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新米収穫。ちょっとの嘆きと大きなお祝い


眠れない夜

嘆きがある。

自分にとって非常に厄介な存在であると気付いていても未だ抜けない完璧思考。

2024年に収穫したお米は、11月2日に大熊町で行われた「ふるさと祭り」を皮切りに大々的に販売開始する予定だった。

自分とパートナーの活動の屋号やロゴ、お米のコンセプトからブランド名やパッケージを含めたブランディング。

2024年の始めから知人のデザイナーと相談しながら進めていたのだが、祭りの2週間前にデザイナーからの連絡が途絶えた。

完璧思考の自分は、せっかく花火を上げるならできるだけそれ以前に必要以上に想いや情報は外に出さないようにしていた。

が、1年間思索していた花火は、不発どころか打ち上げることさえできなかった。

デザイナーからの連絡が途絶えてから、妙なモヤモヤが心を蝕んでくる。胸がキューと締まる瞬間がよくある。

そして祭りが終わってなんだか眠れない夜にこの文章を書いている。

お祝いと感謝

が、そんな嘆きに想いを馳せながらも

今年も無事に新米が収穫できたことが何より大きなお祝い。

まず一番に、甘ったれで不甲斐ない自分を見捨てずに支えてくれたパートナーの沙季ちゃんに大きな感謝と愛を伝えたい。

そしていつもお世話になっている地元のじっちやばっぱ達。同世代の仲間たち。そして全国の友人。

稲作だけでなく自分に関わってくれている全ての人に感謝を伝えたい。

そして忘れてはならない、声を持たぬ者たちの存在。

水、空気、太陽、土の微生物、イトミミズやカエルなどすべての生き物達のギフトで僕らの生命は成り立っている。お米も同じだ。

全てのギフトに感謝しています。

photos by Dory 誠

大熊町での稲作

早いもので福島県大熊町に移住して3年目が突入した。

大熊町で2年目の稲作。紆余曲折あったが、今年も無事に新米を収穫することができた。

1年目の去年は、初めて苗から収穫まで全行程を自己責任で担った年だったのでてんやわんやだった。

2年目の今年は、去年よりは少し慣れて、稲という植物とそれを取り巻く田んぼというフィールドと自然環境、そこに住む生き物たちにも落ち着いて目を向けられるようになった気がする。

去年よりも確実に生態系が豊かになった感覚がある。

もちろん要因は無限なので一概に自分の振る舞いの結果とは言えないが、

今年の冬は去年はいなかったニホンアカガエルやヤマアカガエルがたくさん産卵してくれた。ホタルもたくさん現れた。水鳥もよく遊びに来た。去年は聞こえなかった生き物の声がたくさん聞こえた。

photos by Akihiro Itagaki (Nacasa & Partners)

自分たちは、去年よりたった1か月早く水を張っただけ。

たったそれだけでフィールドの生物多様性が豊かになった気がする。

人間まだまだやれることはたくさんあるなと再確認、カエルたちに背中を押された。

photos by Akihiro Itagaki (Nacasa & Partners)

大熊町で生活していると、本当に多種多様な人と出会うのだが

よく人から 農家 と紹介されることがある。

度々「あー農家というよりは百姓です」と答える。

自分にとって農家とは、農業をしている者。

農を生業としている者。

それは生産農家であり生産販売農家である。

農家の方々をとても尊敬している。

だからこそ、自分を農家とは名乗っていない。

ただ米を生産するために農業をしている訳ではない。

田んぼの役割

稲作とは、ただ稲を栽培する、米を作るだけではない。

稲を栽培するためには、田んぼというフィールドが必要。

そして田んぼにはそもそもの役割がある。

それはダムのような貯水機能により洪水を防いだり、

生きるために欠かせない水を濾過や浄化して綺麗にしたり、

雨や風が土に直接当たらないことによって土砂崩れを防いだり、

メダカやカエル、たくさんの生き物たちの棲家になったり、

田んぼにはこれらの重要な役割があって、

この役割を全うした上で、自分たち人間は米という食糧を頂くことができる。

「生産」は田んぼという環境の副産物にすぎないのだ。

そして今、この地域で田んぼを作ることに意義を感じている。

移住してきた人間の唯一の役割は『なぜこの地に原発が建ったのか』を考え続けることだと思っている。

2011年の東日本大震災による原発爆発事故で放射能汚染されてしまった大熊町。

その影響で十数年、農の営みは止まってしまった。

避難が解除されて、営農を再開されてももう一度農業を再開される地元の方は数少ない。

自分が住む大川原地区は、元々稲作が盛んな地域だったそうだが、まだ田んぼの景色は少ない。

人間の手によって汚染されてしまったこの土地で、

多くの地元住民を置いてけぼりにしながら、目紛しく成長を加速させていくこの町で、

また汚染を進めるような稲作はしたくないし

過剰なエネルギーを使って稲作はしたくないし

大きな補助金を使って稲作はしたくないし

とにかく増産や成長を目指す拡大思考な稲作はしたくない。

地元の方たちが少しでも故き良き思い出を懐かしむ仕掛けを作りたい。

自分たちにとってこの地域で稲を栽培して米を作るということは、

失われた田んぼの役割を取り戻す環境活動でもあるし、現代の拡大主義に対するアンチテーゼでもあるし、この町で歴史を紡いできた先人たちの原風景を再現する社会活動でもある。

photos by Dory 誠
photos by Dory 誠

そして、地球に生まれた人間という動物として必要不可欠な生存活動でもある。

動物として生きる

冬に水が張られた田んぼに水鳥が遊びにくる。

ひたすら食糧を探して水の中に嘴を突っ込んでいる。

彼らを見ていると色々なことを考えさせられる。

動物は、食べること、巣を作り休息を取ること、人生の大半の時間を生存を存続させるために使っている。

photos by Akihiro Itagaki (Nacasa & Partners)

対して人間は、生存に直接的に関係ないことに人生の時間の大半を使い

多くの人が鬱になったり、心を悩ませていたりする。

そんな世の中にいながら、鳥たちを見ていると

動物らしくありたいと思うことがよくある。

いやそもそも自分たち人間も同じ動物なのだ。

他の動物と同じように、自分のことは自分で養う。

炭素体生命体である人間にとって、日本人にとって生きるのに欠かせない米を自分で生産する。

自分自身を養い、次に家族や親戚を養い、仲間や友達を養う。

そして余力があれば身近なコミュニティを養う。

その動物らしい振る舞いの先に見えてくる何かを大切にしたい。

農家を尊敬していると前述したが、

彼らは何千何万人を養っている。

そして広大な土地を先祖代々継いで守り続けている。

それはとても社会において必要不可欠なことである。

そのためなら除草剤や農薬を使うことは仕方のないことだとも思う。

ただ現状の自分はその領域に強い興味がなく、何千の家族を養うことは自分の責任ではないと思っている。

自分自身を養うために、高額な農薬や除草剤を使う必要はないし、過剰にエネルギーを使ってまでする必要もない。

自分にとっての稲作とは、

この地球で、ただ豊かに素直に幸せに暮らすための生存活動のひとつなのだ。

資本主義社会からしたらなんの価値も生み出してない小さな活動かもしれないが、

これは動物としての最低限の生存活動なのだ。

photos by Dory 誠

新米について

長々と想いを殴り書きしてしまったが、

皆様にこんな想いで生まれた新米を召し上がっていただけたら嬉しいです。

どんな人にでも食べてもらいたいけど、

やっぱり一番は同世代の若者や、これから親になる可能性のある人に食べてもらいたい。

あとは大熊町に住む人たち、そしてその周りの地域に住む人たち。

でもどんな人が食べてくれても僕たちは幸せです。

スーパーに置いてあるお米よりはお高いけど、安心して美味しく食べるために色んなことに配慮して栽培しています。

米を口にする人間以外の色々なことにも配慮しているから少しばかし手がかかるため、2.5反ほどの小規模で栽培しています。

有名ブランド米のように「モッチモチで甘〜い」という味とは違く、程よいモチモチ加減で粒立ちよく、あっさりとして、冷めても美味しく、毎日食べても飽きないお米になっています。玄米でも食べやすいと思います。

皆様にお福分けできれば嬉しいです。

注文は下記のgoogleフォームからよろしくお願いします

ちょっと心がスッキリしたかも。

寝れるといいな、おやすみなさい!またね!


photos by Dory 誠
photos by Dory 誠
photos by Dory 誠
photos by Dory 誠
photos by Dory 誠

Photographer

- Akihiro Itagaki
Instagram @a_itagaki
-Dory 誠
Instagram @hirop.hoto

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