日本のサブカルチャーと西部劇の不思議な関係 前編

 長い間オタクを続けていると、いつのまにかジャンルが丸ごと消滅している事があります。
例えば、SF小説(『三体』のヒットでジャンルが首の皮一枚つながったかも)
例えば、テレビ時代劇
例えば、総合格闘技
 今回は、そういう「消えたジャンル」の中で、自分がある程度知識があり、なおかつ実はアニメ・ゲーム・漫画とも関連が深い「西部劇(ウエスタン)」というジャンルについてお話ししましょう。

 多分、25歳以下の人にとっては「西部劇」というジャンル自体よくわからないでしょう。ざっくりとイメージで言うと、テンガロンハットをかぶったカウボーイが輪っかのついた縄を投げたり、丸い草が転がる西部の街で悪人を決闘で倒したり。そういう感じのジャンルです。ピンと来ますか?二十代前半以下にはピンと来ませんよね?それがジャンルが死ぬという事なんです。

・西部劇を調べるには
 いわゆる「西部劇映画」についてはとてもブログの一記事では説明できません。Wikipediaを見た所とても熱心な人が詳細な記事を書いているようなので、それを見てもらえればと思います。自分にはとても語れるような知識は無いし、書いてたらブログを10記事書いても終わらないからです。
 また、今回西部劇に関するGOGH様のファンサイト「WIDE WEST WEB」が奇跡的に残っている事がわかりました。GOGH様は幸いFace BookとXをしているようですが、このようなファンサイトが残るという事は奇跡的です。2000年代のインターネットにはこのような個人製の各種ファンサイトが大量にありました。しかし、レンタルサーバー会社のサービス撤退でこういう個人サイトは消滅し、ネットの集合知は15年前と比べ大幅に縮小しました。他には「西部劇シネマ館」様も参考にしてください。

・西部劇大人気時代
 ここからは、WIkipediaやWIDE WEST WEBに書いていない事、すなわち「西部劇と日本のサブカルチャーの不思議な関係」について記録を残して行きましょう。
 西部劇の歴史を辿ると、アメリカでは1903年に「大列車強盗」という初の西部劇が作られてから延々と西部劇は人気ジャンルでした。日本人も太平洋戦争の開戦前までは西部劇を見ていたようですが、もちろん戦争中は西部劇は見れませんし、敗戦後の困窮状態で40年代は映画を見るのも中々難しかったでしょう。
 という訳で、日本では50年代から60年代前半にかけて西部劇が大ブームになったようです。これは当時の日本人のアメリカへの憧れもありますし、50年代に西部劇が黄金時代を迎えた事の相乗効果として大人気になったでしょう。当時の日本は極めてコンテンツ製作能力が貧弱だったので、アメリカ製のリッチに作られたコンテンツを輸入する事も多かったのだと思います。例えば「名犬リンチンチン」「奥様は魔女」のようなテレビドラマ、ポパイやブロンディのようなカートゥーン作品など、当時はアメリカの大衆文化が猛烈に入って来て、その豊かさや技術力に貧しかった日本人は心をわしづかみにされた時代だったと言えるでしょう。

↑驚くべきことに、当時は「テレビドラマ西部劇」も放送されていました。この「ローレンローレンローレン……」の曲や、「ローンレンジャー」の「ハイヨー、シルバー!」「インディアン嘘つかない」も定番ネタだったんです。1:19の人名をよく見ると面白いかも。

 西部劇黄金時代当時の西部劇を見ると「駅馬車」「捜索者」「真昼の決闘」「シェーン」等の映画が名作とされているそうなんですが、あまりにも時代が古すぎてぶっちゃけ自分にもピンと来ていません。とりあえず今回は「そういう映画がかつては名作とされていた」とだけ覚える事にしましょう。監督ならジョン・フォード、俳優ならジョン・ウェインという人が西部劇界では最も有名で大物のようです。あと、もはや「ガッツ石松のギャグ」としても通じる人が少ないであろう「OK牧場」という言葉は、この当時の「OK牧場の決斗」という映画が元ネタです。

 そうした映画人気の延長線上で、当時の子供は西部劇や洋画が大好きでした。現在、手塚治虫・藤子不二雄・石ノ森章太郎といった巨匠クラスの漫画家も少年時代は映画好きで、そうして良質なコンテンツを見て育った結果が名作につながったでしょう。50年代はテレビも漫画雑誌も普及していなかったので、当時の映画は物凄く新しく・豊かで・斬新で・インスピレーション溢れる芸術だったのです。その結果、次のような現象が生まれました。

・高齢漫画家 西部劇好きすぎ現象
 ここで一旦皆さんの疑問を一つ解決したいと思います。なぜ漫画「ドラえもん」に登場する野比のび太は射撃が得意なんでしょうか?答えは、藤子・F・不二雄が西部劇が好きで内向的な性格だから、その「西部のガンマンになって悪人を射殺してえ~」という欲求をのび太という劣等生のキャラクターに仮託したからです。

 トキワ荘系の漫画家に限らず、昔の漫画家という物は映画をよく見ました。西部劇は現在で言う「ヒーロー物」「ホラー物」のような大ジャンルで、その中で名作と呼ばれるような作品は映画好きとして見ていて当然のような扱いを受けました。また、現在のヒーローは特殊能力で相手を倒しますが、アメリカは銃社会ですしそういうマンガのようなヒーローを映画化するという概念自体が無かったので、昔のヒーローは銃で敵を倒しました。あるいは銃つながりで「コンバット」のような戦争モノ、「007」や「スパイ大作戦」のようなスパイ物も人気がありました。そういう「銃がカッコいい」という概念は、だいたい2000年代にファンタジー物やヒーロー物が日米で主流になるまで続きました。なので、昔の漫画家には銃が好きな人が多く、大御所クラスの漫画家は西部劇が好きな人が多いのです。藤子・F・不二雄西部劇好きすぎ現象につきましては、「藤子Fノート」様が非常に詳しく解説されています。

 私が西部劇大好き漫画家の例を2人挙げるとするならば、荒木飛呂彦と秋元治です。荒木飛呂彦は映画に関する本まで出したほどの映画好きですが、そもそも荒木のデビュー作は「武装ポーカー」という西部劇です。その後、荒木先生は波紋やスタンドによる特殊能力バトル漫画の創始者になったわけですが、高齢になって再び描いた西部劇漫画が、「ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン」でした。多分日本で最も読んだ人が多いであろう西部劇マンガでしょう。
 秋元治は元々ガンアクション物が好きで、日本で銃を乱射する警官はリアリティが無いためギャグ漫画として「こちら葛飾区亀有公園前派出所」を描きました。そのこち亀が終わった後に連載したのが女ガンマン物の西部劇「BLACK TIGER」でした。
 どうして二人は高齢になってから突然西部劇を書き始めたのでしょうか?少年ジャンプは少年誌なので西部劇という今ではマイナーになってしまったジャンルを書くのは難しい。SBRだって連載途中でウルトラジャンプに移動しました。それでもやっぱり、歳を取って偉業を成し遂げた後、何か自分の中で原点回帰したいと思った感情が西部劇マンガに現れているのかもしれません。

 という訳で前半は一旦ここまでにします。今回は地ならし的な内容に徹したのでちょっと内容が薄かったかもしれません。安心してください。後半はもっと濃い内容でいきます。
 せっかくなので、当時の西部劇ミュージカルから楽しい曲を張り付けして終わりましょう。

↑「カラミティ・ジェーン」(1953年)より

参考文献:『図解 フロンティア』 高平鳴海 2014年 新紀元社