ブラタモリ日記 その9 「京都 東寺 #233」 (2023.5.13 放送)
五重塔で有名な東寺。その五重塔もいいのだが、今はもうない西寺の痕跡をみたいッ!そして西寺跡地から羅城門跡をはさんで東寺まで歩くのだ。つまり平安時代の平安京の広さを体感したいのだ。
こういう地味ぃ〜な旅がしたいなぁ〜
東寺は京都のシンボル
国宝 25件、81点。
世界遺産
金堂(国宝) → 東寺の本堂にあたる建物
794年 平安京 → 2年後の796年 東寺創建
平安京で最も古いお寺
弘法大師空海が礎を築く
講堂の立体曼荼羅(りったいまんだら)→ 空海の教えをあらわす → 21体の仏像 うち15体が国宝
五重塔(国宝)→ 平安時代に建てられるが何度か火災にあい、現在は5代目(江戸時代に徳川家光によって再建)→ 約55m 日本で最も高い木造建築
平安京がつくられた当初はお寺は2つ → 東寺と西寺
朱雀大路(すざくおおじ)の東側に東寺、西側に西寺
西寺児童公園に西寺の痕跡
大きな高まりに史跡西寺蹟(1921年に日本で初めて指定された史蹟のひとつ)
羅城門もはさんで左右に西寺と東寺 → 都の入口のシンボル(朝廷の権威をみせつけるため)
平安時代に火事 → 東寺は再建したが西寺は再建されない
西側は平安時代から水が多い地域 → 汁田(しるた)
鴨川がつくった扇状地によって、東側は標高が高くなり安定。
西側は標高が低く湿地帯となり不安定
西側は住みづらい → 鎌倉時代には西が廃れる → 西側の塔は再建せず
都の中心が東側に寄っていったことで、東寺はより京都のシンボルとして存在感を高める
御土居(おどい)→ 1591年、豊臣秀吉が京都を囲むようにしてつくった土塁。あいまいだった都の範囲を明確にするため
羅城門がなくなったあとの江戸時代、東寺の南大門が羅城門と呼ばれていた
明治時代になって鉄道がとおり、京都駅が東寺のすぐそばにできる → 東寺が京都のシンボル
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