ブラタモリ日記その21 「岐阜 #92」 (2017.12.2放送)
ブラタモリセレクションもふくめると、彦根城 → 関ヶ原 → 岐阜(岐阜城)とつづくのはなんと贅沢なッ。こりゃまるで歴史のクリーンナップではないかッッ。
その岐阜城だが、ボクとしては稲葉山城時代のほうが馴染みぶかい。織田信長の手にはいる前だ。そう、まずは斎藤道三の下剋上。一介の油売りから大名へとのぼりつめる道三。稲葉山城の歴史は古いが、しかし斎藤道三から始まったと言っても過言ではない。
稲葉山城の城主となった道三は、愛娘である帰蝶を信長に嫁がせることに。これが道三と信長の最初の出会いであり、信長にとっても稲葉山城の最初の接点となる。
そして城主となってから20年後に、道三は家督を長男義龍にゆずるのだ。ところがそのあと、身内で揉めに揉めたすえに道三は義龍に討たれることになる。
その後、義龍の死により龍興が城主になるのだが、その龍興の家臣であった竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取りは有名な話だ。信長も苦戦した難攻不落の城をたった1日で落とす離れ業をやってのけたからだ。
そしてその3年後に信長は悲願の稲葉山城を落城させる。そして城主となり「岐阜城」と名を改めるのだ。そんなこともあり、岐阜城のある金華山も、稲葉山という名のほうが、ボクとしては馴染むんだな。
それにしても岐阜城って写真のとおり、こんなに高い場所にあったのかッ!難攻不落の城といわれたのもわかる気がするなぁ。そして「美濃を制するものは天下を制する」という言葉もあるんだな。
またもうひとつ、道三と信長の初めての会見。どこまでが史実で、どこまでが創作かはわからない。しかしボクは、道三が大事な愛娘である帰蝶を嫁がせるにあたり、大うつけといわれていた信長を見定めるエピソードは、けっこう好きなエピソードなのだ。
番組では触れてなかったが、その会見場所が円徳寺だといわれている。もちろん今の円徳寺ではなく、番組にあった織田塚(昔の円徳寺があったといわれる場所)だ。いや〜行ってみたい。道三と信長のあの会見のあった場所となると、織田塚もまた見る目が変わるわぁ〜。
「岐阜は信長が夢見た”平和の都“!?」
長良川鵜飼 → 毎年5月〜10月にかけて行われ、国内外から10万人以上が訪れる
織田信長は鵜飼で信玄の使者などをもてなす
織田信長
1560年 桶狭間の戦い
67年 岐阜を拠点に(33歳)
68年 足利義昭を奉じ上洛
70年 姉川の戦い
75年 長篠の戦い
76年 安土城へ移る
金華山(標高329m)の山頂に岐阜城
リス山 → むかし煙硝蔵(弾薬庫)があった場所
チャート → 放散虫などが海底に堆積してできた岩石 → 硬い
金華山はチャートでできた山
チャートでできた硬い山の上に城
岐阜城から広大な濃尾平野が見える → 平野のどこからでも岐阜城が見える
織田信長居館跡 → 高さ35mのチャートの岩盤 → 信長は水を引いて滝をつくり庭園にする
川原町 → 長良川の中洲を利用した川港(かわみなと)
美濃和紙 → 書状に使う→ 上質な和紙で権威を示す
信長が紙を大切にしたおかげで、江戸時代から和紙を使った産業が発達
岐阜提灯、岐阜和傘、岐阜うちわといった伝統工芸が発達
水うちわ → 繊維の細かい和紙に天然のニスをぬり、透明感をだした岐阜独特の工芸品
楽市楽座 → 商売を独占した「座」という組合を排し、自由に取引できる市場をつくる経済政策
円徳寺 → 織田信長楽市楽座制札(らくいちらくざせいさつ)
むかしの円徳寺は織田塚のある場所にあった
織田塚 → この地で戦死した織田軍の兵をとむらう墓と伝えられている
東は飛騨、南は尾張につづく街道がまじわる交差点 → 各地から人が集まる交通の要衝 → 織田塚のあたりに楽市楽座があったのでは?