ブラタモリ日記その10 「京都 宇治 #103」 (2018.5.5)
宇治といえば誰もが思いうかべる宇治茶。同じ地域で採れたお茶は、だいたい同じ味になると思ったら違うということにおどろいた。
同じ宇治でも、扇状地で採れるお茶は濃い味、段丘で採れるお茶は香りの高い味になるという。それらをブレンドすることによって、他地域にない味わいができるのだ。こうして宇治茶のブランドが高められるというのだ。
これってお菓子屋でも同じことをする。とりわけオーナーシェフ型のお菓子屋は、お店独自の味を確立するため、複数の生クリームをブレンドしたり、複数のチョコレートをブレンドする。お店によって微妙に味わいがちがうのは、ひとつに素材のブレンドがあるのだ。
また宇治茶の高級なブランドイメージが、平等院鳳凰堂の歴史と関係しているのもまたおもしろい。平等院もふくめて、京都宇治のお茶めぐりをしてみたいなぁ〜
なぜ宇治は「天下一の茶どころ」になった?
800年以上つづく高級抹茶の産地
明恵(みょうえ)→ 鎌倉時代の華厳宗(けごんしゅう)の僧 → 京都の栂尾(つがお)で茶の栽培をはじめ、その後、宇治などに広めたといわれる
鎌倉時代に宇治茶の栽培がはじまる
お茶の通圓 → 創業800年以上、現在24代目
宇治橋から水をくむために秀吉公から預けられた釣瓶(つるべ)
狂言の「通円」という演目の舞を舞っている姿を一休さんが彫った木像
30gで5,400円
平等院鳳凰堂 → 藤原道長の別荘地 → 息子の頼通が寺に改め、1053年に鳳凰堂(阿弥陀堂)を建立した
極楽浄土にある阿弥陀如来の宮殿をイメージ
極楽浄土に行きたいという願いでつくられたもの
平安貴族のリゾート地 → お茶の町になる前から宇治はブランド価値をもった土地 → 高級な宇治茶のイメージに大きく影響
扇状地 → 川がはこんだ砂や石が堆積 → 水はけがいい → お茶の栽培に適している
平安時代は宇治は貴族の別荘地 → 鎌倉時代になると貴族の力が弱まる → 平安時代のブランドイメージをもったまま茶園が広がる
室町時代になると武士の間で茶会 → 天下一の茶と評される
長屋門 → 江戸時代の上級武士の屋敷にみられる両側に居住スペースをもつ門
茶師 → お茶をあつかう商人 → 特権階級で名字帯刀を許されていた
江戸時代の宇治は幕府の直轄地(天領)で、将軍家にお茶をおさめる重要な場所
30を超える茶師たちが茶作りの腕を競いあう
奥ノ山茶園 → 室町時代からつづく茶園、抹茶の原料「碾茶(てんちゃ)」を栽培
ひと月くらい日かげで育てる → 日光があたるとテアニン(うま味)がカテキン(渋味)に変わる
新芽のでる4月は日かげにすることでカテキンを残す
覆下栽培(おおいしたさいばい)→ 江戸時代まで宇治しかできなかった(ブランドを守るため)
扇状地の上にある段丘の上でもお茶をつくる
扇状地は砂地なので味が濃いお茶ができる
段丘は標高が高いので香りが高いお茶ができる
茶師がブレンド → 割合は茶師の腕しだい
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?