なんのために生きるのか。
今日は少しだけ重い話だ。
「自分はなんのために生きているのか」
耳にするのが痛い人もいるかもしれないけど
誰もが1度は考えたことがあると思う。
ボクがこれを初めて考えたのは中2とかだったかな、
当時、自分が出した答えは
「俺が幸せになるために生きる!自分ファースト!」
クラスが明るくなるように率先して真ん中に立って、みんなを巻き込んでワイワイガヤガヤしてたから
自分が楽しくなきゃ、みんなを楽しまさせられないやろ
みたいな感じで自分ファースト主義だった。
自分勝手とは違うよ(多分ね)
いま思い出すとすごいピュアな奴だったな。
そのあと元ウルグアイ大統領 ホセ・ムヒカ氏のスピーチを見て「本当の幸せ」について考えたこともあったけどこれはまた別の話、、
でも高校に入ってそんなことも全く考えなくなった。
ボクの学校は自称進学校だったから嫌でも高1の時から受験とか進路のことを考えなきゃいけなかったし
部活が忙しかったりキツかったり面倒くさくなったりで余裕がない時もあったし
中学生の頃はあまり考えなくてもなんとかなった「現実的」なことを少しずつ真剣に考えなきゃいけなくなってきた。
テストの点数、順位、偏差値、課題、大学、進路、職業、お金、、、
なんにも考えずに、時の流れや社会の流れ、学校の流れに乗ってなんとなーく生活を続けた。
幸運にも、受験期に非電化工房のことを知って、大学受験はやめて弟子入りの道を選んだからもう一度考えなおす機会を得た。
その時はいろいろネットを駆使して、いろんな人のスピーチを聞いたり文章を読んだりしたなあ。
そんなこんなで弟子入りが決まった当時に出した答えは
幸せになるために生きる
そう。結局これだった。いろいろ考えてこれだった。
でも中学生のときの、とにかく人生を楽しむぞ!!ていう「幸せ」ではなくて
暮らしや経済のこと、自分や家族、友達のこと、いっろーんなことが関係しあっている 豊かさ の意味も込めた深い意味での「幸せ」。
「ボクたちは幸せになるために生まれてきたんだよ」と言う人は非常に多い。
ボクもその仲間入りをした。
でも心の中ではずっとモヤモヤしていた。
「幸せ」って何?
「幸せ」て人それぞれじゃん。
抽象的すぎない?
なんかイメージが湧かんわ。
みんな言うから言ってるだけなのかな?
ボクにとって「幸せ」という言葉があまりにフワッとしすぎていた。
モヤモヤのまま、そこまで深く考えずに生きていたのだが、
なんと、、
非電化工房に弟子入りしてすぐにそのモヤモヤが解決したのだ!
本当にすぐだった。住み込み弟子生活が始まって数日の間にだった。
ある日の昼食のあと、先生がこう仰った。
若者もお年寄りも誰でもみんな
" 自由で、クリエイティブで、たくさんの仲間と仲良く、誇り高く、健康に、愉しく生きたいんだよ。 "
これだ!!!!
幸せってこれのことだ!!
心の中がぱぁとスッキリしたのを今でも覚えてる。
お金持ちという形かもしれないし、
田舎で小さく暮らすという形かもしれない。
それぞれみんな幸せの形は違えど本質はこれなんだとボクは確信している。
これが分かってからたまーに自問自答するようにしている。
自由に暮らせているかな?
何かに制約されて生きづらくはないかな、
色んなことに対して興味や好奇心があって、
ワクワクのあるクリエイティブな毎日かな?
周りには支え合う家族や友達がいるかな?
孤独じゃないかな。
自分に誇りを持って生きているかな?
身体も心も元気かな?
なんのために生きているのかわからない人、
なんとなく日々生活している人、
いまの生活にモヤモヤしている人、幸せになりたい人、
変わりたい自分がいる人、
一度、自問自答してみてほしい。
そして何か思い立ったなら行動するといい。
ボクもすぐ行動することはそこまで得意じゃない。
一緒に行動しよう!
さいごに
去年の夏に「パーマカルチャーと平和道場」で共生革命家のソーヤー海さんから聞いた話、
今の日本は、お年寄りや子供が「資源」じゃなくて「問題」や「重荷」になることが多い。
例えば、お年寄りは赤ちゃんや子供を見るのが非常に得意。
それだけどお年寄りは老人ホームにいれられ、ますます子供との距離はどんどん離れる。
それぞれの役割をいかせていない。
この先自分も歳をとり、そして老人ホームに入って、って今と同じような社会を生きたくないよね。
これは根本の問題。掘り下げないとみんなが幸せにはなれない。
最近のお年寄りの多くが、誇りを失ってしまっている。
若者でさえ、大勢が誇りを失っている。
お年寄りも子供も、女性も男性も、みんなが誇りを持って生きることができる世界がいいに決まっている。
ネイティブ・アメリカンは、物事を決めるときに「七世代先の子供たちのために」と考える。
ボクの師匠も、海さんも、ダイナミックラボのテンダーさんも、その他にもたくさんの人が同じようなことを言う。
自分も、自分の家族や友達、赤の他人、未来の子供や孫、そしてそのさらに先の世代の子供たちもが、
自由で、クリエイティブで、たくさんの仲間と仲良く、誇り高く、健康に、愉しく生きることができる社会を目指して、
自分にできることをやっていこう。
非電化工房での学びがその第一歩だ。
とにかく今は励みます。
お互いに頑張りましょう。
じゃ、またね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?