ブラタモリ日記その25 「山形 #243」 2023.7.22
歴史好きのボクとしては、やはり最も興味深かったのが最上義光だ。戦国時代の歴史で最上義光の名はちょいちょいと出てくるのだが、これといった決定的な活躍はそう多くなく、どちらかというと歴史の脇役のような印象だ。
ところが、関ヶ原の戦い後の石高をみると57万石で、なんと全国5番目の石高なのだ。大大名だぞッ。どうやら関ヶ原の戦いにて、山形出羽国で行われた慶長出羽合戦で家康を狙う上杉軍を食い止めたことが評価されたようだ。
実際、最上軍が上杉軍を食い止めていなければ、家康は上杉景勝と石田三成によってはさみ撃ちにあうのだ。また上杉軍を食い止めたからこそ、家康は安心して石田三成と対峙できたといえる。それだけ重要な働きをしたのだが、やはり中央の関ヶ原とくらべると印象がうすいのはいなめない。
また、個人的には大河ドラマ「独眼竜政宗」で原田芳雄さんが最上義光を演じていたのを思い出す。義光の妹で、伊達政宗の母でもある義姫と結託し、政宗を毒殺しようとしたのを記憶している。(史実かどうかは知らんけど…)
その毒殺計画は失敗するのだが、政宗は自分を殺そうとした母への怒りを、母の溺愛する弟・小次郎にむけ、小次郎を殺してしまうのだ。なんとも言えないおぞましさで、それらのシーンは強烈に覚えてるのだが、では義光はというと脇役として記憶しているだけだ。
そんな義光だが、最初は東北の小さな勢力だったのが、ほぼ一代で東北屈指の大大名にまでのし上がったのには恐れいった。調略を駆使して領土をひろげ、いっぽうで合戦では勇猛果敢な戦いぶりだったという。
しかし、まあ残念ながらお家騒動などで栄華は長くつづかず、外からきた大名がかわるがわる治めるたびに石高は減少。江戸時代後期には5万石に。
「栄華盛衰」。歴史のおもしろさのひとつに「栄華盛衰」がある。まさにこの言葉どおり、山形は今度は紅花の商売で生まれ変わるのだ。その紅花の商売も陰りはじめると、次はおなじみさくらんぼで繁栄する。
山形は名将最上義光を生んだ土地だけあって、なにごともあきらめずに何度でも生まれ変わって再起する土地なんだなぁ、ふむふむ。
「山形は何度でも生まれ変わる?」
立石寺(りゅうしゃくじ・通称 山寺)→ 平安時代(860年)天台宗の高僧 円仁によって建立
「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」松尾芭蕉
年間70万人以上の観光客
1015段の石段
凝灰岩(ぎょうかいがん)→ 火山灰などの火山噴火物が堆積してできた岩石
約800万年前、大規模な噴火
雲形侵食 → 凝灰岩にふくまれている小石が落ちて小さな穴ができる → 雨が降ると水が侵食し、穴の周りに結晶ができる → 結晶が大きくなって岩ごとはがれ落ち、穴が大きくなる
1mくらいの穴ができるのに1000年〜1万年
最上義光(初代山形藩主)→ 戦国時代〜江戸時代にかけて山形周辺をおさめた武将
1600年、最上義光は上杉軍と戦い(慶長出羽合戦)家康の天下統一に貢献した
1602年ごろの石高(徳川、豊臣を除く)
1位 前田利家 119.5万石
2位 結城秀康 67.0万石
3位 伊達政宗 60.5万石
4位 蒲生秀行 60.0万石
5位 最上義光 57.0万石
6位 島津忠久 56.0万石
7位 黒田長政 52.3万石
8位 加藤清正、池田輝政、松平忠吉、小早川秀秋 52.0万石
金箔瓦 → 織田信長や豊臣秀吉が使用し、当時の権威の象徴だった
城の大きさ
1位 江戸城 2082 ha
2位 大坂城 400~500 ha
3位 小田原城 348 ha
4位 名古屋城 300 ha〜
5位 山形城 235 ha 東京ドーム 50個分
江戸時代初期は武士の屋敷が立ち並ぶが、後期には畑や田んぼばかりになる
57万石から5万石へ
最上家はお家騒動などが原因で飛ばされる
外からきた大名がかわるがわる治めるたびに石高は減少
江戸時代後半から、紅花の商売で生まれ変わるの
最上紅花は全国の半分ちかくを生産
米の100倍、金の10倍の価格で取引
殿様の力が弱いぶん、自由な商売ができた
江戸時代末期、海外から安い紅花が輸入される → 山形の紅花需要は減少
山形県郷土館 文翔館 → 明治時代の最初の県庁
三島通庸(みちつね)→ お堀の外側に県庁を建てる → 山形を新しい都市へと生まれ変わらせようとした
東北初の西洋風官庁街 → 全国屈指の先進都市に
明治9年、産業試験所を建設 → さくらんぼの苗を取り寄せ、商品作物としての礎をきずく
山形産さくらんぼは、全国シェアの約7割を占める
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