06 恋愛とコロナの「帽子被っといてくれや」 #喋ってなんぼ駒井の「独り言ちてなんぼ!」
音声は以下に上がってます!このnoteと同内容を喋ってますので、ぜひ音声でも聴いてみてください〜
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夏やん
えらいもんで、なんか最近いきなり夏みたいな天気なってもうてほんまびっくりしてんねんけどみんな元気してますか? いやほんま夜とかも夏特有の匂いし出してきて、俺らの春は一体どこいってもうたんやっちゅう。こうして生活が静かに、なんやったら止まったような感じなっとっても、季節はしっかり移ろっていきよるんやなあ〜言うてな。まあでもこれからどんどん暑うなってきたらぼちぼち怖なってくるんが熱中症で、俺とかもこの自粛期間中に近所走り始めたりしとうからより一層気ぃつけなあかんなあっちゅうことで、正直あんまり好きちゃうんやけど帽子とか被った方がええんやろかとも思うわけやねんけど、今日はそんな帽子についての話をしたい。と言うても俺が被るんやなしに、みんなに被っといてもらいたいわっちゅうことなんよな。
帽子の話の前に
04「男子校病の実相<後編>」とか、05「ではでは出羽山脈」とか挟まっとったからやや時の流れがよう分からんようなってもうたりしとるかと思うんやけど、と言うかまあ正直これからもそない厳密に時系列を辿っていく気は無いんやけど、一応こないだ大学入学して直後くらいの話をしとったわけで、今日はその続きくらいの話や思って聞いといてくれたらありがたい。まあそれがなんや言うたら、人と付き合うってどういう感じなんやろっちゅう話やね。いやお前また女の話かいて思う向きもあるやろしそれはほんますんませんってことやねんけど、中高の環境が環境やったから最初のうちはある種しゃあないみたいなとこあんねん、許してくれ。ほんでたまたま後からそういうコンテンツを抜き出して今こうして喋っとるだけで、ずっとこんなこと考えてたわけとちゃうから、っていうこの自己弁護もクソきしょいわけやねんけど。
大学初期に(勝手に感じてた)風潮
まあでも中学高校では正直そないまともには人と付き合ってきてへんかった、まあ言うたら定期的にどっか遊びに行くとかしたことなかったから、人と付き合うっていう営みについては当然気になるよな。正直がっつり付き合った彼女とかがおらへんかった以上、彼女が欲しいんかどうかも別にはっきりとは分からんかったんやけど、とりあえず男子校出身者が同じ巣から飛び出て各々の社会生活を営んでいくにあたって、そういう情報は「あいつ彼女できたらしいで」「へえ〜」みたいな感じで興味深い出来事みたいな雰囲気で流れてくるし、なんとなしにやっぱりなんやろなあ、彼女おった方がおらんよりええやろっていう(これまで過ごしてきたクソ狭い)社会の風潮みたいなんも相まって、いっぺん人と付き合ってみたいなっていうのはめっちゃ思ってたな。まあこれもなあ、今から思い返せばほんま男子校女子校上がりの人間がひしめく東大でさもはびこりそうなしょうもない風潮やし、別に2回3回4回なっていくにつれてそういう感じでもなくなっていくんやけど、やっぱり当時はそういう感じしてたな。でもこれは今でも思うことやねんけどや、恋愛ってほんま運ゲーで、誰かに好きなってもらえるか自分が相手のこと好きなるかの二択やん? ほんでまあ前者のパターンはそない期待できるもんとちゃうから、それゆえ後者をベースに考えるっちゅうことやけど、別にめっちゃ好きになれる人がそないポンポン出てくるとも思われへんから、さてどうしたもんやろ、困ったなっちゅう話になるよな。
感情コントロールが上手(全く褒められたことではない)
でも俺は、これも大学生活が長なってくるなかで気付いたことやねんけど、喜怒哀楽の中の「喜・哀・楽」を自分でコントロールすることがどうやらかなり得意な方で、なんとなく「そう思おう」と思ったように思える部分が結構あるんよね。そこで俺は、(これも今から思えばこうやったな、ていう話やねんけど)「ええなって思った人のことを好きになりにいく」っていうアプローチを取り出すわけやな。これね、引いてもうた人がもしおったらほんまにごめんなさい、気持ち悪いよな、分かるで。ていうか自分でもなんか腹立つし。でもさ、正直考えて「〇〇(人名)狙う」っていうタームがなんとなしに違和感なく使われとう今日この頃やけど、狙うってめっちゃきしょない? 「狙う」っていう単語を辞書的に説明したら俺の取ったアプローチと一緒、というかむしろそれより酷いまであるやろ。だから俺のことをきしょいと思わんといてくれ。いや思ってくれてもかめへんっていうか思われたら思われたでしゃあないとこもあるやろうけど。
いや彼氏おるかどうか分かる帽子を被っといてくれ
でもこのアプローチをかけるにあたって1つ非常にセンシティブな問題が立ち現れるわけで、それがなんや言うたら「彼氏おるやつ好きになってもうたら自分が苦しむだけやからシンプルに避けたい」っていう問題ね。いやもちろん、彼氏おらへんかったとしてもフラれる可能性は十分にある(し実際フラれたこともある)からそんな100勝てる試合なんちゅうのはなかなかあれへんわけやけど、もし彼氏おったらほぼ100負けるやん。なんぼ感情のコントロールが得意や言うたかて、好きなってもうたらそっから恋愛感情を抱かへん状態に戻るようにコントロールすんのはさすがにしんどいから、とりあえず彼氏おるやつのことは好きになってもええこと1個もないなっていう感覚はあって、だから本格的に好きになりにいく前に彼氏の有無ぐらいは確認しときたいわけやねんけど、それがなかなか分からへん。そこで、「いや彼氏おるんやったら『彼氏おるで』の帽子を被っといてくれ!」っちゅう気持ちになるわけやな。いや当然そんなんプライベートのことやし敢えて明示するようなもんちゃうんは分かってんねんで、分かってんねんけど、でもそういう、そない仲良うない状態では聞きにくいようなコンテンツやからこそ、見た目で分かるようにしてほしいっちゅうことなんよ。直で聞くんは憚られたりするから間接的に情報を得たいと思うわけやねんけど、それもほんまにめんどい作業やしね。ほんでさっきも言うたけど、彼氏おらんことが分かったとて付き合えるとは全然限らんわけで、彼氏の有無なんちゅうのはなんやったら最初に知っとくべき事柄にもかかわらず、だいたい恋愛の中盤ぐらいで発覚しがちっていう、いや怖過ぎコンテンツが過ぎるでほんまに。
このコロナ禍の中で
っちゅうわけで恋愛にまつわる帽子の話をしてきたんやけど、なんで今日こんな話をしてるかと言うと、最近また、恋愛とは全く異なる文脈で「帽子被っといてくれや案件」に直面してるからやねんな。それはなんやっちゅうたら、ズバリ「このコロナ禍の中でみんなどれくらい気ぃ遣うべきやと思ってんの?」という、まあ言うたら思想の帽子を被っといてほしいっちゅうことなんよ。ここで俺がまず率先して帽子を被っとくと、俺は「密になるような状況を避けつつ好き勝手に行動してもええやろ」派やねんな。まあだからマスクしとったら人とある程度会ってベラベラ喋ってもええと思ってるし、屋外で人のそないおらんとこ一人で歩いたり走ったりするぶんにはマスクも着けんでええやろと思っとるわけや。もちろん頻繁にアルコールティッシュとかで手ぇ拭くとかはしてるけど、まあ別にそない自粛せんでも、いろいろ気ぃつけながらやったら不要不急の外出してもええんちゃう?と思ってるわけやな。でも正直、厳しい人はほんまに厳しいやん? 最近は自粛してへん店にいちゃもんつけるような自粛警察みたいなんも散見されるしや。まあ流石に知り合いにそこまでのんはおらんと思うけど、でもみんな何考えてるかよう分からんから気軽にこの話でけへんねんな。
未曾有の騒がれ方ゆえ
いやこれがな、普通の政治の話とかな、そういう話題やったらまだええねん。というのは、そういうずっと存在し続けてる話題の場合、人の思想ってある程度その人の生活に滲み出てくるというか、地雷を踏まんで済む程度にはなんとなく分かってくるやん? それに引き換えコロナは全然そういう風にいかへん。未知のこと過ぎて未曾有の騒がれ方しとうし、素人も好き勝手わーわー言うから結局のところメインの世論も分かれへんし、各国やってること全然ちゃうけどどれが正解かなんてもちろん分かれへんし、とにかくそういうよう分からん情報だけがようけ流れてきよる混乱状態のなかで、たとえ知り合いであってもどういう思想を抱いてるんかがさっぱり分からんのよ。もう何が起こるか分かれへんから、普段の感じ的にユルそうやなって奴が自粛せん人にバリバリ怒り散らかしとったり、逆に普段の感じではめっちゃ神経質なりそうな奴が意外と気にしてへんかったり、そういうこともあるんやろなと思うともう怖過ぎるんよな。だからこの件に関しては、(人に同じ思想を求めるような態度とるんは微妙やけど)「わいはこう思ってるで」ていうのを積極的に教えてほしいねん。地雷を踏みたないねん。
このコロナ禍の中で?!
まあそんなこんなで、特殊な状況下でみんなの思想も想像つかへんくて俺はほんまに困ってるわけやねんけど、でもなんとかして、思想の別を超えてみんなで笑っていきたいと俺は思うわけやな。ほんでこないだ、遂にそのソリューションの1つを編み出してみたから、最後にそれを提案したい。その案のキーワードは「このコロナ禍の中で?!」。このワードの使い方次第でこのカオスもおもろなるんちゃうかと思うわけや。すなわち、今のご時世、人によって「やってええこととやったらあかんことの境目」が大きく異なってきてると思うんやけど、いっちゃんその縛りがキツい奴になりきるんよ。ほんで、誰かのエピソードトーク聞いたときに脳内のそいつが「あかん」て言うたら「このコロナ禍の中で?!」って言うわけやな。これ何がええって、本気の人も本気やない人も同じテンションで楽しめるフレーズやと思うねん。本気で憤ってる人はその憤りを口に出すことができるし、本気で憤ってへん人も本気の人みたいなテンションで言うたらおもろなるし、一石二鳥なんよね。ほんでさらに、「このコロナ禍の中で?!」というフレーズが引き出されれば引き出されるほどおもろなるわけやから、喋る方も「そのフレーズを引き出すためですよ」みたいな顔で好きにエピソードトークできるっていう、もうええことずくめ。とにかく、「このコロナ禍の中で?!」というフレーズを記号として、会話のジングルとして機能させることによって、モノホンの思想にさし当りの仮面を着けた状態で好きなようにお喋りを楽しめる上に、自らの感情、思想についても客観的に、一歩引いた状態で、人に迷惑をかけることなく内省できるっていう、めちゃくちゃ素晴らしいシステムやと思うんよね。
ではでは出羽山脈
ほんでここまで喋ってて急に思い出したんやけど、冒頭で「俺ランニング始めたんやけど」みたいな言うたやん? これ結構な頻度でやってて、最初は家の周り走っとったんやけど、何べんも走ってて正直家の近所の風景とかもう見飽きてもうたから、最近は(もちろんマスクはしてるけど)10kmぐらい電車乗って、降りた駅から家まで走るっていうのやってんねん。
せーの、「いや〇〇〇〇〇〇〇〇〇?!」