ヒメヒナ物語『Refrain』 | 第一話
第一話
鈴木フロ
†††
(ヒメになんて言おう……)
ブクブクと、顔半分をお風呂につけて思案する。
きっかけは、ささいなことだった。
ほんの少しのすれちがい。ケンカなんて呼べるものではないと思う。だけど、ヒメに悪いことをしてしまったような気がして、ジップロックに入れたスマホに手を伸ばす気にもなれない。
ヒメはきっと、怒っていない。
こんな風に、ヒナが気にしているなんて、思ってもいない。
だから余計に、もやもやする。
ヒメになんて言ったら、この気持ちが伝わるのかな。長い長い付き合いなのに、いまだにそんなことがわからなくなる。
不思議だな。と思う。
学校では、お互いのことを何でも知っていそう、なんて言われる。実際、ヒメのことで知らないことなんて、ほとんどないような気がした。
嬉しいことも、楽しいことも、悲しいことも、笑えることも、恥ずかしいことも、人には言えないことも……
ぜんぶぜんぶ。
ふたりで一緒にわけあってきた。
それなのに。
こんなに簡単な方程式が解けなくて、お風呂のなかで、ヒメのことばかり考えてしまう。
ブクブクブクブク……
なかなか答えが出ないから、なかなかお風呂からあがる気になれない。
このままでは、ふやけてしまって、鈴木フニャになってしまいそうだった。
†
「ごめんねヒナぁ〜。せっかく頑張ってくれたのに、ヒメ、ぜんぶ負けちゃった……」
「大丈夫だよ。みんなとゲームできて、ヒナは楽しかったし♪」
「ほんとっ!!ありがとう、ヒナ。ヒナちゃんは本当に優しいねぇ〜ううううぅ〜!」
「でも、ほんのちょっとだけ残念だったかなぁ」
ふたりで参加したゲーム大会。
ペアを組んでゲームの腕前を競うタッグマッチだったから、ぜったい優勝しようね、なんて言って参加をしたけれど、結果は予選敗退。
ヒナはいくつかの勝ち星をあげたものの、ヒメが全敗をしてしまったことが、敗退の原因だった。
ふたりが住んでいる田中工務店の離れで、ヒメはそのことを、しきりに謝っていた。
「ごめんねぇ〜」
ほんとに真面目なんだから…と思う。
普段のヒメはそんな風には見えないから、そのことに気付いている人は、ほとんどいない。
だけど、ヒナは知っている。お歌に踊り、それから、その他の色々なことに、ヒメがどれだけ一生懸命、取り組んでいるかを。
ヒメと叶えたい夢がある。
ヒナだって当然、一生懸命がんばっているけれど、隣で一緒に走ってくれるこの人がいなければ、夢を途中で諦めていたかもしれない。
だから、しょんぼりするヒメを励ましてあげたくて、ついこんなことを言ってしまった。
「今日、いっしょにお風呂はいる?」
ぽぽーっ!と、ヒメの頭から水蒸気があがったような気がした。
「ほ、ほんとっ!!ヒナっ……!!ヒメは……ヒメは……っ!!鈴木ヒナという女に、一生ついていこうとおもいますっっっっっ!!、!!!!!!」
ビリビリと、ガラス窓が揺れた。
耳がキーンとする。思わず耳をふさいだけれど、手遅れだった。
「……ヒメ……うるさい」
おもわずちょっと、ムッとする。
「あ、ヒナちゃ……くち、ムッてしないで……可愛いけど……可愛いんだけど……なんか……ううぅぅぅ〜!」
おろおろとするヒメに、ちょっといじわるを言ってみたくなってしまう。
「じゃあ、ヒナはアズリムちゃんについていこうかなぁ〜」
ゲーム大会で大活躍だった、後輩のアズリムちゃんの名前をあげてそう言った。
「あああぁ。ヒナぁ。そんなこと言わないでぇ。シロクマ買ってあげるから、許し……」
「許す」
と、言ってから、あはは。と思わず笑ってしまう。
こう言ったら、ヒメはなんて言うのかな?こうしたら、ヒメはなんて返してくるのかな?
そう思ったら、ついつい面白くなってしまって、からかいすぎてしまったのかもしれない。
大好物の「シロクマ」のひとこえで、ゲーム大会で負けたことをすべて水に流すと言ったけど、はじめから許すも許さないも、なかったんだよ。
だって、ヒメとこうして遊べるだけで、ヒナはとっても楽しいんだから。
ヒメは大きめのクッションから立ち上がると、「お財布〜♪お財布〜♪」と鼻歌を歌いながら支度をはじめた。
もうあたりは暗くなっているけれど、近所のコンビニまではそんなに距離はない。工務店の本宅から誰かを呼ばなくても、ヒメひとりで大丈夫だと思う。
「おととっ……」
よろよろと、クツを履こうとしたヒメがよろめくから、そっと腕をそえた。ヒメはヒナの腕をとると、バランスをとって、どうにかクツを履きおえた。
玄関から出るとき、ヒメは振り返って言った。
「いつもありがとね。ヒナ」
いえいえこちらこそ。
そう心のなかでつぶやいて、玄関から飛び出していくヒメを見送った。
†
「シロクマーン♪」
リビングでひとり、うきうきとシロクマの到来を待つ。スマホのゲームでもして時間をつぶそうかと思ったら、LINEが来た。
『コンビニにシロクマなかったから、スーパー行ってくるね。ちょっと時間かかっちゃうけど待ってて!』
もう暗いから帰っておいでと返事をしようと思ったら…
『あ。ファミチキあるよ。これじゃダメかな?』
と、メッセージがつづいた。
「ふふふっ」
大違いだよ。と思う。
どうしてヒメは、ファミチキがシロクマの代わりになるなんて思ったんだろう。
どれだけ同じ時間を分かち合っても分からないこと。それが面白くって、私たちをずっと一緒にいさせてくれるような気もする。
既読スルー気味に笑っていると『やっぱシロクマ買ってくるね!!』と、秒でメッセージが飛んで来た。
もう暗いから心配だけど、ヒメがせっかくそう言ってくれるならと、
「待ってるよ〜」
と、LINEを送った。
そうすると、ある誘惑に耐えきれなくなり、お風呂に向かった。
「お風呂上がりのシロクマ。最高かよ」
ブクブクブクブクブク……
お歌の練習で肺活量には自信があるけれど、ヒメとどっちが長くブクブクできるんだろう。
今度、一緒にお風呂入って確かめてみよう。そうしたら、さっき言ったことも嘘じゃないよね。
だけど、体が温まってくると、だんだんヒメに悪いことをしてしまったような気がしてきて、ジップロックにいれたスマホをさわる気にも、なれなくなってしまった。
(負けて一番しょんぼりしているのはヒメなのに、やっぱり悪いことしっちゃったかな…)
ブクブク…
(ヒメになんて言おう……)
お風呂のなかで、長い思案に暮れた。
そうしてようやく、あることを思いついた。
きっとヒメは、自分用にハーゲンダッツを買ってくる。
少しとけたハーゲンダッツを「ここすき」ってヒナが食べて、シロクマをヒメにあげれば、アイスは半分っこ。
半分っこすれば、いつも通り。
きっと、言葉なんていらないんだ。
よしっと、湯船から立ち上がり、まとめていた髪をほどいてシャワーを浴びる。
(お。ヒナってゲラ団子つくると、やっぱヒメそっくり)
鏡の前で遊びながら髪の毛を洗う。
お団子髪をほどくと、髪の毛の両サイドが「ヒナだよっ!」と主張するみたいにぴょこっとはねた。
シャンプーボトルにはパンテーン。その前はヴィダルサスーン。全部使い切る前にヒメが中身を取り替えるから、ボトルの中で色々なシャンプーが混ざってしまう。
だから私たちの髪からは同じ匂いがするけれど、私たちと同じ匂いの人はいない。
「ヒメのよぉ〜特別ブレンドだからよぅ〜」
ヒメのセリフを思い出して「なにそれ」とクスクス笑ってしまう。
キュッとシャワーを止めると、スマホの着信に気付いた。
同じ敷地に住んでいるから、滅多にかかってくることなんてない。珍しい相手に驚いて叫んでしまった。
「……親方ァッ!!」
慌てて電話に出ようとして、気付く。
「ヒナ……お風呂はいってるんだった……」
以前、お風呂から電話に出たとき、ヒメがとても興奮していたことを思い出す。要件は「ヒナ聞いてっ!蜘蛛ってコーヒーで酔っぱらうんだよ!」だったっけ。
……なんでそんな電話しようなんて思ったんだろう。
親方がヒメみたいに興奮するわけないけど……
でも…
いやもしかしたら……
想像したくないけれど、親方のジョジがジョジッ!して…ジョジに(ピーーッ!)させて、親方のジョジを…ゴクリッ…(見せられないよ!)なんてしたら……ジョジ(アーッ!)…ジジッ…ジジジッ……ジョジジジジジジジジジジジ
(熱暴走)ブァァンッ!
けしからん!よーしっ!ニコニコ本社と親方にミサイル発射だぁっ!パーパーパパーパーッ!ブォォーンッ!ヒェーッ!ココスキ!アーッ!マーン!
チーン(虚無)
ヒナの頭のなかで、はぁどっこい!と、親方のクソコラ劇場が開幕し、あまりのことに熱暴走が起きた。その結果、ケリン君が現れて、いつものように火薬満載のミサイルを発射したあと、仲良し三人組マーンが登場するから、ヒナはしばらく心筋梗塞の感情につつまれた。
はっと我にかえり、ぶるぶると悪寒を振り払う。髪の外ハネから、ぷるぷるっと水しぶきが飛んだ。
のぼせてしまいそうだったので、ヒナはすぐにお風呂からあがった。親方にはあとで折り返そうと、ドライヤーで髪を乾かしはじめると、着信が続いた。
「中島ァッ!!」
今度は田中工務店の雑用係だ。珍しいことの連続にまたびっくりしてしまう。
「何かあったのかな……」
中島からの着信をスルーして、生乾きの髪のまま親方に折り返す。
「もしもし?」
「あ、ヒナちゃん。よかった。つながりました。今、出先なんですけれど…」
受話器から響く人の良さそうな親方の声色は、少し緊張しているようだった。
「親方どうしたの?電話なんて……」
「珍しいけど」と続けた言葉に食い気味で親方が声をかぶせた。
「お、落ち着いて、おおおお、落ち着いて、ききききっ、聞いてください」
「まずは親方落ち着いて!!」のセリフをぐっと飲み込んで、親方の言葉を待つ。
「ひ、ヒナちゃんが……ヒナちゃんがっ……!!ヒナちゃんがですねっ!!」
「ヒナ?私が?」
一瞬の間。
それで親方は少し平静を取り戻したようだった。
「……間違えました。ヒメちゃんが」
けれど続く言葉に、今度はヒナが平静を失う番だった。
「ヒメちゃんが……交通事故に遭いました」
†††
第一話『鈴木 フロ』
〜Fin〜
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