ブラタモリ日記その51 「鎌倉 (2024年版) #260 #261」
今回のブラタモリは、2015年放送の鎌倉編以来の2度目の鎌倉。そして今回も2回に分けての放送だ。以前は神社やお寺なんてほとんど興味なかったが、ブラタモリを観るようになってからだんだんと興味がわいてきた。ただし今は興味があるだけで、なんも知らんけどね、てへ。
スタートは鶴岡八幡宮。ここから一直線にのびる若宮大路(わかみやおおじ)の先には太平洋の海がひろがる。番組を観てると、どうやら鶴岡八幡宮から若宮大路の先の海がわずかながら見えるようなのだ。新潟は砂丘の丘がへだたっているので、一直線の道の先に海が見える景色はない。これは一度見てみたいものだな。
その一直線にのびる若宮大路にある段葛(だんかずら)。一見たんなる遊歩道のように見えるが、これが源頼朝による鎌倉の街作りにおいての重要なポイントだったという。
そんなことブラタモリ観なかったらわからんわ。いや、もしかすると現地の立て看板とかガイドブックにあるかもしれない。しかしおそらく見逃すであろう。ブラタモリを観てこそ、このような歴史に興味がわいて着目するのだ。
その後、タモリさんは巨大な寺院だった養福寺の跡地、そして後編からは建長寺をたずねる。その建長寺、なんと中国のお寺をまるごとコピーしたものだとか。
いまや日中関係はお互い反感感情をあらわにして、非常に微妙な関係となっているが、この時代の日本と中国は本当に密接な関係だったことがよくわかる。日本と中国は古代・中世・近世と長いあいだ友好関係にあり一衣帯水であったのだ。
とりわけこの建長寺というのは、中国から新しい文化をまるごと取り入れ、京都へ影響を与えたお寺だという。そう考えると現代の日中関係は同じアジア人で同じような文化と歴史をたどったというのに、非常に残念というか、悲しいというか。ネット上での日中のいがみ合いをみてると虚しさがつのるばかりである。
つぎにタモリさんが訪ねたのは極楽寺。この極楽寺がまたかつては巨大な規模の寺院だったようだ。なぜそのように巨大になったかというと、鎌倉時代にあった元寇がきっかけらしい。モンゴル帝国が日本に攻めてきたということで、日本中の霊場、神様、仏様を疎開させる意味合いで鎌倉にコピーをつくったのだという。
元寇って学校で習った気がするが、今となっては内容などまったく覚えてない。いや、これね、今まで幕末や戦国時代ばかり勉強してきたが、この鎌倉時代も勉強したくなってきたわ。
そう思わせてくれるのがブラタモリという番組であり、またタモリさんのかもしだすゆる〜い雰囲気が視聴者にそう思わせるのかもしれない。
ともあれ、番組が終了するのは本当に残念で寂しいかぎりである。これからはタモリさんから教わった旅や歴史の着眼のしかたと洞察の深めかたを、自分なりに実践していきたいと思う。あ〜ぁ、セレクションだけでも続いてくれんかな。
前編「頼朝は武士の都・鎌倉をどうつくった?」
年間観光客数1200万人、源頼朝が約800年前につくった町
鎌倉幕府初代将軍 源頼朝 → 日本初の本格的な武士の都
吾妻鏡(あずまかがみ)→ 幕府公式の歴史書
家康も愛読書にしていた。江戸時代は武士の教科書的な存在
吾妻鏡では頼朝が主語の場合はわざわざ書かない
【吾妻鏡より】
1180年10月6日 相模の国へ到着しました(源頼朝
が鎌倉へ到着しました)
10月12日 午後四時頃に祖先をまつるために
小林郷の北山に場所を定めて社殿
を造って、鶴岡宮をここへ移され
ました
北山は八幡宮が移される前はただの山
由比若宮(ゆいのわかみや・元八幡)→ 元の鶴岡八幡宮 → 頼義(頼朝の5代前)が建立
源氏はもともと京都が拠点
頼義(5代前)とその父の頼信(6代前)が反乱を治めるため朝廷の命で関東へ
反乱を治めたことで鎌倉に領地を得て、源氏の氏神をまつる八幡宮を建てる
頼朝が鎌倉に入ったわずか6日後に、八幡宮を鎌倉のいちばん目立つ今の場所に移した → 先祖代々の神社を町の中心に移すことが、頼朝の町作りの第一歩
【吾妻鏡より】
1182年3月15日 十五日、鶴岡八幡宮の神社の前か
ら由依の浦まで参詣の道を造られ
ました
若宮大路(わかみやおおじ)→ 参詣道こそが頼朝の町作りの要
段葛(だんかずら)→ 頼朝が造ったときは、今の幅よりも広かった(当時は幅33m、現在は平均24m)
谷戸からの川が中心の谷筋に集まって流れる → 湿地っぽくなる → 段葛をつくって水はけの悪い谷筋を歩きやすくする
【吾妻鏡より】
頼朝様みずから陣頭に指揮をとりました。それなので北条時政殿をはじめとして、御家人たちが土や石を運びました。
両脇に大きな側溝をつくって排水(幅約3m、深さ約1m)
暗渠(あんきょ)→ 流路にフタがされて地下を流れている水路
側溝が自然の川と合流 → 自然の川の流れを排水路に利用
堀も谷戸から流れてくる川を利用
頼朝は鎌倉の水に悩まされながらも、逆に水を活かした町作りをしていた
【吾妻鏡より】
1180年12月12日 12日天晴れ風静か。午後十時頃に
頼朝様が新しく建てたお屋敷に引
っ越しの儀式がありました。大庭
平太景義が奉行となって、去る十
月に事始めがあって、大倉郷に建
設をしていました。
頼朝が大倉(八幡宮の東)に引っ越す
川沿いに門が建っていたと考えられる
川を堀として利用? 電柱には西御門(にしみかど)という地名 → 鎌倉幕府の西の端?
山の上に頼朝の墓(鎌倉幕府の北の端?)
東御門川(鎌倉幕府の東の端?)
二階堂 → 頼朝がつくった武士の都の総仕上げともいえるお寺
永福寺跡 → 極楽浄土、宝池を再現
【吾妻鏡より】
1192年11月13日 永福寺の池の庭石の配置について
まだ気に入らないところがあるの
で、静玄を呼んでなおこれを直さ
せました。
頼朝が庭の石の配置について指示
1189年12月に永福寺を建てることを決意 → 奥州合戦の供養
奥州合戦 → 1189年、源頼朝が奥州藤原氏を滅亡させた戦い
供養だけてなく、頼朝の権力を見せつけるためのお寺でもあった
後編「北条氏の寺でわかる!鎌倉幕府の偉業とは」
建長寺 → 観光客年間50万人 → 鎌倉を代表する禅宗寺院
建長5年(1253年)頼朝が亡くなった年に創建
北条氏(鎌倉幕府執権)→ 源氏が将軍だったのはわずか3代。約120年、事実上の最高権力者
5代執権、北条時頼によって創建
北条氏は16代にわたって執権をつとめる
中国風の靴、中国風のご本尊
中国直輸入① 仏像の形式
中国直輸入② 土足で建物に入る
中国直輸入③ 椅子
中国直輸入④ 中国人の住職
中国直輸入⑤ 油で炒める調理法
建長寺初代住職 蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)→ 日本の禅宗寺院で初代住職を中国人僧侶がつとめたのは建長寺が初めて
椅子という言葉(はつおん)は中国から鎌倉時代に持ち込まれたといわれる
建長寺は中国の最先端の寺をまるごとコピーした寺
けんちん汁は建長寺発祥の精進料理といわれる
当時の日本は舶来品、いわゆる唐物を持っていることが権力の象徴
京都・奈良には公家の文化があるが、鎌倉には既存の文化がないため、武家政権が鎌倉で誕生したからこそできたこと
中国の寺の庭は伽藍(建物)の前につくられることが多いが建長寺の庭は奥
水を引きやすい谷戸の奥に庭がつくられる
京都の寺の庭も裏側にある → 京都天龍寺の庭をつくった夢窓疎石(むそうそせき)は建長寺で修行
夢窓疎石(むそうそせき)→ 禅僧・作庭家。枯山水を生んだことで知られる
京都の禅の庭のルーツは鎌倉
北条氏がつくった建長寺 → 中国から新しい文化を取り入れ、京都へ影響を与える
極楽寺 → 鎌倉時代に建立、北条重時によって創建
全盛期には、金堂、講堂、十三重塔などの伽藍のほかに、49の塔頭を備えた大寺院だった → 今は山門と本堂を残すのみ
忍性(1217〜1303年)→ 鎌倉時代に活躍した僧侶。奈良から鎌倉にやってくる。190ヵ所の道の整備をおこなった。
五輪塔 → 忍性のお墓。鎌倉時代のものでこれだけ大きく当時の姿をとどめているのはめずらしい
鎌倉幕府は国の公共事業やインフラ整備を忍性に依頼
極楽寺絵図 → 見渡す山々までぜんぶ極楽寺 → 巨大寺院
金堂が3つ → 奈良の興福寺の伽藍配置
東寺(京都)・室生寺(奈良)・熊野那智(和歌山)・東大寺の大仏(奈良)
熊野三山 → 熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ 熊野新宮)・熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)・熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)という熊野神社の総本宮
元寇 → 鎌倉時代、モンゴル帝国が2度にわたり日本に攻め込んだ事件
モンゴル帝国の支配下になる可能性があったため、日本の霊場、神様、仏様を鎌倉に疎開、コピーをつくった
鎌倉大仏も奈良東大寺の大仏のコピー
金沢北条氏 → 港の管理、朝廷との交渉役
金沢文庫 → 鎌倉時代に金沢北条氏がつくったプライベートライブラリー。金沢北条氏が集めた書物が収められている。
称名寺とはトンネルでつながっていた
鎌倉幕府滅亡後、称名寺が金沢文庫の書物を守ってきた
およそ11万点におよぶ資料のうち、およそ2万点が国宝に指定
国宝「文選集注(もんぜんしっちゅう)」→ 古代中国の詩文集「文選」の参考書。諸葛亮孔明などの有名人物の名言集のような書物。
金沢北条氏みずから京都などで書き写したものも多い
歴史、文学、法律、日記などあらゆる分野の書物を書き写した
文化的レベルや政治に関する知識など、京都と格差があったため、金沢北条氏は鎌倉のために勉強した
蓬左文庫(ほうさぶんこ)→ 尾張徳川家ゆかりの文庫
金沢北条氏によって書き写された「源氏物語」が幕府滅亡後に誰かによって持ち出される → 足利将軍家 → 徳川家康 → 尾張徳川家と渡る
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