ブラタモリ日記その29 「佐渡 #46」 セレクション (2016.9.3)
始まりました、ブラタモリ。今週は待ちに待った新潟ウィーク。そして今回のブラタモリセレクションは佐渡。イエイッ✨
佐渡は学生のときにマージャン仲間4人で、マージャン佐渡決戦と称してキャンプに行ったのを覚えている。まだ学生だったので観光地にはまったく興味なく、海とキャンプとマージャンの旅行だった。
佐渡へ行ったのは、ボクの記憶してるところではその1回だけだ。同じ新潟県で、日本海をながめれば肉眼で確認できるほど身近な島にもかかわらず、島へ行ったのはただの1回。佐渡はボクにとっては近いようで遠い島なのだ。
そんな佐渡といえば佐渡金山。それは誰もが知るほど有名なことは認識しているのだが、さて具体的にどんな規模でどんな具合に金が掘られていたか、残念ながらさっぱりわからない。(オレは本当に新潟県民なのか?)そういう意味では、今回のブラタモリを再放送として観れたのはとても良かった、うん。
まず道遊の割戸のかたちにおどろく。人間の欲望は山のかたちをも変えてしまうのだ。さらにアリの巣のように掘られた坑道を一本にのばすと全長400kmにもおよぶという。新潟から東京の距離(関越道で約320km)よりも長いのだよ。にわかに信じがたい。これも人間の欲望のなせる技なんだな。
そして江戸時代初期には金山周辺に5万人の人々が住んでいたという。そのうちの男性はひたすら金山にこもって金を掘りつづけていたのだろう。24時間交替制だったかもしれない。なんせ手作業で400kmだからね。そりゃ〜グチるは。「早く外に出て酒を飲みてぇ〜。馴染みのおんなにも会いてぇなぁ〜」って。(←人形ロボットのセリフ、なかなか有名らしい)
佐渡ならパッと行けそうなので、日帰り金山ツアー、こりゃ行くしかないな、うんッ。
「“黄金の島” 佐渡は “キセキの島”」
たらい舟 → 小回りや安定性に優れた「たらい」の舟。浅く岩が多い入り江での漁にピッタリ
道遊の割戸(どうゆうのわりと)→ 1601年採掘開始
江戸時代から平成元年までの400年に渡り、金を生みだす
金鉱脈 → 岩肌の白い筋
金鉱石 → 石英の中に金がふくまれている
金がふくまれている二酸化ケイ素が地下水に溶けだす → 地面の割れ目にそって上昇 → 冷えて固まって石英になる
1トンの石を掘って金が2〜3gあると採算があう → 佐渡金山は平均で5gくらい
宗太夫坑(そうだゆうこう)→ 江戸時代に掘られた金山の坑道。現在は観光コースとして公開
岩盤が硬いため、崩れにくい → 地下650mまで掘ることができた
無数にアリの巣のようなかたちに掘られる → 400km
約3000万年前、火山活動で佐渡になる部分ができる → 約300万年前、今のかたちに落ち着く → 上からの重みがかかって水分がぬけてカチカチになる
球顆流紋岩(きゅうかりゅうもんがん)→ 溶岩が冷えて固まるときに石英が入り込みできた → 石うすに使う
金山が発見される前は14〜15軒 → 金山発見後、人が一気に増えて江戸初期には巨大都市が誕生(人口5万人)
佐渡奉行所 → 江戸幕府の領地となった佐渡で金山開発と政治の中心となった
佐渡金銀山絵巻(江戸時代)
奉行所で小判になるまで完成させる
江戸初期は国内の金の約半分が佐渡でつくられた
1940年(昭和25年)ごろが、金の産出のピーク
江戸時代に捨てられた金鉱石 → 最先端の製錬技術によって、さらに金が採れた
北沢浮遊選鉱場(きたざわふゆうせんこうば)→ 1940(昭和15)年に完成。化学薬品を使い、月5万トンの金鉱石から金を分離した
段丘のヘリに工場を建てる → 加工場に適した
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