日本のサブカルチャーと西部劇の不思議な関係 中編 〜西部劇が消えても西部劇"風"は消えず〜
前回の記事は「西部劇とは何か」について1950年代まで説明しました。西部劇についてよく知らない人は先に前回を読まれた方が良いかと思います。今回は1960年代〜90年代編です。
・西部劇には二種類ある
西部劇についてあまり詳しくない人は驚かれると思いますが、実は西部劇には二種類あります。それは「普通の西部劇」と「マカロニ・ウエスタン」です。1960年代後半、アメリカでは西部劇の人気が下がりました。単純にマンネリだし当時の007等他のアクション映画と比べて相対的に地味です。ヘイズコードという自主規制もありました。ベトナム戦争や公民権運動が高まる中で「インディアンを撃ち殺すような作品って良くないんじゃないの」という雰囲気が観客に広まったのも理由の一つです。そんな中でマカロニウエスタンが登場しました。
マカロニとは、西部劇の人気が無くなったのでヨーロッパに出稼ぎにきた俳優を使って、イタリア人等の製作陣がスペイン等でロケをして撮影した西部劇の事です。主役がカウボーイや保安官のような正義の味方ではなくアウトローで、非常に殺伐としたバイオレンスな作風なのが特徴です。これが60年代後半にアメリカ・日本・世界を問わず大ヒットし、ドル箱状態になりました。
マカロニウエスタンでは監督ならセルジオ・レオーネ、俳優ならクリント・イーストウッド、音楽ならエンニオ・モリコーネという人が特に有名です。マカロニで最も有名な作品は「続・夕陽のガンマン」です。もし映画好きを自称する人がいて「続・夕陽のガンマン」を観ていないとしたらその人はモグリでしょう。
当時アメリカはアメリカンニューシネマの時代でした。なのでアメリカ本国でもマカロニと影響しあうように「明日に向かって撃て!」やサム・ペキンパー監督の「ワイルドバンチ」という名作が撮られました。マカロニブームは70年代初頭に終わりました。
↑「続・夕陽のガンマン」予告編
70年代以降、西部劇はジャンル映画から普通の映画に変容しました。例えば昔の時代劇は「水戸黄門が印籠を出すと悪代官が土下座する」とか「遠山の金さんが桜吹雪の入れ墨を見せる」等のお約束を楽しむための物でした。でも今はそういう時代劇は成立しなくなって(私は未見ですが)「たそがれ清兵衛」みたいに時代劇でもまともな映画として成立している必要があります。
西部劇も同じです。かつては「駅馬車を襲うインディアンを騎兵隊が退治する」「決闘で悪者を倒す」みたいにお約束を楽しむジャンルだったんです。しかし西部劇が衰退した以降はそういう水戸黄門みたいなお約束が許されなくなって、「ネイティブアメリカンの視点から見た西部開拓時代」みたいに、西部劇は普通のしっかりした映画になる必要に迫られたんです。
そういう訳で70年代以降はジャンルとしての西部劇が滅びました。もちろん以後も西部劇映画は撮影されていますが、「日本で数年に一本公開されて、あまり話題にならない」というぐらいの立ち位置になりました。
そして「日本のサブカルチャーと西部劇の不思議な関係」に話を戻すんですが、実は日本人クリエイターの半分くらいは"マカロニ以降の西部劇"が好きな人が多いです。藤子F不二雄クラスの大昔の漫画家は"正統派西部劇"が好きでしょう。でもそれ以降の今50代くらいのクリエイターだったら「マカロニやマカロニ並みに銃を撃ちまくる西部劇じゃないと面白くないよね」「アメリカンニューシネマ以降の作品じゃないと。ジョン・フォードやジョン・ウェイン時代の西部劇なんて古臭すぎる」と思いながら作品を作っているわけです。もし、あなたが西部劇ジャンルの作品を作る場合、このニュアンスを把握しないと非常に粗雑なディテールのまま創作を進めてしまう事になるでしょう。
・日本人は西部劇が大好きだった
そういう訳で70年代初めに西部劇はジャンルとして終わりました。にも関わらず、日本人の西部劇愛は衰えなかったのです。その例として、1980年代に西部劇テーマパークがなぜか誕生した事を紹介します。
1982年、栃木県日光市鬼怒川温泉に「ウェスタン村」というテーマパークが誕生しました。80年代は結構人気だったそうですが、バブル崩壊後は無茶な追加投資や鬼怒川温泉の衰退もあり2006年に閉演したそうです。
でも、2024年の今考えると「西部劇のテーマパークを作る」という事が無茶苦茶に思えます。いや、そもそもジャンルが死んでるじゃん。それなのにテーマパークがイケると判断するぐらいには西部劇が人気があって、それで80年代はお客さんが来たという事は、当時の日本人の西部劇好きって凄かったんだなと思います。でもそれも2006年に閉園したという事は、この辺りで日本人の西部劇好きが終わったのかもしれません。
・少年ジャンプで西部劇マンガが大人気
日本人の西部劇大好き現象を証明する逸話はまだあります。1971年~1974年、週刊少年ジャンプでは『荒野の少年イサム』(原作:山川惣治・作画:川崎のぼる)という西部劇マンガが大人気でアニメ化までされました。イサムが成功した理由は日本人の西部劇熱が冷めていなかった70年代前半の連載だった事。さらに、原作が過去の人気作品(絵物語)で作者が「巨人の星」の川崎のぼるという実力者によって描かれた作品だったからでしょう。ゲーム「ファミコンジャンプ」にも登場したそうですが現在では完全に忘れ去られています。連載時期で言えば「ド根性ガエル」「アストロ球団」に近い頃の作品でした。50年前ですが現在とあまりにも感性が違ってクラクラします。
・西部劇RPG、謎の大人気
今度はゲームの分野を見ていきます。今も昔もゲームは海外向けに開発したり、逆に海外から移植したりするので、かつては日本人が西部劇のゲームを作ることもありました。例えば「ガンスモーク(カプコン)」「ロウ・オブ・ザ・ウエスト 西部の掟(Accolade)」「ワイルドガンズ(ナツメ)」などです。あるいはRPGやキャラゲーで西部劇ステージが登場する事もよくありました(例:ライブ・ア・ライブ、ザ・グレイトバトルV、天外魔境 第四の黙示録等)。一つ一つのゲームについてはWikipediaの「西部劇を題材としたコンピュータゲーム」を見てください。
そのような西部劇ゲームの中で、一番人気があったのが「ワイルドアームズ」シリーズでした。
ワイルドアームズはプレイステーション~プレイステーション2時代の西部劇風RPGで、シリーズで7作品が発売されました。西部劇がテーマですが決してマイナーゲームでもアメリカ向けでもなく、丸っきり国内向けの作風でした。もちろんDQ・FFに比べたらマイナーですが、自分の感覚では当時はペルソナ2、幻想水滸伝、ブレスオブファイア等と同程度の「中堅人気RPGシリーズ」といった感じでした。
でも何だか不思議ですよね。RPGといえば大体ファンタジー物か、あるいは現代物かSFといった所なのに西部劇風RPGだなんて。2000年代のゲームだから西部劇が死んでから30年経ったのに。そんなに西部劇が好きだったんかと思います。
ですが2000年代後半以降はRPGというジャンルさえ廃れはじめてしまい、2007年でシリーズが終了してしまいました。やはりここにもゼロ年代後半の壁があるようです。でもマイナージャンルなのに7作も出せたなんて良心的なゲームだったんだろうと思います。ファンからも愛されたようです。
ワイルドアームズから3年後、とあるゲームが発売されますがそれは後編のお楽しみに。
・西部劇と西部劇風
日本人のクリエイターが西部劇をテーマに作品を作る場合、西部劇ではなく「西部劇風」の作品を作ることがよくあります。19世紀後半のアメリカを舞台にする訳ではなく、「西部劇っぽい世界・惑星」を舞台にした作品という訳です。それには西部劇での制約が関連します。
例えば西部劇でビーム砲や巨大ロボを出したら「時代考証はどうなってるんだ」という話になります。西部劇には派手な武器が登場しないので内容が地味になる訳です。肌が黒いキャラやインディアン風のキャラを出したら「差別はどうなっているんだ」と違和感を持たれます。史実が舞台だから銃・ファッション・建物等あらゆる資料を集める羽目になります。なので日本人が西部劇を題材にする場合は西部劇風の異世界にした方が楽なのです。
その「西部劇風の設定」を上手く使ったのが内藤泰弘の『トライガン』でした。トライガンは1995年~1997年に月刊少年キャプテンに連載され、キャプテンが廃刊した後は『トライガン・マキシマム』としてヤングキングアワーズで1・2を争う人気作として連載されました。トライガンを一読するとわかるのですがアメコミの影響を受けた絵が非常にスタイリッシュです。ヴァッシュ・ザ・スタンピードやニコラス・D・ウルフウッドのようなメインキャラも非常に格好良いです。同時期にアワーズで連載されていたヘルシングにも言えるのですが、当時はそういうスタイリッシュさ・スカしたストーリー・カッコいいガンアクションが好まれていた時代だったのです。内藤は後に「血界戦線」もヒットさせた実力者です。
・日本人が西部劇を描くという事
日本人が西部劇を題材にしたマンガを描くという事は、瞬時に矛盾にぶち当たります。それは私たち日本人が黄色人種、いわばイエローモンキーだと言う事です。19世紀アメリカという事は黒人差別・ネイティブアメリカンの虐殺・中国人の苦力(クーリー)等、著しい差別の時代でした。差別が原因で南北戦争まで起きました。その時代を描くに当たって、主人公が白人のカウボーイや保安官でアウトローや悪いインディアンを能天気にバンバン撃ち殺すような漫画だと70年代以降の読者には通用しない訳ですよ。かといって少年・青年向けの爽快娯楽ガンアクションでいちいち差別がどうのこうのという話を描いても後味悪いし……。
そこで発明されたのが「西部劇風」でした。西部劇風なら西部劇のワイルドな雰囲気だけ楽しめて、巨大ロボやビーム砲も出せるし差別を描く苦労も無い。という訳で、90年代以降日本では「西部劇風」の作品が作られるようになりました。そうした作品は心なしかアメリカ西部開拓時代が舞台の作品よりもヒットしやすいように感じます。
・西部劇マンガの謎
そうして西部劇風の作品が作られる中で、純正な西部劇は70年代初頭にジャンルが死んだ以上数が激減しました。37歳の私が西部劇の存在を知っているのは、子供の時(90年代)にドラえもんやテレビゲームで西部劇パロディに接したり、成人してから過去の名作映画を学ぶ目的で西部劇を何本か見たからです。なので、90年代は西部劇パロディの時代、00年代はそのパロディが徐々に風化する時代、10年代は風化した後の時代だと言えます。ハリウッドでも1990年のバック・トゥ・ザ・フューチャー PART3で西部劇がパロディされました。
そして、自分が物凄く不思議に思っているのは「それなのに90年代以降も数年に1作程度のペースで西部劇を題材にした漫画・アニメ・ゲーム等が作られている」という事です。いや、だってそんな事をしちゃダメじゃないですか。西部劇は70年代初頭に死んだんですよ。アメリカ人がアメリカ人向けに作るならまだしも、我々は日本人であって、もう西部開拓時代には興味が無いんです。客がいない所をめがけて作品を作っているという事です。なんてこった!
とりあえず、西部劇を題材にした漫画一覧についてWikipediaとWideWestWeb様のリンクを貼ります。
リストを見て頂ければわかると思いますが、手塚・藤子・松本零士・荒木飛呂彦のような大御所の作品と先の「荒野の少年イサム」「トライガン」を除くと死屍累々です。リストを見ていて恐ろしいのは人気漫画家でも容赦なく失敗している事です。
・「るろうに剣心」の和月伸宏→GUN BLAZE WEST
・「エルフを狩るモノたち」の矢上裕→Go West!
・「キャンディ・キャンディ(原作:水木杏子)」のいがらしゆみこ→メイミー・エンジェル
・「拳闘暗黒伝セスタス」の技来静也→ブラス・ナックル
・「ゴン」の田中政志→フラッシュ
打ち切られ過ぎてて怖い程です。西部劇というのは死んだジャンルなのに、作者はまだ「西部劇というジャンルがある」と誤解していて、その結果人気が出る訳もなく死屍累々……という訳です。
・駄作と名作
「イサム」から約30年後、少年ジャンプでは「GUN BLAZE WEST」(和月伸宏)という西部劇マンガが掲載され、3巻で打ち切られました。この漫画を読むと西部劇という題材がいかに危険な題材かよくわかります。主人公のビュー・バンズは黒髪一重ですがどうも白人として扱われていて、読んでいて違和感の塊です。劇中人種差別的な描写が1シーン程度あるのですが、それ以外はほぼ人種問題に触れておらず、ストーリーの薄っぺらさを感じさせます。主人公の目的(ガンブレイズウエストという伝説の場所に行きたい)の動機も不明で、感情移入が極めて困難な、不快なだけの主人公ですし、その主人公がコンセントレーション・ワンという超能力を持っている理由も説明が皆無です。仲間側の武器も拳銃(コルトSAA)・ロープ・ナイフと極めて地味ですし、なにより敵キャラに信じがたいほど魅力がなく、バトルがため息が出るほど地味です。るろうに剣心で例えるなら弥彦と玄武が戦っているシーンを単行本3冊分読み続けるぐらい苦痛です。
これは私が勝手に言っているわけでは無く、作者の和月先生自身が「最後の最後までビューのキャラを見失ったままで終わってしまった」「心身ともにズタボロの最悪状態だった」「少年誌的には地味」「悔しさのあまり絵が描けなくなった」と作品を酷評されていて、私は再読した時につまらないというより本当に可哀そうな作品だなと思ってしまいました。
でも私はこれは和月先生が悪いのではないと思うんですよ。和月先生は「るろ剣」「武装錬金」と2作ヒットした訳で、エンバーミングも連載は永井均続きましたし、才能も実力もある事は誰の目にも明らかじゃないですか。それが西部劇の陥穽なんですよ。
西部劇という題材は、何も考えずに描くと「差別問題」「武器やアクションシーンが地味」「史実を舞台にしている制約」の3つのせいで自動的に面白くなくなる題材なんですよ。だから西部劇を描くならば3つの弱点を取り込んで重厚な作品にすればかろうじて勝ち目が見えてきます。
例えばガンブレの3年後ジャンプで連載された西部劇漫画「ジョジョの奇妙な冒険第7部 スティール・ボール・ラン」では、「スタンド能力のバトルが面白い」「ウルトラジャンプに移籍したので重いテーマの作品が描けるようになった」「主人公のジョニィが身体障害者、ジャイロ・ツェペリが死刑執行人の末裔という驚くべき設定」「ファニー・バレンタイン大統領やアクセル・ROのようにアメリカ史の暗部に触れるような敵」など西部劇マンガの弱点を長所に変えた名作マンガになりました。
そういう訳で、もし私が誰かに西部劇マンガを一つ推薦するなら、自信を持ってスティール・ボール・ランをおすすめします。
以上、次回は西部劇の消滅について書く予定です。
<余談> その他のオススメ
SBR以外では村枝賢一『RED』(ヤングマガジンアッパーズ、「仮面ライダーSPIRITS」の人)と伊藤明弘『ベル☆スタア強盗団』(月刊コミックドラゴン、「ジオブリーダーズ」の人 )が優秀な作品だと言えるでしょう。特にベル☆スタア強盗団は巻数が少なく読みやすいです。前回紹介した秋元治の『BLACK TIGER』も面白いですが、読むとしたら「こち亀を200巻書いた老境の秋元治がこのマンガを書いている」と考えながら読むと味わい深いです。その他、佳作としてマイナー漫画家ですが、なかざき冬『えとせとら』と杉村麦太『キリエ 吸血聖女』を挙げます。駄作として先述のガンブレイズウエストと、矢上裕「Go West!」と外園昌也「Dr.モードリッド」を挙げます。