なぜ老害は偉そうなのか ~古い作品と新しい作品、どっちが上?~
今回は「なぜ老害オタクは偉そうに最近の○○はダメになったとすぐ言うのか問題」を分析します。30代後半の私は、もはや60代にさしかかったオタク第一世代にとっては若造ですし、10代オタクにとってはとんでもないオッサンです。そんな中間地点の年齢の立場から、双方の意見を尊重しつつ「古い作品と新しい作品、結局どっちが優れているのか」をジャッジしていこうと思います。
・新しい物は良い
そもそも若者にとっては「古い物の方が良い」とか言う主張自体が意味不明だと思います。スマホや自動車は年月が経つほど良い製品が生まれるようになる。若者も年月が経つほど肉体的・学力的にどんどん成長していく。オタク分野でも最新アニメやゲームは絵が昔とは比較にならないほど綺麗だし、ネットでもどんどん新サービスが増えていく、どんどん新アイドルが出てくる。新しい物の方が良いに決まってるじゃないかと思うでしょう。そういう若者は、芸術作品という物はY=Xの等速直線運動的に良くなると思うんでしょう。ではなぜ老害オタクは「古い方が良い」と言い出すんでしょうか?私が考えた理由をリストアップします。
・老害化の内部要因
①思春期ショック説
②感受性老化説
①・②はまとめていきます。人間の趣味趣向という物は感受性が豊かな若い頃に触れた物に大きく影響されます。子供時代に触れた戦隊ヒーローとかは思春期になったらガキっぽい趣味として捨てられる事も多いんですが、思春期に好きだったものは一生好きになります。典型的なのは1970年生まれの人が思春期にロックを聞いて50歳になっても未だにロックが好きみたいな事例です。人間の感受性という物は年齢とともに衰えるんで、新しい芸術に触れても脊髄反射で「これはダメな作品」と考えてしまうんですね。
③肉体老化説
人間は年齢によって体力低下や五十肩・老眼・聴力低下(高い音が聞こえない)・思考力低下・歯の脱落や食欲低下・容姿の衰え・頻尿などの老化現象が起きます。その結果「コミケ参加や遠征が出来ない」「読書できない」「絵を見れない」「音楽をまともに聴けてない」「難しい内容の作品を理解できない、理解しようとする気力が湧いてこない」「食事が美味しくない」「ファンコミュニティに参加しても相手にされなくてつまらない」「映画やコンサートが辛い」という事態が起きます。その結果、新しい芸術を万全の体調を味わう事が難しいので、それが「最近の作品はダメだ」という評価になっている可能性があります。また、前頭葉も委縮するので、より「俺だけが正しい」と頑固化している可能性もあります。
オタク文化に関しては、40代からの性欲の低下も大きくオタク文化への興味を損なわせます。
④思い出補正説
人間誰しも思い出は美化される物です。人が昔の作品と現在の作品を比較した時、「美化された昔の作品」と「美化されていない現在の作品」を比べてしまいます。そのため昔の方が良いと判定されやすいのです。私は最近何となく昔好きだったフリーゲームをやってみたんですが、まあゲーム内容もグラフィックも音楽もきつい事!今ではとても遊べません。でも、これは遊び直したから気づけた事で、普通の場合や食品みたいに二度と確認できない物は永久に美化されっぱなしになります。
⑤権威主義説
昔の作品は評価が高まっているものです。なので、「ビートルズは偉大だ→ビートルズの良さがわかる俺は芸術がわかってる!カッコいい!」という思考回路が働きます。対して今の作品は権威が無く、自然と扱いが軽くなります。ビートルズの曲とback numberの曲なら純粋にどちらが芸術的価値が高いのかはわかりませんが、老人は自分が若かった頃に好きだったアーティストを認めてほしいので、やっぱり「古い物の方が素晴らしい」となるでしょう。
⑥人生のプライオリティ説
人間が年を取ると、徐々に自分の心の中で芸術の重要性が下がっています。早い人なら23歳ぐらい、オタクでも40歳ぐらいからそうなります。20代中盤になると芸術よりも「仕事での成功」「結婚相手探し」もうちょっと年を取ると「育児」「組織のマネジメント」みたいな物が自分の人生でのプライオリティが高くなって、芸術がどうでもよくなります。結果、新しい芸術のインプットをしなくなるので、次第に下の世代の芸術をバカにするようになります。
これは個人差があります。女性ならば男性よりも仕事の圧が低いので芸術への興味が長続きするでしょう。また、東京に住んでいる場合は周りからナメられないように最新の芸術を摂取する傾向が高いでしょう。
・老害化の原理的要因
⑦歴史の審判説
そもそも今現在まで残っている芸術、例えばモーツァルトとかビートルズとかは突出して偉大なアーティストの作品だから現在まで残っているわけで、当時膨大にあった駄作・二流の作品・人気はあったけど歴史の審判に耐えられなかった作品(例えばシドニィ・シェルダンの小説とか)なんかは現在の比較対象から消滅しているわけです。対して比較対象の現在の作品は名作・凡作・人気作がゴチャ混ぜ状態のまま比較している訳で、それでは「昔の作品の方が優れている」という感想になるのは当然でしょう。
⑧そもそもスパンが違う説
「現在の作品より昔の作品の方が優れている」と言った時、その「昔」はひょっとすると古代ギリシャやら春秋戦国時代やらの時代から10年くらい前までの、約2500年間ぐらいのスパンまで指している可能性があります。古代ギリシャは言い過ぎにしても、老害が「昔の作品は良かった」と言い出す時は戦後~10年くらい前まで、65年間くらいのスパンを指している事は平気であります。対して「今の作品」と言った場合、今現在~数年前ぐらいの作品を比較するので、そもそもフェアな比較になっていないと言えます。さらに「活気は70年代が良かった、レジャーは80年代が良かった」と、良かった時代のつまみ食いまでする可能性があるので尚更です。
以上、ここまではなぜ老害は偉そうなのかについて、本人の責任と「原理的に昔の作品の方が優れているのは当たり前」という観点から「やっぱり老害の言う事は間違っている」という立場の説明をしました。
という訳で、実はここからが本題です。第二部「そうは言っても、実際老害の言う通り昔の作品の方が優れているんじゃないの?」という話をしていきます。
・老害の外部的要因 ~芸術の流れとは~
⑨芸術4段階説
若い人は芸術というものは等速直線運動のように良くなっていくと想定しているでしょう。それは違います。私の経験からいって、芸術のジャンルというものは以下のように進化していきます。
1、導入期(問題児)
まだ少数のマニアックで先駆的な人がその芸術を作っている時代。まだ世間にその芸術が知られていない状態や、若者向け一過性のブームと思われていた時代
JAZZの例:20世紀初頭、ラグタイムから派生したばっかりのルイ・アームストロング等の時代
ロックの例:50年代のチャック・ベリーやエルヴィス・プレスリーの頃
ロボットアニメの例:鉄腕アトムや鉄人28号、エイトマンの頃
2、成長期(花形)
その芸術の質と量が突然急激に高まり、どんどん若い天才が集まって来る時代。伝説級の芸術作品はこの時期に固まる。
JAZZの例:1930年代のスウィングジャズ、40年代のビバップ、50年代のマイルス等モダンジャズ、60年代前半のジャズ全盛期・フリージャズの時代。
ロックの例:60年代のビートルズ、70年代のハードロックやプログレの時代。
ロボットアニメの例:マジンガーZやゲッターロボの時代から、機動戦士ガンダム、マクロスの頃まで
3、成熟期(金のなる木)
その文化が成熟して、○○という文化は偉大という評価が定着して、産業としても固まってきた時代。この時代も偉大な芸術作品がどんどん出てくるが、ちょっと停滞感が出てくる。
JAZZの例:70年代のウェザーリポート等フュージョンの時代。
ロックの例:80年代のガンズやKISSのようなバンドの時代、90年代のグランジブーム、00年代のラウドロックやミクスチャーロックの頃まで
ロボットアニメの例:80年代後半の短期的な落ち込み~90年代後半のエヴァ・勇者シリーズまで
4、衰退期(負け犬)
その文化を話題に出す人が少なくなってきて、「○○が好きな人って老人ばっかだよね」と言われだす。老人向けなので市場としては残っているが、ずっと同じような作品ばかり出続ける時代。成長期・成熟期の作品と比べてどんどん小粒になるにも関わらず、そうしたアーティストが「斬新・次代の天才」とプロモーションされるようになる。この状態が数十年続き、ファンの老人世代が亡くなった後は古典芸能化するか、どマイナージャンルに転落するかもしれない。あるいはプロレスの人気が復活したように、再度の成長期に入る可能性もある。
JAZZの例:80年代のウィントン・マルサリスのデビュー以降全部
ロックの例:10年代、20年代以降のロック衰退期
ロボットアニメの例:ガンダムがロボットアニメジャンルから単独の「ガンダム」というジャンルに。ゼロ年代のコードギアスを最後にロボットアニメジャンルは壊滅しシンカリオン等の子供向け作品が細々と続く。
これは商品の繁栄と衰退のグラフですが、同じことが芸術のジャンルにも当てはまります。そして、そのジャンルの「名作」と言われる作品って、たいてい成長期かせいぜい成熟期に固まってるんです。成長期にはジャンルが盛り上がるという物凄い熱気もあるし、パイオニアとしての偉大さもあります。なので、仮に成長期と衰退期のミュージシャンの腕が全く互角だったとしても、衰退期の方は半分古典芸能化された音楽をやってるだけだから、成長期のミュージシャンの方が偉いんです。
それはスマホや自動車のような等速直線運動的に良くなる工業製品ですらそうです。現在のスマホや自動車がいくら高性能でも、初代iPhoneや初代フェアレディZがまとっていたオーラはありません。
自分の思春期と成長期の芸術がかち合う事は幸運な事です。このかち合いによって、自分が青春期に浴びた芸術が最もすごいと思う老害になっていくわけです。
⑩コミュニティ変化説
オタク文化で説明すると、かつてヤマトや初代ガンダムが流行していた時にコミケでわざわざ同人誌を書いたりコスプレしてた人は、オタク文化が影も形も無かった頃に「これは新しい!」と思って飛びついた人たちです。つまり、イノベーター理論で言う所のイノベーターな訳です。次いで90年代後半にインターネットで情報発信していたような人はアーリーアダプター。2006年以降にオタクブームが起こってからオタク文化が楽しいと思って入って来た人はアーリーマジョリティです。2020年頃の「鬼滅の刃」等からアニメファンになった人はレイトマジョリティ~ラガード層だと言えます。この分類は岡田斗司夫のオタク世代論と相似形です。
80年代にオタクコミュニティに入り込んだ人は、新しいもの好き・知的・当時の同人誌やコスプレのように活動的でウィットがある、みたいな楽しいコミュニティ活動を遅れただろうと思います。しかし00年代、私がオタク文化に入り込んだ頃は「エロゲーや萌えアニメが好きでオタクになりました」みたいなボンクラがオタクコミュニティに入り込みます。さらに20経ち、老人も一般人も外国人も全員アニメを見るようになり、オタク文化は水道水みたいにあって当然のものになりました。
コミュニティは「量の増加と一般化、一般化に伴う質の低下」は避けられません。このことが老害が「昔の方が良かった」と言う原因でしょう。
⑪日本貧困化説
オタク文化を含むロック・テレビ・雑誌・広告宣伝に当てはまる話をします。80年代当時の日本はバブル経済によって非常に豊かでた。結果、「ほしいものが、ほしいわ」というコピーに代表されるように、消費者が生活必需品ではなく何かオモシロくてタノしくてアタラしい商品を求めるようになりました。また、当時の企業は商品開発費や広告宣伝費を潤沢に出していました。その結果、テレビ・ロック・雑誌などで非常にリッチで面白くてバラエティ豊かな文化が生まれました。TVCMも30秒の短編映画のように優れた物が流されていました。90年代はバブル崩壊していましたが豊かさの余波がありました。
00年代は日本が本格的に貧困化し始めた時期で、この頃からユニクロや280円の牛丼のような価格破壊が流行りはじめました。文化がそれに追随します。不況によるスポンサー企業の収益悪化、消費者の貧困化が進みます。テレビ番組やCMの質の劣化、流行する文化がいわゆる「DQN層」向けになっていきます。DQN層向け文化に乗れなかった人がオタク化していく訳です。
2020年現代は貧困化から高齢化になっていって、テレビや雑誌全体が老人向けになっていきます。貧困層は食事にすら困るようになり、CMは見るだけで不快になり、文化も全て老人向けになっていきます。オタク文化はまだ若い世代から支持を受けていますが、やっぱりリメイク物のように高齢化していきます。
こうした状況を見るに日本の文化状況は「過去=豊か=若い」「現在=貧しい=老い」となっています。よって、老害が「昔の芸術作品の方が良かった」と言うのは当然の事なのです。
↑よく例に出している1988年のレナウンのCM
⑫重厚→軽薄、啓蒙→享楽説
これはあくまで全体的傾向であり、大量に例外がある話だと理解していただきたいです。
文化には一般的に重厚→軽薄に流れる傾向があります。例えば音楽。昔は交響曲とかワーグナーのオペラみたいに無茶苦茶重厚でした。小説も私はもちろん読んだことが無いですが「罪と罰」「戦争と平和」みたいに重厚な作品を読める人が偉いとされていました。
それが一旦JAZZやロックンロールみたいに軽い音楽が大人気になります。しかしJAZZはモダンジャズやフリージャズのように滅茶苦茶難解になった後、喫茶店のBGMのような扱いを受けるようになって消滅していきます。ロックも70年代にハードロックやプログレで重厚難解化した後、その後色々変化して最終的にはメインストリームから外れていきます。現在の音楽はEDMだったりTIKTOKでアガれる曲のように非常に軽い音楽になっていきます。
小説も、重い純文学・外国文学が廃れ、SFや推理小説のようなジャンル小説が人気が出て、ライトノベルが人気になって、なろう小説が人気になってと、どんどん軽くなっていきます。
オタク文化に目を向けると、昔は巨人の星・宇宙戦艦ヤマトのように妙に泥臭い・暑苦しい・自己犠牲的な作品が良いとされてきました。それが80年代にジャンプやサンデーのラブコメの時代になって軽くなる。さらに00年代の萌えの時代になってもっと軽くなる。現在はハードで暴力的な作品(鬼滅とか)が復活する一方で、日常系・なろうのように底抜け状態の作品が出てくる。というような感じです。
そういう訳で芸術には重厚→軽薄になっていく傾向があります。ここで大事なのは「重厚」が味わえる人が徐々に軽薄になっていく芸術の流れを見ると、それは芸術の退化に見える事です。わかりやすい例が、重厚なSF小説を大量に読んで味わえる人がスターウォーズやガンダムのような大人気映像作品を見ると「楽しやがって!こんなもんSFじゃねえ!」と怒り出した事です。
類例として「啓蒙→享楽」があります。60年代・70年代頃のアニメ・マンガ作品は子供が見るものとして作られています。なので作品の中に「立派な大人になれ」「弱い物を守れ」みたいな子供へのメッセージが込められています。これが80年代になってくると楽しい事が良い事になり、オタクがオタクに向けて作った作品が増えて、アニメから啓蒙が消えます。さらに00年代になると萌えやエロゲーの時代になるので、倫理観が破壊された作品が量産されます。10年代はアイドルやなろうの時代になり、「自己承認」「ルサンチマンの解消」がオタク文化の裏テーマになります。
こうしてオタク文化全体に啓蒙→享楽の流れがあります。これを嫌うタイプの老害の人も「昔の作品は良かった。今の作品はクズだ」と良いがちかもしれません。例外的にニチアサのような子供向けアニメは当然子供の見る物として良心的に作られているので、こうしたニチアサが好きなオタクの人が沢山いるという事も理解できます。
⑬ムーブメント飛び石説
最後にムーブメント飛び石説を挙げます。今でこそクラシックは古臭い音楽ですが、19世紀のベートヴェンやブラームスの頃は大人気ジャンルだった訳です。それが段々シェーンベルグのようにネタ切れになってジャンルとして人気が無くなったわけです。そうして次にJAZZが人気になり、JAZZも難解で偉そうな音楽になって人気が無くなり、代わりにロックが大人気になり、ロックがプログレブームになって難解になり、セックスピストルズのようなパンクロックになって延命し、90年代のグランジやオルタナでさらに延命するが徐々に人気が無くなり、代わりにテクノやヒップホップやジャパレゲが生まれ、テクノは衰退するがヒップホップは人気になり、アイドルやボカロな新規ジャンルが登場し、K-POPが人気になり……というように音楽ジャンルのムーブメントは飛び石のように移り変わっていくわけです。
アニメの世界も幼児向け→スポ根→巨大ロボ→ラブコメ→エヴァみたいな暗い奴→萌え→日常系→ミリタリー→アイドル→ジャンプ漫画のアニメ化→バンド物とどんどん人気ジャンル・ムーブメントが飛び石のように続いていく訳です。
そういう訳で、人は何かしら自分が好きなジャンルがあるものだし、オタクの場合はそれは自我の根幹に関わって来るものです。しかし、そうした人気だったジャンルはムーブメント飛び石説によってそのうち廃れます。作品数も質もムーブメントが去った後は退化or硬直化します。その結果、人は自分が否定されたような気分になります。ほとんどの人はそれを受け入れられず「最近の○○はダメになった」と言うわけです。
以上、老害が「最近の作品はダメだ!昔の作品の方がずっと優れている」と言い出す理由には①思春期ショック説②感受性老化説③肉体老化説④思い出補正説⑤権威主義説⑥人生のプライオリティ説⑦歴史の審判説⑧そもそもスパンが違う説⑨芸術4段階説⑩コミュニティ変化説⑪日本貧困化説⑫重厚→軽薄、啓蒙→享楽説⑬ムーブメント飛び石説の合計13の理由がある事がわかりました。
結局の所、老害の「最近の作品はダメだ!」という叫びは「俺は苦しい!」の言い換えだと言うわけです。
それを踏まえて老害と若者の両方にアドバイスします。
老害へ→最新の作品が楽しめないのなら、自分が好きだった時代よりさらに古い作品を探したらどうか。例えば「機動戦士ガンダムが大好きだからガンダムの前作のザンボット3やダイターン3を見てみよう」という具合だ。その方が前向きな人生にならないか?
若者へ→古い作品を見る必要は無い。別に「15歳だけどクラシックや歌舞伎が大好きです」という人がいても良いと思うけど、強制ではない。俺だって「もっと交響曲を聴け。ドストエフスキーを読め。」とか言われても困る。その代わり新しい芸術のムーブメントを探した方がいい。理由はそうした芸術のムーブメントのコミュニティに入る事で何か人間的に得る物があるだろうから。それはアニメやマンガのようなオタク文化ですらない可能性もある。
以上!