手を繋いで歩く日々
息子の小さな手。
玄関でわたしが開けたドアを、わたしの脇の下をすり抜けて息子がピョンと表に出る。2人で玄関を出て、玄関の鍵をかけマンションのエレベータまでの数メートルを2、3歩歩き出したところで、わたしの右手に息子の左手がするりとおさまってくる。
「手を繋ごう」とも「手を繋いで」とも言ったわけでもないのに。
前に進むために足を左右交互にだすことと同じような当たり前さで、息子はわたしと手を繋ぐ。今は毎日のことだけど、この先何年も続くことではないことだって知っている。だからこそ、わたしの右手におさまってくる、息子の小さくて温かくて柔らかい手を握るたびに、毎日毎日毎回毎回、繋いだ手に少しだけ力をこめてその感触を確かめる。この手の柔らかさを、暖かさを、小ささを、愛おしさを絶対に忘れるものかと思いながら。
「あとどれくらい、こうして手を繋いで歩けるだろう」
そう思っては「この手の感触を、忘れたくない」と強く願っている。
息子より4つ年上の娘の手の感触が息子で上書きされてしまったけど、まだほんのり覚えている。でもきっと、この先何年も何十年もたてば、忘れてしまうんじゃないかと今から少し怖い。
4月になれば小学1年生。
毎朝、一緒に保育園に通う日々があと3ヶ月で終わる。わたしの脇の下をすり抜けて玄関を出ている息子が、自分で玄関をあけ、わたしに見送られて1人で歩いていく日がもうすぐやってくる。
幼児から子どもになっていく。
何ヶ月後か何年後か、ふと気づいたらわたしと息子が手を繋ぐ日々は日常でなくなっているんだろう。だからこそ、今日も明日も息子の手の温もりを、確かめてはやっぱり泣きそうになりながら、握り返しては小さな頭を見て、手を繋いでくれる日が1日でも長く続くように、右手をいつでもあけていようと思う。
※2019年1月に書いたのを今更公開しました。(2021年9月)