場面緘黙症ブログ「12歳の私が伝えたかったこと⑦」 〜運動会の思い出〜
4歳の時、幼稚園入園をきっかけに「場面緘黙症・緘動 ※」を発症した娘。
その後不登校やパニックなどを経験し、ようやく自分を振り返ることができた12歳の頃に綴ったブログを再構成しました。
(※場面緘黙症:家庭では話すことができるのに、社会不安のためにある特定の場面、状況では話すことができなくなる疾患。強い不安により体が思うように動かせなくなる「緘動(かんどう)」という症状が出る場合もある。)
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私は幼稚園の頃、幼稚園ではおしゃべりができない場面緘黙症でした。
おしゃべりだけじゃなくて、私は自分では体も動かせませんでした。
でも私は、お遊戯会や遠足、マラソン大会などの行事には先生や友達がすぐそばで私の手や体を動かしてくれたりして参加しました。
運動会にも出ました。
年中の時のかけっこでは先生に体を支えられて、ぼてぼてと押されるように動きました。
私だけとても遅れてゴールしたので、みんなから注目されてすごく恥ずかしかったのをおぼえています。
年長の運動会のクラス対抗リレーでは、仲の良かったお友達が、私の番の時、手を引いて一緒に走ってくれました。
私は友達と全速力で走りました。
私のクラスは一位になりました。
その時、表情も体も動かせなくて、声も出せなかったけどすごくうれしかったです。
私が6年生になった頃、実は幼稚園の運動会の前、私がリレーに出るかどうかクラスのみんなで話し合ったことをお母さんに聞きました。
私が幼稚園を休んだ日に先生がみんなに、
「リレーはほほみちゃんには見学してもらう?」
と聞いたら、みんなは、
「嫌だ!ほほみちゃんと一緒がいい!」
と答えてくれたそうです。
「だけどほほみちゃんは動けないかもしれないよ。そしたら負けちゃうよ。」
と先生が言うと、
「それでも一緒に走りたい!」
と言ってくれたと聞きました。
見られることがとても苦手だった私は、運動会に出るのはとても恥ずかしかったし、特にリレーは自分は走れないから出たくないと思っていました。
でも、お母さんの話を聞いたとき、すごく感動したしすごくうれしかったです。
そんな風に思えたのは、私がお菓子作りや、ミルクボランティアで自分に自信を持てるようになった頃にこの話を聞いたからだと思います。
もし、自分が嫌だった頃に聞いていたら、
「なんで聞いてくれなかったの?」
「私の気持ちも聞いてほしかったし、自分で決めたかった…」
と感じたと思います。
でも、今では、
しゃべれなくて、動けない私がリレーに出たら、負けるかもしれなかったのに、私と一緒に走りたいと言ってくれてありがとう!
とみんなに言いたいです。