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考えごと日記その18 「ロシアについて」を読んで、ロシア人の性質の根底にあるものを考える

司馬リョウ先生「ロシアについて」を読んでいる。それによると、ロシア人、そしてロシア社会の性質の根底には、やはりつねに外敵に脅かされてきた歴史の積みかさねがあるようだ。

ロシア人によるロシア国家の成立は、9世紀になってからで、西洋や中国とくらべるとずっと遅い。それはなぜかというと、つぎつぎにやってくるアジア系遊牧民族によって、ロシア平原を荒らされつづけたからだという。

ロシア人は主に東スラヴ系のスラヴ人である。国家ができる前のスラヴ人はロシア平原でほそぼそと農耕を営んでいた。しかしそこは、東方からやってくる野蛮な遊牧民族にとって絶好の通過地でもあったようだ。

4〜5世紀に西洋に侵攻したフン族。その残虐ぶりはローマ人さえも戦慄をおぼえたという。そのフン族のもともとの遊牧地はロシア平原だとか。ロシア平原で暮らしていたロシア農民が彼らにどれほど虐げられたか、想像に難くない。

5世紀〜11世紀に登場するアヴァール人もロシア農民にとっておそろしい遊牧民族だったようだ。6世紀ころにロシア平原に出現し、ロシア農民の社会をかきまわし、女を犯し、多数の混血児をつくったという。

その広大なロシア平原では、ロシア農民がおのおので小社会をつくっていた。しかし広域社会を統一するような権力や組織ができていなかったため、中国のような長城や、西洋のような石造城をもつまでにはいたらなかったようだ。そのため、平原を通過する野蛮な遊牧民族によって、好き勝手に踏み荒らされるという惨事が繰り返されたようだ。

国家ができる前のロシア史は、古代の薄明のような暗い時代である。ロシア農民が遊牧民族にどれほど虐げられたか。そして、いつ何どきやってくるかわからない外敵にどれほど怯えながら暮らしてきたか。この歴史の積みかさねによる警戒心と猜疑心が、ロシア人の性質の根底にあるのではないだろうか。

そんなロシアも、9世紀になって現ウクライナのキーウに国家を作ることになる。それはごくごく小さな国家だったが、ロシア人にとっては、それは歴史的にも大きな変換だったであろう。

ところがだ。……まあ悲しいことにその後もロシアは苦しめられることになるんだなぁ……つづく。


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