ブラタモリ日記その47 「四国・宇和島 #257」 (2023.12.9)
今回のブラタモリは宇和島。失礼ながら宇和島といっても特になにも浮かばないのだが、番組冒頭でまず宇和島城が紹介された。へぇ〜、宇和島城かぁ〜、なんて思っていたのもつかの間、なんと藤堂高虎が築いた城だという。
おおッ、藤堂高虎といえば築城の名人。築城三大名人のひとりだ。ほかに加藤清正、黒田官兵衛がいるが、加藤清正は熊本城がすぐに浮かぶ。しかし藤堂高虎と黒田官兵衛はどこの城を築いたのかといわれると、う〜ん、まだまだ勉強不足でとんと浮かんでこない。
そこで今回のブラタモリで知ったのが、なるほど、藤堂高虎は宇和島城を築いたのかぁ。ほかにも高虎は今治城など20以上の築城にたずさわったという。まあ城マニアからしたらおそらく宇和島城の築城が藤堂高虎によるものだなんて常識的なんだろうな。
またもうひとつ興味深かったのがリアス式海岸だ。リアス式海岸という言葉は遠いむかしに学校で習った記憶があるが、しかし言葉だけが記憶していて実際リアス式海岸とはどういうものなのかなんて覚えていない。
番組ではリアス式海岸はお題にあったギザギザした海岸というだけで、そのでき方には触れていなかった。残念。たぶんボクが観てない回ですでにやっているのかもしれない。
しかし番組では、そのギザギザしたリアス式海岸がなぜ宇和島にあるのかの説明があった。もともとは四国じゅうにたくさんあったギザギザの海岸。しかし川から流れる土砂によって、そのほとんどが埋めたてられたという。ところが宇和島には土砂が流れこむ大きな川がなかったため、そのまま残ったというのだ。
なるほどッ。ということは逆に考えると、海水浴場の砂浜というのは大きな川から流れてくる土砂が堆積したものなのかッ。ということはだよ、新潟市の海水浴場は信濃川と阿賀野川という大きな川が2本流れていることによってできたことになる。だからあんなに長く広がってるのか?
そしてだよ、角田のシーサイドラインには、まあ小さな砂浜はポツポツあれど基本的には断崖絶壁が広がる。それは宇和島の高月山と同じで、弥彦山と角田山があるために大きな川が流れてこなかったからということなのか?
いやまて、そもそもあの海岸沿いにある弥彦山と角田山はどうしてできたんだ??なんかそう考えたりすると、新潟の地形にもめっちゃ興味がわいてきたぞ。
いやはや、ブラタモリという番組はなんだろ、ボクのようなド素人にも知的好奇心をどんどんあおってくるよ。新潟の地形に関しては、たまにネットでちょいちょいと調べたりしてるのだが、こんど図書館に行って本格的に調べてみようと思う。
一般人にも疑問を投げかけてきて「知りたい」と思わせてくれるのがブラタモリという番組であり、また地質や地形に精通していながら一般人目線でゆる〜く話すタモリさんなんだな。
「 “ ギザギザ ” は宇和島に何をもたらしたのか?」
宇和島城 → 藤堂高虎によって1596年築城
現存12天守 → 江戸時代までに建てられ、今も現存する12の天守
弘前城(青森県)、松本城(長野県)、丸岡城(福井県)、犬山城(愛知県)、彦根城(滋賀県)、姫路城(兵庫県)、松江城(島根県)、備中松山城(岡山県)、丸亀城(香川県)、伊予松山城(愛媛県)、宇和島城(愛媛県)、高知城(高知県)
リアス式海岸 → 狭い湾が複雑に入り組んだ海岸地形
宇和島の入江は海賊の根城 → 秀吉が朝鮮出兵に海賊の力を利用するため、高虎を派遣
海のそばにすぐ高い山がそびえている(高月山1229m)
流れこむ大きな川がないため平地が少ない
谷が土砂で埋まらないため、海岸線がギザギザしたまま
宇和島城は海城
海城 → 海を水運や防御に活用した城
川の付け替え → 狭い平地を最大限に利用
2つの小さな川によって小規模な扇状地となる → 貴重な扇状地を利用して高虎は城下町を築く
6年で高虎は転勤 → 仙台伊達政宗の長男、秀宗が治める → 10万石の大大名、初代宇和島藩主
秀宗は五男にも領地を与える → 藩が分裂して、大きな米どころが吉田藩になる
宇和島藩2代目宗利がピンチをのりこえ発展させる
米が採れないので段畑でサツマイモの栽培 → 大きな川がないので、水がなくても育つ作物を作るしかなかった
段畑の作物には税をかけず自由に作物を耕作させる → 魚に税をかける → 魚が藩の重要な財源 → ピンチをのりきる
宇和島はマダイ、シマアジの養殖日本一
海岸線のギザギザによって養殖のいけすをたくさん作ることができる → 川がないことによって土砂が流れてこない
昭和30年代に入って水道が整備されると段畑は柑橘類も栽培される
マダイの養殖がさかんになり、漁師めしの鯛めしが広まる
宇和島にじゃこ天ができたのは、伊達家が仙台から持ち込んだ笹かまぼこがルーツ
闘牛 → 農耕用の牛を戦わせたのがはじまり
段畑を闘牛場に利用
ギザギザの谷を利用した闘牛場が100ヵ所以上作られる
宇和島闘牛 → 1月、5月、8月、10月に闘牛大会を開催
平成7年、文化庁無形民俗文化財に選択
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