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ザルツブルク観光案内

 ザルツブルクといえばサウンド・オブ・ミュージックの舞台として有名な街だ。オーストリアに旅行に行ったことがある人であればウィーンのついでに訪れたことがある人もいらっしゃるかもしれない。また音楽関係者であればモーツァルテウム音楽大学は聞いたことがあると思う。モーツァルトの出生地としても有名である。
 と書くと観光案内などせずとも充分有名ではないか、と思うかもしれないが、実は意外と日本人(の若者)は来てくれない。私は学部時代に一年間ザルツブルクに留学し、今もザルツブルク史を追っかけている大学院生だが、友人たちはウィーンには行ってもザルツブルクには意外と来てくれない。おそらくサンド・オブ・ミュージックやモーツァルトが刺さる世代の人でないとわざわざ行こうとはならないのだろう。後輩たちに至ってはオーストリアどころかドイツにすら行かない人も多い。やはりイギリスやフランス、スペインの方が知名度や食、ファッション、スポーツ面などで魅力的に映るようだ。
 前置きが長くなってしまったが、とにかく、今回は自分おすすめのザルツブルクの観光名所を紹介していこうと思う。ザルツブルク大司教区の司教座として1000年以上の歴史を持ち、塩の採掘、そして交易で栄えた町並みは一見の価値はあるはずだ。

1,ミラベル宮殿


ミラベル宮殿

 最初は駅の南西、徒歩10分ほどのところにあるミラベル宮殿から。この宮殿は17世紀に時の大司教、ヴォルフ・ディートリヒシュタイン・フォン・ライテナウが愛人のために建設した宮殿である。そもそも貞操を守るべき聖職者が愛人のために宮殿を作るなんて・・と思うところであるが、こうした堕落した聖職者があちこちにいたということもまた宗教改革への重要な伏線であるので、これもこれでまた歴史の一つの遺産として楽しんでほしい。
 なおこの宮殿は主にホールとして使われており、ふらりと立ち寄った観光客が見学できる場所はあまりない。しかしその庭園は一見の価値があり、またサウンド・オブ・ミュージックのドレミの歌のラストシーンは宮殿前の一角である。駅から宮殿まで歩き、庭園を見つつ疲れたらベンチで一休み、そして再び歩いて川を渡り旧市街へ・・というのがおすすめのコースである。旧市街~駅間は路線バスを使うと楽だが、歩いても2,30分なので徒歩で行くのが個人的にはおすすめだ。

旧市街、そして街のシンボルであるホーエンザルツブルク城が見えるこの景色はおすすめ

2,モーツァルトの家、モーツァルトの生家

モーツァルトの生家。旧市街の目抜き通りであるGetreidegasse(穀物通り)にある。

モーツァルトが少年期を過ごした「モーツァルトの家」はミラベル宮殿のすぐ南の新市街に、モーツァルトが生誕時に住んでいた「モーツァルトの生家」は川を渡った旧市街にある。この二つの名所は必ずガイドブックに載っているので改めて解説する必要はないだろう。ただ、「モーツァルトの家」の方は一階にカフェがあり、ここのケーキが非常においしいのでお勧めである(コロナパンデミックの後に運営が変わったという話もあるので要注意)。なおザルツブルクにはカフェが多く点在しており、もし時間があるのならカフェ巡りも是非おすすめしたい。いずれ別ページでカフェについてはまとめようと思う。


3,大聖堂とレジデンツ

中央右手のドームのある大きな建物が大聖堂で、大聖堂とつながるコの字型の建物がレジデンツ

 ザルツブルクで最も見ごたえのある建物といえば大聖堂だろう。人によっては、大聖堂よりも後述するホーエンザルツブルク城の方が良いという方もいるかもしれない。確かに城からの景色は素晴らしいし建物も立派だが、中の展示や装飾は大したものがない(もともとホーエンザルツブルク城はFestung、つまり要塞なのだから装飾その他が簡素なのは当たり前ではあるのだが)ので、レジデンツや大聖堂に比べたら大したものではないと私は思う。
 そもそもザルツブルク大司教区は、バイエルン公の支援の下で9世紀に聖ルぺルトによって創設された。その中心は後で紹介するザンクト・ペーター修道院で、大司教も最初はここに居住したらしいが、12世紀に大聖堂横に最初のレジデンツが建てられ、それ以降大司教はレジデンツに住むようになった。ザルツブルクの塩鉱が最初に文献で確認されるのは1192年といわれる。つまりレジデンツはザルツブルクの経済発展とともに歩んできた建物なのである。ただし大聖堂は774年に建てられており、今の建物になったのが1614年、レジデンツは今の建物になったのは1612年である。


大聖堂内部

大聖堂もレジデンツも、大司教の権威を象徴するかのような大きさと豪華さがあり一見の価値がある。何よりも、旧市街の中心地にあるので行きやすいのもポイントが高い。なおレジデンツの写真は、下記のザルツブルク観光案内サイトにきれいな写真が載ってるので気になる方は確認してほしい。

4,ホーエンザルツブルク城


ホーエンザルツブルク城と教会たち。旧市街の北のはずれまで行くとこのような景色が見える。

 ホーエンザルツブルク城はレジデンツより少し前、11世紀の1077年に建てられた城塞である。最初は小規模な城であったようだが、改築を重ね、現在のような立派な城塞となる。
 そもそも、ザルツブルクはローマ時代も都市であったが、ローマ崩壊とともに一度街は衰退していた。前述のように800年ごろにバイエルン公の支援によって大司教座がおかれたのがこの街の再発展のきっかけである。同時に土地なども寄進されたことで大司教は領土を持ち、ザルツブルク大司教領としてザルツブルクを中心とする領邦国家を形成していく。しかしザルツブルク大司教領が塩、イタリア交易、そして寄進された所領により豊かになっていくと、今度はバイエルンにとってのライバルともなっていき、両者の間では長きにわたり戦争と和平が繰り返されるようになった。時にはバイエルンの軍勢が旧市街まで攻め込んできたこともあったが、そうしたときに大司教が立てこもり、ザルツブルクの存続に寄与したのがこのホーエンザルツブルク城である。
 こうした戦争のための城なので、城からはザルツブルク市街はもちろん、遠方まで一望でき、晴れていれば美しいアルプスの山々を楽しむことができる。アクセスは市内からケーブルカーで行くもよし、足に自信があるなら旧市街の裏側からノンベルク修道院に立ち寄りつつのぼってみるのもよいだろう。なお前述のとおり展示物に面白いものが少ない気がするが、レストランやカフェ、また古い礼拝堂などがあるので景色とともにこれらを楽しむことをお勧めしたい。

城の中はかなり広い。夜には観光客向けにホールでの食事つきコンサートが開催されている。夜の城内はまた違った雰囲気があるので、ザルツブルクに宿泊する際はぜひ参加を検討してみてほしい。

5,ザンクト・ペーター修道院

修道院入り口

 ザンクト・ペーター修道院は696年に聖ルペルトが創建した修道院だ。この修道院を母体として司教区が作られたので、大聖堂やレジデンツができるまではおそらくここが司教区の中心だったのだろう。現在でも修道院は解散されず存続しているのも興味深いが、観光客も宿坊に宿泊したり、修道院のパン窯で焼かれたパンを食べたりと楽しむことができる。またザルツブルク司教区の創建者である聖ルペルトの遺体が修道院の礼拝堂に安置されており、小規模な建物には不釣り合いなほどの豪華な祭壇とともに修道院の歴史を今に伝えている。せっかくザルツブルクを訪れれたのならば、司教区の始まりの地ともいえるこの修道院も是非訪問してほしい。

修道院の美しい祭壇

 サウンド・オブ・ミュージックでも撮影に使われ、またドイツ語圏最古の女子修道院であるノンベルク修道院や、ザルツブルク旧市街を一望できるカプチーナ修道院、各種博物館、おすすめレストラン、カフェ、クリスマスマーケット・・とまだまだ紹介したい場所は多いのだが、3,000字になってしまったので今回はここまでとしたい。紹介したい他の施設についてはまた別途書くのでお楽しみに。

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