わし流 にいがたブラタモリの旅 その15 『日本遺産「北前船」の文化財を巡る日帰りツアー』 ① 白山神社 編
「新潟市歴史博物館みなとぴあ」特別企画、『日本遺産「北前船」の文化財を巡る日帰りツアー』 なる日帰りのツアーに参加してきた。新潟市内の北前船に関係する文化財、白山神社、旧小澤家住宅、金刀比羅神社、日和山などをめぐる。
新潟市に住んでいる方ならわかるだろう。これらはめっちゃ近くていつでも行けるようなところである。とりわけ白山神社は学生時代から何度も通ったし、その周辺には県民会館やら陸上競技場、りゅーとぴあなどの施設がたくさんある。新潟人ならお馴染みの場所だ。
ははは、そんなところをわざわざツアーで行くなんて……なんて思った新潟人のあなたッ! んも〜〜、ノンノンノンッ! このツアーはね、専門家である歴史博物館の学芸員さんが添乗して、なんとひとつひとつ解説をしてくれるのだ。
展示物を鑑賞するとき、専門家さんの解説があるのとないのとでは、われわれド素人にとっては雲泥の差である。解説がないと「ふ〜ん」で終わってしまうものでも、解説があることによって「えっ!」って驚きがあったり、新たな気づきや発見があったりするのだ。
それからもうひとつ。これは必ずしもそうなるわけではないのだが、ツアーバスの隣席の人と仲良くなるといろいろなお話が聴ける。
今回は白髪のおじいちゃん(70代後半くらい?)だったが、そのおじいちゃんは千葉から今回のツアーに参加。なんちゃら指定の歴史建造物とその街並みを観ながら全国を巡ってるそう。
以前は車を運転して全国あちこちへ行ってたそうだが、今はもっぱら交通機関を利用し、たまにこのようなツアーに参加するそうだ。
やべぇ……10年後のわしだよ……ブラタモリの旅をしてるわしの姿だよ……
そのおじいちゃん、おすすめは長野県塩尻にある宿場町と言っていた。ぜひブラタモリの旅の行き先に加えよう。
『日本遺産「北前船」の文化財を巡る日帰りツアー』 ① 白山神社 編
明治16年の新潟町図。現在の古町である。一番左の「大船絵馬」と書かれている場所が白山神社だ。そう、白山神社はもともと信濃川沿いにあったのだ。それが1922(大正11)年、大河津分水路ができてから信濃川の水位が下がったため川岸が埋め立てられて、陸上競技場などが建設されたという。
明治維新後、江戸期の風習がつぎつぎと廃止されていき、慣れない西洋文化が取り込まれていく。そして民衆は生活がどんどん変化していくことに不安や不満をつのらせていくのだ。
そこで明治天皇は国民を安心させるため、全国各地を行幸、巡幸されたそうだ。その明治天皇が新潟を巡幸されたときに歩いたところがコチラ。
美由岐賀岡(みゆきがおか)。白山神社の一角にある。めっちゃ目立たないところに……。いや、こんなん、学芸員さんの解説がないと見過ごしてしまうがなッ。
で、さらにおどろくのがコチラッ。
なんとッ! 明治期の白山神社からは弥彦山と角田山が見えたというのだッ。マジかッ!いや〜、現代のわれわれからしたら信じられん……。明治天皇はこの土手を歩かれたんだな。弥彦山と角田山を望みながら。
こちらが新潟県令、楠木正隆の銅像。白山公園の創設者であり、新潟のさまざまなインフラを整備し、新潟町近代化に大いに貢献した方である。新潟のことをなんも知らんわしは、もちろんこの方の存在など知らんかったわ。これも学芸員さんの解説があってこそだね。
こちらがイザベラ・バード。19世紀のイギリスの旅行家、探検家、紀行作家、写真家、ナチュラリスト……って、なんちゅう肩書の多さじゃ。
で、このイザベラ・バードさんが日本横断旅行で新潟にやってきたときと、明治天皇の巡幸がほとんど同じ時期だったようなんだな。
そこで楠木正隆は明治天皇やイザベラ・バードさんが新潟に来るっちゅうことで、即刻、新潟の町の整備に着手したという。学芸員さんの話では、楠木はインフラ整備だけでなく、民衆に「裸で町を歩くなッ」とふれ回ったとか。……え、裸で町を歩く人とかいたんかいッッ。
こちらが白山神社に奉納されている大船絵馬(おおふなえま)。この大きな絵馬には新潟湊のほかに江戸湊と大坂湊、3つの湊が描かれているのだ。
手前が新潟湊。信濃川から小さな舟がでて、沖の大きな船へ米俵を積み込んでる様子が描かれている。
つぎに左上が大坂湊。大坂城と天保山が描かれている。そして右上が江戸湊。朝日ののぼる江戸城と城下町が描かれている。航海安全を祈願して奉納されたそうである。
つづく
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