11 俺らは戦友同士なんちゃうんかい #喋ってなんぼ駒井の「独り言ちてなんぼ!」
音声は以下に上がっています! このnoteと同内容を喋ってますので、ぜひ音声でもお聴きください〜
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人前でスベるという経験
俺は小学校のときから漫才をやったりしてたんやけど、まあ言うても知り合いしかおらんとこでやるぐらいのもんで、内輪の話を織り込んだネタばっかりやったし、まあやってる方も見とる方も小学生やっちゅうのもあって、ぼちぼちウケとったんよね。そのあと中学に入って、しばらくそういったお笑いみたいなコンテンツを自らがやるっていう文脈からは遠のいとったんやけど、高1のときに、灘の文化祭で行われてる漫才のコンテストであるN-1グランプリに出場して、それがいわゆる「知らんやつが大多数の状態で漫才をする」という最初の経験やったわけやな。N-1っちゅうのは基本的に全組2本ずつネタをやるんやけど、そのときは、1本はぼちぼちウケてもう1本はそないやって、まあ今から思ったらスベってたんやけど、初出場やったこともあってそこまでダメージはなかったんよ。でも、高2で再出場したときに、1本目で引くほどスベって、そっちのネタの方が自信あるやつで前評判も良かったからかなりキツかった(一方で2本目は予想外にもかなりウケて助かった)。懲りずに出たラストイヤーでも、1本目で結構スベって、2本目もぼちぼちやったから、結局あんまり好成績を残すことはでけへんかったわけやな。今から思えば、ほんまにセンスがそないなんはしゃあないとして、もっと努力できたなあ。もっとちゃんと体系的に漫才と向き合っとったら良かったわ。まあなんにせえ、N-1はぼちぼちスベりがちやったっちゅうことやな。
バラエティのチームプレー
このように漫才、まあ漫才に限らずステージ上で何かを演じるという場合、何が怖いって、演者がその演目で倒れた(スベった)場合の軌道修正がなかなか難しいことやねんな。もちろん客は暗いとこから見てるだけ、あんたらでなんとかしてみぃ、笑かしてみぃ(盛り上げてみぃ)と言わんばかりの沈黙や。まあそらそうやねんけど、非常に怖いとこではある。その一方で、バラエティ番組的なコンテンツの場合、出演者は皆チームプレー、誰かがスベったら誰かがフォローして笑いに変えるというタイプの協力が常時行われるわけで、台本がかっちりしてない分、ウケようがスベろうがその場の空気を見て発言するという“基本”が変わらんから臨機応変にやりやすいと思うねんな。もちろんバラエティ的なやつも客の前でやってスベり散らかすことは往々にしてあるわけやけど、違う立場としての出演者がいっぱいおるからまだなんとかなるという要素があるように思われるわけや。
東京の人間はほんまに冷たいのか
さて、関西でようある言説として、「東京の人らってえらい冷たいねん」っちゅうのがあって、冷たいってどういうことなんやろ、ほんまかいなと俺は思ってたんやけど、大学で東京に出てきて「なるほど、そういうことか」と完全に実感したんよな。なんというか、「冷たい」っていう単語を使うとかなり語弊があるという感じもしてて、それを今日は詳しく喋っていきたいと思うんやけど、ここでさっきの「漫才を見てる客」と「バラエティの出演者」の概念を援用すると、非常に明瞭に喋れそうに思うわけや。すなわち、日常会話の中に出現するちょっとしたしょうもない冗談とかに対して、東京の人間は「漫才を見てる客」としての反応を、関西の人間は「バラエティの出演者」としての反応をしがちという傾向が見られるということなんよ。
東京の「客」
以下、今日は肌感覚にしか基づいてへんタイプの話が続くから、そない一般化されるものではなくあくまで駒井の周辺の傾向としての話をしとるんやということと、芸人世界とは全く違う市井の人々の日常会話を対象に言及したものであるということの2点を強く念頭に置いといてほしいんやけど、たとえば、しょうもないことを言うたときに、どっちの方がウケやすいかっちゅうたら基本的に東京の方がウケやすいと感じるねんな。これぐらいのことやったら関西ではウケへんなあみたいなことでも笑いになったりするから、一方では「ぬるい」環境やと思うんよ。まあでもなんぼウケやすい言うたかて、尖ったこと言うたりとか慣れてへんボケをかましたりしてスベることも当然あるわけで、そのときの状況はかなり恐ろしいもんがあるわけや。すなわち、手ぇ差し伸べてくれる人がほんまに少ない。いや、「スベっとるやないかい!」は? それがないとスベったやつはスベりっぱなしやで? ええの? ええのんか? と心の中で思いながら撃沈していく羽目になるわけやな。たまに「スベってるね」みたいなこと言うてくれる人もおるんやけど、なんか全然スベったやつに寄り添ってる感じがせえへんねんな。むしろめちゃくちゃ突き放されてるように思ってまうんよ。同業者のフォローっちゅうよりどっちか言うたら客が感想をフラットに言うてきてる感じやねんな。「スベっとるやないかい!」て言われたら「いや〜完全に空振ってもうた」とか言えるけど、「スベってるね」にはそう返されへんような雰囲気があって、このように、東京は「客」として反応してきがちゆえ、ウケやすいねんけどスベったときがほんまにしんどいわけやな。
関西の「戦友」
それで言うと関西では、日常会話における態度があんまり「客」っぽくない、むしろ「戦友」という感じがする。だから、誰かがおもろいこと言うてそれにみんなでわろてるときも、それは決して話者の演芸に客席からわろてるわけではなくて、あくまでも話者とおんなじ立場としてわろてるっちゅう感覚が強い。おもろいこと言おうとする精神は多くの人が持ち合わせてるもんである、という感覚は無意識のうちに全員に共有されてるから、おんなじやつが笑いを取り続けることも稀で、大概はいろんなやつがいろんな方向性から笑かしてくる。そういう環境におると、たとえば誰かがスベったときっちゅうのは戦友が事故ってるときみたいなもんで、そこでフォローを入れるというのは、戦友も助かるし自分も笑いの表出に寄与できるし一石二鳥、やらんという手はないわけやな。たまにフォローしたやつもスベって2人で共倒れなることもあるんやけど、代わりはなんぼでもおるわけで、誰か3人目が「いや溺れかけのやつ見て飛び込んだはええけど自分も流されるやつか」とか適当に言うといたら(まあそれもスベる可能性あるけど)どっかで収拾はつくんよ。そうなったら2人目も「飛び込んだ勇気は評価してや」とか言うて話を持っていけるし、1人目も「ええ、そないひどい溺れ方しとったかなあ」とか繋いだらなんとかなるわけやな。
娯楽と文化
結局、東京であろうが関西であろうが、笑うんはみんな好きやねんけど、関西では笑いがぼちぼち必須アイテムなのに対して、東京では「オプション」扱いなんやろうな。そこにおもろいやつがおったらおったでええけど、絶対に必要か言われたらそんなことないみたいな。多分やけど、東京っちゅうか関西以外の人にとっては、「意図的におもろいこと言う」っていうのは一部の限られた人しかやらんことなんちゃうか? いわゆる「お笑い担当」みたいなやつに全部任せっきりで、それを自分らは客席で見てるんちゃうの? それはあまりにもそいつの荷が重いで。よっぽどおもろいやつやないと務まらんで。だから、そういうやつはもう芸人とか目指しがちやろうし、そういうやつのおらんコミュニティも山ほどあるんやろうな。結局東京ではお笑いは娯楽に過ぎひんのよ。大学お笑いって関西と東京やったら東京の方が盛んで、それは一見すると意外な事実やねんけど、意図的におもろいこと言おうとするプレイヤーが少な過ぎて、そういうやつらが一同に会する場を設けるインセンティブが高いんやと考えれば納得がいく。関西はもうみんなって言うたら言い過ぎやけど半分くらいの人はプレイヤーで、全然おもろない奴さえプレイヤー気質を持ってたりするわけで、もうお笑いが文化なんやと思うな。
孤独な戦い
そういうわけで、東京出てきてからめちゃくちゃ感じてきたことを言語化すると、「いや俺らは戦友同士、プレイヤー同士なんちゃうんかい」ということに尽きるな。東京やともう全然みんな遠いとこにおるわいっつも。客席から見てるやろ、俺のこと。もっと一緒にやろうや。ほんまにいっつも孤独やねんな、そういう意味では。一人でやってウケたりスベったりを繰り返してや。俺はプレイヤー気質なだけであって、「お笑い担当」が務まるほどはおもろないねん、お前らもプレイヤーになってくれよっちゅう話やな。ていうかね、東京はやっぱりスベったときが怖過ぎて、そんなとこで育ったらだいぶおもろないとプレイヤーになりたいと思わへんのちゃうかな。それが完全に悪循環を招いてるわ。もちろんプロとかとは全然ちゃうから、プレイヤーやからおもろい、客やからおもんないということでは決してないんよ。東京にもぼちぼちおもろいやつはそこそこおって、もっとプレイヤーやったらええのにと思うんやけど、そういうやつも客をやってがちなんよな。関西なんて、さっきも言うたけど全然おもんない奴さえプレイヤー気質やったりすんねんで、それでゴリッゴリにスベりたおしてたりすんねん、それと比べたら自分の方がよっぽどおもろいねんからプレイヤーやったらええがな、と思うやつは何人もおんねんけどなあ。惜しい話やでほんまに。でも、関西におるときに俺らの過半がプレイヤー気質であることを全く自覚してへんかったのと同様に、東京の人らも、自分らが客気質であることに自覚なかったりするんやろなあとも思うけどな。
「ツッコミ」の方がまだ得意
まあそんなこんなで、再三言うとる通り関西にはプレイヤー気質なやつがいっぱいおって、それゆえ自分の得意分野で役割をしっかり果たせばそれで良かったんよな。逆に言うと、自分の弱み強みみたいなんを分かっとかんと、たとえプレイヤーであってもおもろいやつとはみなされへんという感じもする。で、やっぱり花形は「ボケ」やね。おもろくボケれるやつっていうのはやっぱりめちゃくちゃおもろいし、その辺にはおらんのよ。天然ボケというか、存在がおもろいみたいなタイプは日本全土にようけおるけど、意図的にボケるやつって関西でもあんまりおらんのよな。俺も例に漏れずボケは苦手で、漫才でもツッコミやったし、ネタは基本的に俺が書いててんけど、ええボケってほんまに思いつかへんのよな。況や日常生活をやって感じで、常日頃からボケれるやつは尊敬の念を抱かざるを得んかった。まあそんな感じであるがゆえに、「ツッコミ」は倍率が高いねんけど、俺はぼちぼちツッコミに関しては得意な方やと思ってたな(ここで改めて申し上げとくと、これはいわゆる習い事としてのサッカーの世界であって、プロとかと比べたら桁桁桁違いにおもんないし下手くそであることは重々承知している)。もちろん、俺よりツッコミうまいなってやつもそこそこおるんやけど、目ぇも当てられへんってほどではなかったと思うわけや。
東京で苦手分野を鍛える
まあそれゆえ、日常会話においても「ツッコミで笑いを産む」という役割に徹しがちで、そないボケることはなかったわけやねんけど、東京へ出てくるとそうもいかんようになってくる。なんせ、意図的にボケることを習慣にしてる人が関西よりも少ないから、場に存在するボケの量が足りてなさすぎて、慣れてへんけどボケてみよかと思う文脈が出現しだしたわけやな。ほんで俺はボケ慣れてへんから、しょぼいボケしか出されへんし、しかもボケ単体というよりは(もともとの性分がツッコミであることもあって)ツッコミを前提としたボケになりがちで、ボケ自体も弱いし分かりにくいのにその場にツッコミもおらんっていう状況下でゴリゴリにスベるっていうのがようあったな。ていうか今でもしょっちゅうあるな。いや誰かツッコんでや、と思うけど、ボケ自体もおもろないからそんな贅沢言える立場ではないし、周りのみんなもそもそもプレイヤーではないから役割としての「ツッコミ」を遂行するという発想もなく、ただただスベる。ほんで序盤に散々言うた通り、東京はスベったらフォローがないから、ぼちぼち地獄なんよな。あとは、関西ではツッコミを中心にしてたということもあってあんまりいじられることがなかったんやけど、東京ではやはり「異分子」としていじられることも増えて、いじられんのも俺はめちゃくちゃ苦手やから、最初の方は苦労したな。でも、これまで机上の空論的にしか考察してこうへんかった「いじられる側」の気持ちを身をもって実感できてるのはほんまにええ経験さしてもろてるなとも思う。まあ東京では笑いに関する全分野を一通り担当させられることを通して、苦手分野である「ボケ」、そして「いじられる側」としての振る舞い方みたいなんに関して演習を積めたかなというところやな。まあ依然としてそれらは苦手ではあり続けてるし、ボケんのがうまいやつ、いじられんのがうまいやつへの尊敬はほんまに増すばかりやわ。
一緒にプレイしませんか
まあ今日は長々と日常生活における笑いに関して、関西と東京(の、それぞれ俺のおった環境)を比較してきたわけやねんけど、マジでこれは傾向の話であって、どちらの地域にも例外はゴロゴロおるっちゅうのはほんまによろしくな。まあでもほんまにね、東京の人ももっと意図的におもろいこと言おうとしてほしいですね。スベったときのリスクがごついってのも分かる。確かにスベるんは怖いし、たとえ慣れても決して気持ちのええもんではない。でもその何倍も笑かし合える可能性があると思ったら素敵なことやないか? というわけで、今日はもうだいぶ長なってもうたんでこの辺で。ではでは出羽山脈〜〜
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