーの最後は新潟市歴史博物館みなとぴあ。こちらのエントランスホールで新潟古町芸妓さんの踊りを鑑賞。
10年以上まえに古町の料亭で芸妓さんの踊りを鑑賞したことがある。しかしそのときは接待要員として駆り出されてたので、ガチガチに緊張しててほとんど覚えてない。ただ踊りが始まったな、くらいにしか思わなかった。
ところがッ、今回まじまじと芸妓さんの踊りを鑑賞したのだが……
めっちゃいいじゃないかッ
めっちゃいいじゃないかッ
めっちゃいいじゃないかッ
………
なんか……
好きになりそう……❤
ってか、いや、それだけ良かったということよ。めっちゃキレイ。博物館のエントランスってことで、最初は雰囲気出ないんじゃないかと思っていたが杞憂であった。いや、めっちゃ良かったわ。
で、踊りのあとに解説があったのだが、もっとも興味深かったのが舞妓さんと芸妓さんのちがい。なにしろ、わしはほんとモノを知らん人間なので、舞妓さんと芸妓さんのちがいなんてわかるはずもない。
簡単に言えば舞妓さんはまだ修行中の芸者さん。芸妓さんを目指して踊りや三味線などを勉強中とのこと。ひととおり覚えて5年くらいで芸妓さんになるという。
着ている着物もちがう。舞妓さんの振袖は長〜い。いっぽう芸妓さんになると振袖は短くなるのだが、そのかわり裾が長くなる。お座敷では引きずるようなかたちになるんだな。
あと襟元。舞妓さんの襟元には可愛らしく刺繍がほどこされている。いっぽう芸妓さんは無地の白。また帯の結び方、カツラの形もちがう。一応説明はあったが着物ド素人のわしにはよくわからなくて頭に入らなかった。
あとパッと見のちがいとして、舞妓さんは華やかで明るい色づかい。若々しさがある。いっぽう芸妓さんは上品で落ち着いた色づかい。大人の色気がある。ま、詳しく知りたい方は自分で調べてほしい。わしもよう知らんから。
ついでながら画像の3人の芸者さん、左の2人が舞妓さん、右が芸妓さん。けっこう間近で鑑賞したんだけど、写真にすると小さくてわかりづらいな……。
踊りを堪能したあとは、みなとぴあの常設展へ。江戸期の新潟町(現、古町)は本町通りと古町通りの2本の通りと、寺町堀と片原堀の2本の堀を軸に、たくさんの小路と小堀によって町割りがされてあるのがわかる。
そして見よッ、寺町堀(現、西堀通り)沿いにあるお寺の多さを。わしはこのお寺の多さのナゾを知りたいのだッ!
新潟は北前船の航行で重しにつかった石がたくさんあったため、それらを鳥居に加工して再利用した、ってのは聞いたが、それが直接お寺を建立する理由にしては弱すぎるような気がする。なにか大きな理由があって、そういや石もたくさんあるし、ってのが自然のような気がするのだが。(← 個人的な推察)
これは注目ッ! 江戸期に港湾の利権をめぐって新潟町(長岡藩)と沼垂町(新発田藩)は何度も訴訟をおこして争った。結果、新潟町が勝利して栄えたのが今の古町である。
ところが江戸後期に新潟町はとつぜん幕府の天領となる。え、なぜ?? 沼垂町と何度も争ってまで獲得した利権。それがなぜ天領に?? という疑問があったのだが、これで解決よッ!
なんと中国品の密売がおこなわれていたというのだ。幕府はその摘発をきっかけに、長岡藩から新潟町を没収。天領としたのだという。
そっかーッ、幕府の目が届かないことをいいことに密売がおこなわれてたんだな。今でこそ新潟と東京は新幹線であっという間だが、江戸期の新潟は冬になると雪で閉ざされる。しかも江戸とのあいだには三国峠という三国街道最大の難所が立ちはだかっている。
新潟湊が栄えていたがゆえにさまざまな船の往来があり、それでいて幕府の目が届かなければ、まあこっそりといろいろ悪事をはたらく者がいてもおかしくない。わしもこっそりと何かをするの大好き、ふふふ。うん、なるほどねーーッ、スッキリッ!
現在でも新潟砂丘には防風林としてたくさんの松の木が広がる。新潟の松の木ぜんぶではないようだが、日和山や護国神社ふきんの松を植えたのが初代新潟奉行の川村修就(ながたか)だそうだ。
あとね、今回特別にガラスケースを取っ払った状態で古文書を鑑賞することができた。一部だけだけどね。上の古文書の画像をよく見ていただくとわかると思うが、ガラスケース越しではなく生なのだよ。生古文書なのだよッ。
新潟奉行所の模型。ガラスケース越しだから反射して見にくい……。旧三越と中央区役所にまたがった場所にあったという。現在は柾谷小路から海へ道路が走っているが、江戸期はそこに奉行所がドンと構えていて、新潟町の中心的な存在だったんだな。
ついでながら、長岡藩のときは「長岡藩新潟代官所」。幕府の天領になって「新潟奉行所」。明治からは「新潟県庁」。
柾谷小路が海までつながってからは「新潟警察署 & 新潟市役所」→「三越 & NEXT21」→「三越跡地 & 中央区役所」と変化してきている。
今回の日帰りツアー、めっちゃ良かったッ!新潟の歴史を語るに欠かせない神社や建物、以前から気にはなっていたがひとりで行くには気が引けていた。それが今回のツアーで一度にたくさん行けたのだ。
し・か・も
専門家である学芸員さんの解説つきだ。これが大きい。同じものを観ても自分ひとりでは「ふ〜ん」で終わるだろう。それが学芸員さんの解説があると「なるほどッ!」になるのだ。こんなぜいたくな一日はなかなかないぞ。
なんだか以前より新潟を見る目が変わったような気がする。以前は「新潟ってなんもねぇー」って思ったりしてたが、それはただ知らないだけだったのかもしれない。
とりわけ「歴史と文化」という視点であらためて新潟を見ると、新潟めっちゃおもしろいぞ。今回ツアーの貴重な体験によって、ますます新潟の歴史を研究したくなってきたわい。
道中やバスの中でお話ししてくださった同乗の皆さん、解説してくださった各文化財施設の皆さん、このような貴重な機会を提供してくださった新潟市歴史博物館みなとぴあの皆さん、ほんとうにありがとうございましたッ!
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