ブラタモリ日記その18 「奈良・吉野 #238」 (2023.6.17)
番組撮影時はすでに桜の花は散ったあとだったのは残念。でも写真でみるかぎりでは本当に見事な咲きぐあいだ。もともとの山の木といっしょにモコモコした感じに見えるのがおもしろい。一度は見てみたいものだ。
またこのような山の中でも、西行、源義経と弁慶、後醍醐天皇、豊臣秀吉とゆかりのある土地だというのには驚く。
とりわけ権威アピールをしながらも大名らに仮想をさせて派手に花見をする秀吉。秀吉の性分があらわれていて実におもしろい。
う〜ん、ブラタモリをみるたびに、行きたいところが増えて困るぅ〜💦
「なぜ桜といえば吉野なのか」
吉野山 → 桜の名所 → 3万本の桜
上野、隅田、嵐山の桜は吉野の桜を移植
観光客 40万人
金峯山寺(きんぷせんじ)の本堂 蔵王堂(国宝、世界遺産)→ 1300年前に創建、高さ34m
修験道 → 山岳信仰に仏教や神道が結びついた日本独自の宗教
金剛蔵王権現 → 役行者(えんのぎょうしゃ)がヤマザクラの木で蔵王権現を彫刻
何度か燃えて、現在の像は430年ほど
蔵王権現に献木して増えていった → 平安時代から始まり、江戸時代にさかんに行われた
吉野は日本一ヤマザクラがたくさん咲いている場所
ソメイヨシノは江戸時代に品種改良してつくられた
片岩 → 地下深く沈み込んだ岩石が圧力をうけてできたもの。層状になっているのが特徴
吉野山は片岩の山
片岩のすきまに水がたまる
桜は北向き斜面に植えられる → 夏、北向きのほうが保水性がいい
北から南へ山道をのぼり、金峯山寺を参拝する人たちを桜が出迎えるかたちとなる
柿の葉寿司、吉野葛
吉野建(よしのだて)→ 3階建ての3階ぶぶんが表通りに面している
西行(1118〜1190)→ 吉野に3年滞在
「ねがわくは/花の下にて春死なん/その如月の/望月のころ」
(望月=満月、2月15日(満月の日)はお釈迦様の命日)
西行はこの歌を詠んだ翌年の2月16日に亡くなり、願いをかなえた形となる
吉水神社 → かつては吉水院というお寺 → 金峯山寺のえらいお坊さんが暮らしていた宿坊
源義経の潜居の間、弁慶の思案の間 → 源義経と弁慶が滞在
南朝皇居 → 後醍醐天皇が南朝をひらく
豊臣秀吉 1590年天下統一 → 4年後に吉野で花見 → 5日間、5000人
秀吉は、義経や後醍醐天皇がいた場所を自分の思うように使うことで、自分の権威をアピール
花見に参加する条件が仮想
仮想をしたり、能の会、歌の会、お茶の会をひらいてみんなで楽しむ → 身分の上下なく桜を楽しむのは当時としては革命的 → 今の花見の先駆け
ヤマザクラの寿命は70〜100年
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