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ブラタモリ日記その52 「奈良飛鳥 #162」 セレクション(2020.4.18)

今回のセレクションは飛鳥。ボクは歴史が好きとか言っときながら、知ってるのは幕末や戦国時代ばかり。この前の鎌倉だってよくわからないのに、さらにさかのぼる飛鳥時代なんてちんぷんかんぷんよ。

そんなボクをこの飛鳥時代にも目を向けさせてくれるのがブラタモリである。本番組がなかったら飛鳥時代に興味がわくなんてことなかったかもしれない。ボクにとってブラタモリはホントにたぐいまれな番組だ。

飛鳥時代のどこに興味がわくかというと、この時代は「日本初」「日本最古」といったワードがとても多いところだ。つまり日本という国の黎明期にあたる。そしてここ明日香村は、日本で最初に都が置かれた場所だそうだ。おお〜、もうそれだけでシビれるわぁ〜。

番組冒頭からボクはひとつの疑問をいだいた。飛鳥時代のアスカは「飛鳥」という字、明日香村のアスカは「明日香」という字があてられている。これって何?同じ意味?それともまったく違う意味だけど、たまたま読み方が同じってこと??

残念ながら番組ではその説明はなかったので、自分で調べてみた。すると古代では、もともとアスカにはさまざまな漢字があてられていたという。明日香、安宿、阿須賀、阿須可、安須可などなど。

なかでも「明日香」という漢字は縁起がよく(天照大御神様を象徴する日が入っている)美しい響きだという理由で多く使われるようになっていったそうだ。( ※ 諸説あり)

いっぽう「飛鳥」は、万葉集で明日香の枕詞として使われたのが始まり。「飛ぶ鳥(とぶとり)の明日香〜」「飛ぶ鳥(とぶとり)の明日香〜」と何度も歌われているうちに、いつしか「飛鳥」も「アスカ」と読むようになったとか。( ※ 諸説あり)

「飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去(い)なば 君があたりは 見えずかもあらむ 」

(明日香の里を置いて、奈良の都に行ってしまえば、あなたが住んでいるところはもう見えないのでしょうね)

元明天皇 巻一(七八番歌)

これは万葉集にある元明天皇の歌だ。710年、都が藤原から平城へ移ることとなり(遷都)、そのとき元明天皇が平城へ向かう道中で振り返り、ふる里の飛鳥・藤原に別れを告げた歌だそう。このように万葉集では枕詞として「飛鳥」という字が使われていたのである。

そして713年(奈良時代)、「好字二字令(こうじにじれい)」によって、地名・年号の漢字を二文字にしなければならなくなる。そこで地名を「明日香」ではなく、枕詞で使っていた「飛鳥」と書くようになったという。日本書紀や古事記ではアスカを「飛鳥」と表記されているそうだ。

その後、時を経て昭和31年、飛鳥村と高市村、阪合村の3つの村が合併することとなり、「飛鳥村」という名称にすると不平等だからという理由で「明日香村」としたようだ。合併って地名にめっちゃこだわるからね。部外者からすると飛鳥村でいいじゃん、って思うけど、部外者にはわからない内部の事情ってもんがあるんだろうな。

さてまとめると、まず、さまざまあった漢字から「明日香」が定置する。つぎに「明日香」の枕詞として「飛鳥」が使われる。その後、奈良時代に出された「好字二字令」により、「飛鳥」が一般的となっていく。しかし昭和になって村の合併によって「明日香村」という表記が採用される。

そのため、現在は「飛鳥」と「明日香」の2つの漢字が使用されている。 時代、駅名、地方名を表記する時は「飛鳥時代」「飛鳥駅」「飛鳥地方」。 村名を表記する時は「明日香村」と表記する、ということのようだな。なるほど、ガッテンッッ!

ともあれ、ここ飛鳥にはぜひ行きたいッ。なんてったって、ここから戸籍、税、貨幣が生まれ、日本の国としての礎が築かれたのだ。日本国の始まりの地なのだよ。そう考えるだけでおっちゃん大興奮ッ!

タモリさんは国の始まりである明日香村を、意外と狭いな~、って言ってたけど、いいのいいの。ここへ行って「日本初」や「日本最古」に触れて、日本国の黎明期をぜひとも体感したいッッ。


「なぜ飛鳥は日本の国の礎となったのか?」

明日香村


明日香村の地図

1400年前、飛鳥時代 → 天皇の宮殿が置かれ、政治や文化の中心となる

戸籍、税、貨幣など国の仕組みが生まれる

592年 飛鳥(奈良県明日香村)→ 日本で最初の都
694年 藤原京(奈良県橿原市・かしはらし)
710年 平城京(奈良県奈良市) 
794年 平安京(京都市)
1869年 東京


乙巳(いっし)の変

大化の改新 → 乙巳(いっし)の変 → 中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)・中臣鎌足(なかとみのかまたり)による蘇我入鹿(そがのいるか)暗殺

中大兄皇子は体制を刷新して大化の改新を実施


石舞台


石室の中

石舞台 → もともとは日本最大級の四角い古墳 → 現在は石室が露出

石舞台古墳 → 蘇我氏の古墳 → 巨大な石室は強大な権力の証


飛鳥寺

飛鳥寺(588年) → 日本最古の本格的な寺院、法隆寺より古い

百済(くだら)から学んだ石の加工や瓦を敷く方法など、当時の最先端の技術が用いられた

二度の火災で焼失、現在の建物は江戸期の1826年に建てられたもの

飛鳥寺礎石


塀の下の礎石

日本で初めて礎石が使われた建物の礎石

蘇我氏は従来の掘立柱から、礎石に柱を立てる建築を取り入れた

法隆寺の礎石と柱


飛鳥大仏

飛鳥大仏(609年)→ 日本最古の仏像


山に囲まれている飛鳥


飛鳥寺


宮殿

飛鳥は最初の国づくりの始まりの場所 → 小さな盆地から始まる

山に囲まれた出口に寺を置けば、宮殿の場所は一等地になる

蘇我氏が用意した都・飛鳥に天皇を呼ぶ → 蘇我氏は絶大な権力をもつ

乙巳の変によって豪族蘇我氏は滅亡 → 豪族の時代から天皇の時代へ


斉明天皇

斉明天皇 → 石を利用した国づくり


水落


礎石の周りに小さな石を並べる

水落 → 礎石をつなぐ石が建物全体に張り巡らされている → 地震で礎石や柱がずれないようにするため


水時計

日本で最初の時計、水時計

水時計 → 下の水槽にたまる水の量で時間をはかる仕組み

決まった時間に鐘を鳴らして知らせる

天皇が時間を支配し始めた場所

民の支配の第一歩は時間かもしれない(タモリさん談)

地名とは土地の記憶(タモリさん談)

新しい国づくりが進められた理由 → 東アジアが不安定な国際情勢

高句麗や百済が滅びるなど、国の存亡をかけた戦いが日本のとなりでおこなわれていた


須弥山石(しゅみせんせき)と石人像(せきじんぞう)

須弥山石、石人像 → 外国からの使節などをおもてなしするための迎賓館があった

噴水の仕組み → 権力をアピールするための噴水仕掛けの石造物

噴水仕掛け

運河の跡 → 斉明天皇がつくった川、運河

3万人を動員して15kmの運河をつくる

宮殿の東の山につくる石垣の石を運ぶため


石垣の跡

石垣 高さ2m20cmくらい

何重にも石垣を巡らせた山の上に酒船石(さかふねいし)

酒船石(さかふねいし)

酒船石(さかふねいし)→ もともとの大きさはもっと大きいとされる → 何のためのものかは解明されていない

ブラタモリ出演の専門家さんは占いに使った「笹船石」であったのではないかと考える → 笹の葉を水に浮かべて占いをした


亀形石造物(かめがたせきぞうぶつ)

2000年、山のふもとで亀形石造物が発見される

重要な国家の方針を占うところ?

飛鳥の地を一望したタモリさんの感想「意外と狭いな~」、この狭い土地で日本の原点が生まれ、礎となった

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