わし流 にいがたブラタモリの旅 その14 「にいがた古町の堀 〜後編〜」
さてさて、後編はココ、白山神社からスタート。前編でも言ったけど、わし、これまで神仏にはまったく興味なかったから、白山神社にはとくに思い入れはない。
初詣や祭りも行かない。なぜなら人混みがキライだからだ。ま、しいて言うなら、学生時代に古町へ遊びに行くときの通り道くらいか……。あぁ……なんてつまらん人間よ……(汗)
白山神社の鳥居の前も堀だったんだなァ。これはめっちゃ風情あっていい感じ。堀に架かった木造の橋を渡って鳥居をくぐる。うっわッ、エエ風情やなァ。
白山神社のとなりの県政記念館。県会議事堂として明治16年に建設。昭和7年に県庁へ議場が移されるまでの間、県政審議の議場としての機能を担っていたとか。
やはり建物の前には堀がある。議員さんは木造の橋を渡ってこの議場に入っていったんだな。
いまは新潟県政記念館として見学できるようになっているのだが、現在、耐震改修工事のため閉館中。令和10年まで工事が続くそう。
建物の存在はとうぜん昔から知っていたが、中に入ったことないんだよなァ……。なぜなら興味なかったから。
くぅぅ〜〜〜ッ、再度開館したら今度はぜひとも見学したいのぅ。あと4年……ほんと興味あるのとないのとでは意識や行動が全然ちがうんだな。
ここ、学生のときに何度も通ったんだよな。白山神社から古町へ向かうときの、ま、なんていうか、通路として(汗)。
いや、当時のここの商店街って魅力的なお店ってなんもなくて、ホントただの自転車の通路だったのだ。
ところが今はいろんなお店ができてね、魅力的な商店街に変貌したんだな。
……
ついでながら、ここから学校町、そして関屋へとつづく116号線。調べたらどうやらそこも堀だったようだ。え、マジでッッ。堀って関屋にまで伸びていたのかいッ。
市役所から学校町への妙なカーブ。あれは堀のカーブだったんだな。ってことは……関屋にもなにかしらの荷物が運ばれていたのだから、なんか生活文化の古い歴史があるのかな? 調べてみよう。
さて、今度は東堀。東堀ってどんな感じだったか調べたのだが……ネットではなかなか出てこない。
柳もないんだな。これは堀があった時からないのか、堀を埋めたときに伐採したのか、どっちなんだろ。なんせ昔の東堀の様子が出てこないから調べようがないのだ。
東堀通りはなんだろ、どこか生活感がただようんだな。ちょっと脇にそれる小道に目を向けると、なんとも言えないいい感じの昭和感が姿をあらわす。
クァ〜ッ、昭和丸出しの金物屋さん。買い物をしたいとは正直あまり思わないのだが、なんか……なんだろ……眺めていたい……。
人情横丁。わし、小学校の写生会でここ来た覚えがあるな。ここの魚屋さんをスケッチしたぞ。魚屋の婆さんが魚焼いてたのを覚えとる。
ここで痛恨のミス。帰宅後に人情横丁を調べてたら、どうやらこの人情横丁はむかし堀だったようだ。そしてなんとその堀に架かっていた橋の欄干の痕跡があるというのだ。
くぅ〜〜ッ、堀の痕跡探しをしているにもかかわらず、その堀に架かっていた橋の痕跡を見過ごすとは………無念。つぎここ来たときには探さねば。
第四北越銀行の本店。やはり「堀沿いに銀行あり」は本当なのか??
加島屋の本店。加島屋の創業は安政2(1855)年だそうだ。黒船来航から2年後か……いや、とくに意味はないんだけどね。
ま、こちらの「鮭茶漬け」をはじめとする品々は手土産として間違いのないテッパン。そんで紙袋がまた有名で、とりわけ県外の人からは「あれ、この紙袋見たことあるなぁ」と言われることもしばしば。
だけど今やわしはセミリタイアした身。手土産を持っていったり贈ったりする用事は皆無でござんす。
東堀通りから一本入った裏通り、通称、鍋茶屋通り。昼間は普通の裏路地だけど、ここ、夜になるといい雰囲気なんだな。
この奥の少し入ったところに鍋茶屋がある。そういや昔、その鍋茶屋に一度だけ行ったな。接待要因として(汗)。
接待だったから緊張して料理はぜんぜん覚えとらん(汗)。でも舞妓さんの三味線と踊りがあったことははっきり覚えてる(滝汗)。ま、よほどの身分の人とか、よほどの接待でないとなかなか入らないお店かな。
ここは東堀通りから見た鍋茶屋。つまり裏側。どうなんだろ、今は東堀通りが表の通りだけど、江戸時代とかは鍋茶屋通りが表の通りだったとか、あ、いや、わしのただの妄想。信じないで。
うっわッ、これ、いい感じだなァ〜ッ。この塀っていつ出来たのか知らんけど、なんか明治感満載だなァ。そして脇にはボロボロの地図。こちらは昭和感満載。
なんだろなぁ……。レンガ一つひとつの色や質感がちがうんだよなぁ……。建築とかに詳しければなんかわかるんだろうけど、素人のわしにはただただレトロやな〜、くらいしかわからん。
鍋茶屋の創業は弘化3(1846)年。黒船来航の7 年前か。そんで建物は国の登録有形文化財に指定されているという。鍋茶屋は古町花街の歴史になくてはならない由緒ある料亭なんだな。
今は駐車場になってるけど、ここに宝塚会館っていう建物があったんだよなぁ。映画館があったはず。昔の映画館は今のシネコンのように一箇所に集約されてなくて、古町のそこらじゅうに点在していたのだ。
東宝だったかな?? 宝塚会館は。ジャッキー・チェンの「プロジェクトA」がここだった記憶がある。親同伴ではなく、友達だけで初めて観に行った映画がそれだったから覚えてるでぇ〜。
あとその地下に中華料理店があったんだな。20歳のとき、ちょっとお世話になった方からそこでフカヒレをご馳走してもらったことがあった。まだ20歳の小僧がフカヒレだよ。大興奮だったよ。
と、いやはや、ちょっと個人的なノスタルジーが過ぎたわ。では気を取り直して、奥のかき正は創業が昭和4年。堀があるころから営業してるんだな。このあとのわしの人生で、ふぐ料理を食べることってあるんだろか……。
柳都大橋へ抜けるこの通り、しょっちゅう通るけど、ここもむかしは堀だったんだな。微妙にカーブしてるのは堀だったからである。
第四北越銀行 住吉町支店。やはり「堀沿いに銀行あり」は本当だぞ。
みなとぴあのところにも復元された堀がある。画像ではずっと先まで伸びてるように見えるが、実際は敷地内のほんの一角にあるだけで短い。
いや、こうして復元された堀をみてるとね、う〜ん……やっぱり当時のものがそのまま残っていてこその価値のように思えるのだ。
こうして新たに復元しても、それはけっきょく新たな堀であって、堀の石や杭など、昔のものが引き継がれているわけではない。
つまり昔の人びとの生活の息づくものが、現代にまで残っているという事実に価値があるというものではないだろうか。
また昔のものを残すにしても、現在は昔とちがって安全とか衛生などにとても厳しい。なかなか昔のものを残すというのは難しい時代にあると思うのだ。やはり60年前に堀を埋めたことは、時代の流れでみれば必然だったのかもしれんな。
うん、「堀沿いに銀行あり」は間違いないッ。
ゴールしてみて思ったこと。まず堀は昔の人たちが酒でも飲みながら懐かしむくらいがちょうどいいのかもしれんなぁ。これを復元したとしても、それはけっきょく新しい堀でしかないからね。
それから、こうして堀に興味がわくと、以前までまったく興味のなかった建物とかにも目が向くようになるんだな。お寺とか古い民家とか、あとそう、県政記念館は開館したらぜひ中に入ってみたいわ。
おそらく古町の歴史をもっと深く勉強してから、もう一度同じコースを走ると、また違った発見があるような気がするのだ。知ってるのと知らないとでは見える景色がまた違うからね。うん、よかったッ。