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他分野からみた法学の強さ:司法・犯罪心理学分野――法学専攻の人たちとの関わりから

筆者

大阪大学教授〔雑誌掲載時〕 藤岡淳子(ふじおか・じゅんこ)


 筆者の専門は「司法・犯罪心理学」なので、法学が専門の方々と知り合ったり、一緒に仕事をさせてもらうことが多い。キャリアの前半は、法務省矯正局で、主に心理・教育の職務に携わり、後半は大学で心理学を教える傍ら、性加害・性被害に関わる治療的教育やサポートを行う一般社団法人「もふもふネット」の代表理事として、性犯罪者たちの回復を支援する個別面談やグループ教育を行っている。

Ⅰ 法務省矯正局勤務時代に法学専攻者に対して思っていたこと

 学生時代は、法学専攻者との接点はほとんどなく、筆者の価値観・態度は心理学専攻者の間で育まれた。一人一人の個人に目を向けて、しかもその中の「心理面(あるいは内面)」という狭いところをみて、この人はああだこうだと言い、どう関わればよいのかといったことばかり考え、友人たちとも話していた。よくある話題は、それぞれの家族関係のことや、最近読んだファンタジー小説の内容、自分たちの心理テストの結果や人物評価といったことである。これもかなり偏っていると今は思う。

 法務省矯正局に奉職すると、半年間の泊まり込み研修が待っていたが、その学習内容がほとんど法律ばかりで(それと集団行動訓練、護身術といった身体を使う訓練)、「まずいところに来てしまった。法律専攻の人たちはもう知ってるからいいなあ」と感じた。学んでみると意外と(?)面白く、これから行う仕事のすべてが法律に基づいており(今思えば当たり前であるが)、それどころか道路交通法などを見ると、これまでなぜかわからないけどそうなっている細かいことまでも、実は法律で決められていたと気づいて驚いた。法律を学んできた人たちは、そうしたことをすでに十分知っているわけで、だからこそ法学を専攻し、その仕組みについて議論したり、批判したり、新たな仕組みを作っていくわけだから、ちゃんと広く社会に目を向けていて「すごい」と本心から感じた。また、法律に不備があれば世の中に様々な支障をきたすわけで、法律の基礎を作る法律家たちということの責任の重さを感じたし、それを担っている人びとに畏敬の念を抱いた。

 実際に法務省で働き始めると、そこは法律専攻者の天下であると感じた。職務を担っている職員の多くは法学専攻であり、矯正局の幹部職員は当時の上級職の法律区分出身者で、さらにその上は検事であった。とはいえ、心理職の牙城である少年鑑別所に勤務していれば、心理の仲間もいるし、実務は法律を意識しなくとも、指示されたとおり、教えられたとおりやっていれば問題ないというのが実情であった。

 少年鑑別所心理技官の仕事は、家庭裁判所裁判官にあてて、鑑別結果通知書と呼ばれる、観護措置で鑑別所に入所している非行を行った少年の精神状況や問題点とその分析、処遇指針などを記した書類を提出することが主であるが、結局決定は裁判官が下すわけで、ある意味「気楽」というか、書きたいことを書いて、最後は裁判官が決めてくれるという感じであった。とはいえ、少年が審判で女性裁判官に土下座して謝ったため、少年院送致予定だったのが、保護観察処分になったという審判を経験し、女性で裁判官というのはつらいなあ、女性としての感情を日頃どのように統制しているんだろうか、思考で統制していると、案外強い感情に流されてしまうことも起きてくるのかもしれない、などとも思っていた。

 つまり、検察官とか裁判官とか、司法試験に合格した法律家の方々は、判断・決定を下す別世界の人たちで、責任が重くて大変だなあ、法学というバックグラウンドを持っているからこそそれが可能になるのだろうと、遠くで見ていた。周りにたくさんいる司法試験合格組ではない、一般の法学専攻者たちに対しては、現実的で、きっちり議論を積み上げていく人たちと感じることが多かった。そこが素晴らしいと思う一方、「細かいことにこだわるなあ。どっちでもいいんじゃない? そんなこといってないで、こうやった方が早くない?」とかは思うこともあった。「適当」なのは、心理専攻の特徴というより、筆者個人のものかもしれないが。

Ⅱ 大学に移ってから法学専攻者との関わりで思ったこと

 大学に異動してまもないある日のこと、研究室にA判事とB弁護士が訪れてくれて、NPO法人「被害者加害者対話支援センター」の活動に参加しないかとお誘いいただいた。A判事は手土産に551の豚まんを持ってきてくれた。大阪名物とあとで知った。

 その活動を通して、多くの弁護士、判事、大学の法学の教員、そして法学専攻の学生たちと関わることとなった。また、その後一般社団法人「もふもふネット」を立ち上げたことから、弁護士から犯罪心理鑑定(審判・裁判における「意見書」の作成)や治療教育プログラムの実施を依頼されることも増えた。もふもふネットの仲間には弁護士も複数いるのだが、法律的な懸念があって判断に迷うときには本当に助かる。加えて、もふもふネットでは会計決算・監査も弁護士がやってくれていて、弁護士資格には税理士資格ももれなくついてくると知った。弁護士ってすごい、便利とつい思ってしまう。

 同じ司法試験合格者でも、検事と裁判官、弁護士ではかなり肌触りが違うということにも気づいた。筆者は東京下町の生まれと育ちで、根っこのところに「お上にはとりあえず従っておくけど、できるだけ関わりたくない」という気持ちがある。「えらい」人を見ると、その人本人を見ずに敬して遠ざかろうとする偏見をもっているのである。しかし、弁護士の仕事と臨床心理の仕事は、実は大いに共通点があることを見出した。どちらも個別のケースに対して、一人の人と向き合い、話を聞き、家族など周囲の人とも関わり、クライエントの福利のために最善と思われることを実行しようとする。その土台となる枠組みやスキルに、法学と心理学という違いがあり、弁護士は罰の軽減とその先にある被告のより良い人生を目指しているし、心理師は、現在と過去の振り返りを通しての将来の展開を目指している。使っている言葉は異なっているが、補完して協働できると理解した。というわけで弁護士に関わる偏見は雲散霧消している。

 法律家あるいは法律を専攻した女性たちの感情状態は、抑え込まれているどころかむしろ奔放というか激しいことが多いことにも気づかされた。友人である女性の弁護士たちや大学教員たちは、驚くほどの情熱を持ち、積極的かつ感情をこめて公に意見を述べ、それだけではなく社会に向けての発言と実際の行動を行っている人びとである。おそらく自身の欲求や感情をよく自覚し、言語化し、かつ法律あるいは思考という枠組みの中でそれらを表現し、実現していく訓練を受けているからこそ自信をもって行動できるのであろう。例えば、子どものアドボカシー、性犯罪に関わる法律の改正運動等、社会的な発言や実践活動をしている。

Ⅲ 法学部の学生たちとの関わりから

 学生時代に一緒に活動をしていて、法科大学院を出たものの、残念ながら司法試験には合格せず、進路に迷う者、あるいは法学を背景として非行少年や受刑者、刑余者たちと関わることへの疑問を感じて、しばらく道に迷っているように見える人たちとの関わりもある。本人の志向によっては、法学を背景として大きく制度や法律に関わるより、直接一人一人の非行少年や受刑者、刑余者と交流することに意味を見出す人たちもいるようだ。筆者の研究室の修士課程や3年次編入試験には、そうした法学部からの進路変更組が少なからずいる。

 司法試験挫折組は、それでもいずれは、それぞれ自分の道を切り拓いていっている。企業に就職し、そこで企業の人権侵害に抗議して退職し、起業した者、大学の研究院や法律事務所の事務職をしながら公益法人で活動するようになった者、法学の知識やマインドは、社会の中で活躍していく上で、現実的なツールとなるように思う。

 法学部からの心理への転入組、あるいは法学を背景としつつ対人支援職に就いた人びとは、個人の印象ではあるが、当初やや「かたい」と感じることもあるが、次第に柔らかくなっていく。そうなると法学の知識、価値観や態度があることは、屋台骨を支える軸となって良い味を出してくる。よりどころがあるので、自由にできる感じとなる。

 特に期待するのは、「人権」感覚である。例えば、「一人一人が自分の王国の王様である」という境界線の概念と個人同士の「同意」について十分に理解すること、それを社会の人びとの理解が進むよう伝えること、ひいては人権が尊重されるよう実際に行動に移すこと、等である。法学部ではその大切なことを学んでいるように思う。


※ 「法学部で学ぼうプロジェクト」編集部より

本記事は月刊法学教室2021年1月号(484号)の特集「法学だって、仕事に活かせる。」に掲載されたものを、著者の許諾を得て転載しています。
この記事のほかにも、法学と仕事のつながりに注目した記事が載っていますので、興味のある方はぜひチェックしてみてください!

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藤岡先生のご研究に興味を持たれた方は、先生が編者として関わられた『司法・犯罪心理学〔有斐閣ブックス〕』(有斐閣、2020年)を手に取ってみてください。

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