見出し画像

実家の片付けをした話

2024年3月、父が入院した。
病状は深刻なものではなく、治療して1ヶ月足らずで自宅退院することができた。

元々父は和室に布団を敷き休んでいたが、退院後はベッドに変えた方が良いのではないかと母から話があった。入院直前の数日間、特に父の体調が悪く、布団から立ち上がるのも大変だったらしい。
介護用ベッドが必要なほどではないだろうと判断し、畳ベッドを注文した。

ベッドを搬入するにあたりいくつかの家具を処分する必要があった。どうせ大きなゴミが出るなら、実家(二階建て一軒家)全体の不用品を一気に処分してもらってはどうだろうか?と思い立ち、母に提案すると快諾された。
すぐに廃品回収業者に家財処分の依頼を行い、1週間ほどで見積もりに来てくれることになった。
見積もりまでに、捨てる物を選別する作業を終わらせなければならない。母と2人で家中を見渡し、クローゼットや押し入れを片っ端から開けて、不用品を決めていく。選別には丸1日費やし、最終的に2トントラック3台分(!)の家財を処分した。

丸1日かけて、実家中の不用品を選別した日のことがとても印象的だったので、記録しておくこととした。
とはいえ既に半年ほど経過しており、忘れていることもあるかもしれないが。

①子供部屋
今回大掛かりな片付けを行うまで、実家の私の部屋だった場所には、私が学生時代に使用していた学習机やランドセル、本棚やテレビ台などがそのまま置いてあった。
私自身も捨て時が分からないままに大学入学のタイミングで家を出た。それからずっと家の2階の一番奥の子供部屋から大きな荷物を運び出すという発想に至らないまま、住人だった私は30代半ばになったが、部屋だけは時が止まったかのようにそのままだった。
不用品選別の際には、思い出に浸ることもなく(そんなことをしている時間は無い)、ほぼ部屋ごとまるっと捨てるものとして、スターバックスの紙袋1つ分くらいのものを残した。残したものは、写真や学生証、祖母や親戚からの手紙など。
そんなこんなでかつて私の部屋だった場所はすっからかんになり、止まっていた時が一気に進んだような感覚だった。


②タイムカプセル
押入れにはプラスチックの衣装ケースが積み上げられ、中には衣類が大量に入っていた。ケース自体も劣化したものが多く処分したかったため、ひとまずほとんどの衣類をケースから出して積み上げてそこそこ大きな山を形成した。
大量の衣装ケースの1つを開けたときに手が止まった。中には祖母が着物をリメイクして作った半纏や、手編みのセーターが入っていた。防虫剤の匂いと共に懐かしい匂いを感じ、10代の頃に部屋で勉強するときにいつも半纏を着ていたことが思い出された。タイムカプセルを開けたときの感覚ってこんな感じだろうか。
もう20年近く存在を意識していなかった半纏だったが、手放すことが名残惜しく感じた。捨てなくてもいいんじゃないかとも思った。かと言って、今の家に持ち帰ってまた着るかと言われると馴染まない。
押入れに詰め込んでいれば、自然に記憶から消えていた思い出の品。対峙して、捨てるという選択をしたら、存在が消えてしまうことを思い知ることになる。片付けって苦しいと思った。
ひとしきり泣いて、半纏を捨てる物エリアに置いた。手放しても大丈夫なように、今回こうして文章に残すことにした。


その他、捨てるタイミングを失っていた電化製品や大量の紙袋、物置と化していた電子ピアノ、こたつ机、食器棚、その他色々なものを捨てたが、まだまだ実家にはたくさんものがある。

あんなに捨てたのに...。
見るからにものが多い家でもないのだが、捨てるか残すかという視点で見渡すと、大量にものがあることを思い知る。

今後もまた何かのタイミングで、実家の生前整理第2段、第3段...を行うことになるだろう。私も元気で居なきゃ。

いいなと思ったら応援しよう!