わし流 にいがたブラタモリの旅 その17 『日本遺産「北前船」の文化財を巡る日帰りツアー』 ③ 旧小澤家住宅と魚や片桐寅吉 編
さて、日和山のつぎに向かったのは旧小澤家住宅。江戸期後半から新潟町で活躍した小澤家の店舗兼住宅で、平成14年に小澤家から新潟市へ寄贈されたという。へぇ〜、意外と最近なんだな。
初代当主である小澤七三郎が江戸期に米取引を始めたことが最初。着実に財力をたくわえ、明治になってから北前船で廻船業に進出する。その後、廻船問屋へと転換し、運送・倉庫業、地主経営、石油商など事業の規模を拡大していって、ついには新潟を代表する商家となっていくのである。
江戸期の新潟町。おもしろいのが商売の内容によって、場所がきちんと区分けされているんだな。どこでも何でも商売していいわけではなかったようだ。なぜだろう。これはもう一度旧小澤家住宅へ行って聞きたいところだな。
いや〜、大失態ッッ。画像の上のほうが切れとるがなッッ。松前藩(北海道)のニシンの部分。この図は小澤家の北前船(観徳丸)の航海記録である。
①【 6月下旬】尾道で塩を買う。
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② 【6月下旬】下関で鰹節・紙・蝋・七島・砂糖・そら豆を買う。
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③ 【7月下旬】新潟で七島・紙・砂糖・そら豆を売る。米を買う。
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④ 【8月上旬】荒浜で米を買う。
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⑤ 〜 画像が切れているため不明 〜
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⑥ 【9月下旬】下関で数の子・ニシン〆粕を売る。↓
⑦ 【11月下旬】大阪でニシン〆粕を売る。
⑤の松前藩の部分、これももう一度旧小澤家住宅へ行って確認しなければッ
それからもうひとつ。 旧小澤家住宅には素晴らしい庭があるのだが、そこには各寄港地から北前船で運ばれた珍しい石がいくつもあるのだ。
四国石、紀州石、佐渡の赤玉石などなど。新潟でたくさんの米俵を積んだ北前船は各港で米を売り、そして帰りは塩や昆布を積む。とうぜん行きの米俵のほうが重く、帰りは軽くなるので航行が不安定になってしまうのだ。そこで石を積んで重さを調整して船を安定させたのだそう。
そうそう、ブラタモリ酒田編であった本間家の庭にもそんな珍しい石がたくさんあったが、うん、そんな感じ。庭のことはようわからんけど、庭全体の風情という点ではどうなんだろって思うが、石単体を鑑賞するにはおもしろいと思う。
よし、もう一度旧小澤家住宅に行ったときは、今度は石をひとつひとつ写真に撮って、どれがどこの石なのかを記録しよう。
公式サイト
https://www.nchm.jp/ozawake/
お次は昼食に「鮮魚問屋直営 魚や片桐寅吉」へ。明治37年創業の魚問屋片桐家の住宅を、5代目社長が海鮮料理店としてオープンさせたという。
で、ここでまたもや大失態ッ!昼食にこちらの海鮮丼をいただいたのだが、写真撮るの忘れてしもたがなッッ!
というのは、入店するとまず 4テーブル(だったかな?)に分かれるのだが、とくに席が決まってるわけではなかった。午前から皆さんといっしょにバスで観光したとはいえ、そう簡単に打ち解けるものではない。
そのため自分が誰とどこに座ればいいのか、まずはここで頭を悩ます。そしてなんとなくの流れでとりあえずひとつのテーブルにつくのだが、当然同じテーブルの方々がどこの誰でどんな方かなどわかるわけがない。人見知りのわしはここで何を話そうか話題に悩む。
知らない方々ばかりだからといってずっと無言ってのもヘンだろ、なんかしゃべったほうがいいんじゃないか? でも何しゃべればいいんだ? いやまて、ヘタにしゃべってスベったらどうする。ってか、普通の会話にスベるもなにもないだろ。でも沈黙はきついぞ。 どうする? え?どうするよ? わしはどうすりゃいいのだ??
そんなことが頭うずまいて食事どころではない。ましてや写真撮るなんて頭から飛んでしもたがな。料理も美味しかったかどうかわからない。またどんな味だったかも覚えてない。かろうじて海鮮丼とみそ汁が出たのは覚えているが、他にあった一品料理がなんだったかなんてまるっきり覚えてない。
いやはや、ちょっと考えすぎかな? 周りに気を使いすぎなんかなぁ……とりあえずは当たりさわりのない会話をしたにはしたが、せっかくのお料理、なんも覚えてないよ……もっと図太く生きたいもんだよ、いやマジで。
……などと振り返るのであった……とほほ。
つづく