[場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)・緘動(かんどう)・発達障害・不安障害・不登校などの生きづらさ]への理解 第13話 「“報いる”どころじゃない」
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長女は4歳の時、幼稚園入園をきっかけに場面緘黙症・緘動(※1)を発症しました。
二女は8歳の時分離不安障害(※2)と診断されました。
※1:家庭などでは話すことができるのに、社会不安のために、ある特定の場面、状況では話すことができなくなる疾患。強い不安により体が思うように動かせなくなる「緘動(かんどう)」という症状が出る場合もある。
※2:分離不安障害とは愛着のある人物や場所から離れることに対し、過剰な不安と苦痛を感じる精神医学的障害のひとつ。
症状のでかたや困難さはそれぞれかと思いますが、娘の場合を伝えていきます。
14歳の長女、そして11歳の二女は共に小学一年生の途中から、生徒のいる学校には通えなくなりました。
数年の間は生徒たちのいない放課後の学校へ登校したり、週一回の通級指導教室へ通っていました。
先生方は娘たちの状態を理解してくださり、決して無理を強いるようなことはありませんでしたが、娘たちにとっては緊張感や心配事も多く、その都度負担は大きいものでもありました。
それは学校や先生のせいではなく本人たちが抱える課題です。
長女のパニックや二女の心因性の体調不良なども重なり、娘たちが家を出て学校へ向かうことが難しくなってからは、先生方が定期的に家庭訪問してくださることになりました。
しかし、わざわざ足を運んでくださっても顔を見せられないこともよくありました。
ありがたいことに、そんな娘たちの存在をあたたかく守り続けてくださり、時折クラスメイトからのお手紙などを届けても下さいました。
とても嬉しい気持ちがほとんどですが、娘たちや私たち親の心は、時に複雑でした。
愛情に溢れた学校とのご縁や、思い続けてくださるお友達や先生方に応えていない自分自身の無念な思いや罪悪感。
その思いを伝えると、カウンセラーさんは言いました。
「報いる、どころじゃないんですよね。」
「待っていてくれる先生や友達に残念な悲しい思いをさせてるかもしれない、少しでもこたえたい。
でも、実際今は、それどころではないんです。
心とからだが元気になることが第一。
これは、不義(ふぎ=人として守るべき道にはずれること。また、その行い。)ではないです。」
と。
いつの間にか、学校ありきでもない、子ども本人ありきでもない、そんな矛盾をズルズルと引きずっていた自分に気づき、少し吹っ切れた瞬間でした。
娘が元気になることが一番の恩返しか……♡
言葉の力ってすごいなぁと改めて感じたのでした。
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例は、娘のケースです。
すべての場面緘黙症・緘動の症状にあてはまるわけではありませんが、知ってもらうことはとても大切だと改めて感じています。
(注)私たち家族は長女が診断されて以来、下の二人の娘も含め、療育、相談、医療の機関に定期的にカウンセリングに出向き、登校できなくても、在籍する学校の先生と連携を取っていただいています。