ブラタモリ日記その7 「佐賀 #230」2023.3.18
先日「タモリ倶楽部」が、3月をもって終了することを発表した。1982年10月のスタートから約40年という長い歴史に幕を下ろすことになる。そして今、にわかにウワサされてるのが、今年いっぱいでの「ブラタモリ」の終了だ。あくまでウワサ話ではあるが、とはいえ今回で230回目の放送。タモリさんの健康面と番組のネタづくりを考えると、かなり現実味のある話のようにも思う。どうかどうか、単なるウワサだけであってほしい。
佐賀の発展は「水」にあり
鍋島直正(1814〜1871)幕末の佐賀藩主。藩の再建に取り組み、西洋の科学技術などを積極的に導入した
龍造寺隆信(1529〜1584)佐賀を拠点にしていた戦国大名。のちに「五州二島の太守(ごしゅうにとうのたいしゅ)」と呼ばれた
薩長土肥 直正公の時代、佐賀藩は日本最強といっていい軍事力を持っていた
洋式船を10隻以上保有、アームストロング砲を20門以上、日本初の実用蒸気船
現存する中で最も古いとされる国産カメラも佐賀藩で作られた
暗渠(あんきょ)流路にフタがされて地下に流れてる水路
屋敷が一つひとつ水路で囲まれている
広大な平野の背後に険しい山、山に降った雨が一気に平野部に流れこむ
排水が目的
泥がない堀と、泥がたまっている江
有明海は佐賀、長崎、福岡、熊本に囲まれている
日本一の干満差
江は有明海とつながっている
満ちてくると江に海水が入ってくる → 泥が入ってくる
城下町まで舟運(しゅううん)として使う
満潮にかけて舟を入れる、干潮のときに舟を出す
有明海の干満の影響で、海岸に海からの泥の堆積が続いて漁港が埋まる
泥の多いところでは毎年10m以上干潟が伸びる
満潮で巻き上げられた海底の泥は、川や江をさかのぼり内陸にも堆積
干満の差と泥の堆積で佐賀平野がつくられた
泥の堆積のため、軟弱で湿気を大量に含んだ湿地性の土壌
佐賀平野にはおよそ150の集落
約30の集落が城に進化
戦国時代に龍造寺隆信がのし上がる
江戸時代の佐賀は、2万人以上が暮らす城下町
高低差のない佐賀では、多布施川に少しの高さをつくることで、使いたい水を使いたい方向へ井樋(いび)を通して持っていっている
多布施川はきれいな水を届け、防御の役割も果たす
水害に苦しんだ佐賀 → 排水、上水道、防御など複数の役割で町を発展させた
反射炉 木炭などを燃やし、その熱をアーチ状の天井に反射されて金属をとかす施設
熱に強いレンガが使われる
佐賀藩主 鍋島直正、日本初の実用反射炉
大砲づくりに一番時間のかかる「穴あけ」。その動力として、人工河川から水を引き込んで水車をまわし穴をあける
城下町をつくるために、すでに人工の河川があった
佐賀の発展は、水と人々の結びつきでもたらされた
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