桜の花は 別れの栞
―――そんな歌詞の曲があちらこちらから漏れ聞こえてくる季節になった。
別れの季節は同時に出会いの季節でもあるんだ・・・なんて安っぽい言葉を聞いたことがあるが・・・そもそもが人の心はプラスの記憶よりもマイナスの記憶の方がより強く刻み込まれやすいように出来ているのだ。
春は、別れの季節。間違いない。
―――――この文章は半フィクションです
先日、私は大学生としての3年間を共に過ごしたと言っても良い大親友の卒業式を観に行くこととなった。私は浪人組のため、同い年の友人たちの社会人デビューを見送る形となるのだ。
「独りで式に出るのは寂しいやん。来てくれや」という友人の言葉に、ゲタゲタと笑いながら頷いたのが、つい数週間前。ほんの少し前のネット通話でのやり取りなのだが・・・どうも遥か昔の出来ごとのように感じてしまう。
ともかく。私は彼の卒業式を観に行ったのだった。
式典までの一週間、彼は私の家に寝泊まりすることとなった(なんでもアパートを解約してしまったために帰る家がないのだとか。私はまた笑い転げた)。その一週間、私たちは毎日飽きずにバカ話をし続けたし、飽きるほどゲームをし続けた。レンタカーを借りて箱根にだって足を延ばした。
本当に、楽しかった。
しかし同時に私は、焦っていた。私たちがこうして何も気負っていないような顔をして、顔を突き合わせてバカ笑いできるのは、恐らくこれが最後。この一週間の間に、思い出に残るような「何か」をしたい・・・と。
焦って焦って、その挙句に私が至った結論が、「Youtubeでライブ配信をしよう!」だった。なんだそれ。
一応、この結論にたどり着いたのにもちゃんとした(?)理由があったりはする。
友人は中学から高校時代にかけて・・・ラジオ名は伏せるが・・・Youtubeにてラジオ動画の配信をしていた。当時の私もゲストとして出演させてもらってたりする。
当時は気が付かなかったが、あの頃の私たちには、今の私たちが出せないような輝きがあった。ぼんやりとくすんで、周囲のクラスメイトに紛れてしまうと見えなくなるくらいの鈍い光ではあったが、確かに輝いていたのだ。
彼のラジオ動画を見返す度に感じていた、懐かしさと憧れが入り混じったような、心が凪いでゆくあの感覚。大昔のアルバムを引っ張り出してきた時のような感覚に近いだろうか。
大学の間中、彼と私は夜な夜な通話を繋いではバカ話に興じていた。そんな、「今」の自分たちが談笑している姿を、繰り返し巻き返し眺めていられる「思い出」として残したかったのだ。
その為に配信機材も買いそろえたし、少し前からテスト配信も2,3回ほど繰り返していた。準備は済ませている・・・つもりだった。
結果から言うと、配信は失敗に終わった。
音声機材と配信ソフトの不調。それと何より、準備の詰めの甘さ。友人は「何でも最初はそんなもんや」なんて慰めてくれたが、私はやるせなさでどうにかなりそうだった。
というか友人には「Vtuberになりてぇ!つっても独りじゃ喋れないからトーク相手になってくれ!!!」としか言っていないのだ。
配信に失敗し、自傷に走りかねない程に落ち込みまくる私の姿は友人にとってはこの上なく意味不明であったことだろう。
申し訳ないことをした。いや本当に。色んな面で。
閑話休題。
ともかく、そんなこんなで私は友人の卒業式に父兄席にて出席したのでああった。式典が終わればその足で秋葉原へ。
友人と共に行く、最後の巡礼である。
思えば上京前は憧れの地であったアキバも、ここ数年で完全に見慣れてしまった。私が彼とのアキバ巡りの待ち合わせで大寝坊をかましてしまったのは・・・ちょうど1年ほど前のことだっただろうか。
色々なことが懐かしく思い出されては脳裏に沈んでゆく。
歩を進めるほどに、彼と私の言葉数は少なくなっていった。
友人は夜行バスで実家へ帰るのだという。
既に日は暮れている。出発時刻は近い。
別れの2時間前、私たちはつけ麺を食った。つけ麺は私の大好物だ。
浪人明けの私が一年遅れて上京してきた当時、私は「東京の美ン味いつけ麺屋」を調べ上げては友人をあちらこちらへと誘った。
新宿の『百日紅』はそうした店のうちの一つ。
数年前に来た時には、メニューの「濃厚つけ麺」を食うか「煮干しつけ麺」を食うかで彼と私は真っ二つに分かれ、対立した。
隣で煮干しつけ麺をすする友人に、私は”これだから田舎出身者は”と罵り嘲ったものだ。「濃厚」と書いてある方が濃ゆくて美味いに決まっているじゃあないか。世の中の食い物は味の濃さで美味さが決まるのである。
彼と私は同郷であった。小・中学まではバリバリ一緒。
果たして、今回も彼が手にした食券は・・・煮干しつけ麺。「美味い?」と聞けば、「美味い」とのこと。「じゃあ僕もそっちにするわ」。
こうして第二次つけ麺戦争は私陣営の譲歩により未然に防がれた。めでたしめでたし。
・・・ぶっちゃけ、「煮干しつけ麺」は「濃厚つけ麺」よりも濃厚だった。鬼のように美味いので、二人して特盛をペロリと食べつくしてしまったほどである。
・・・しかし、濃厚つけ麺より濃厚であるならばもはや濃厚つけ麺は濃厚つけ麺ではなく煮干しつけ麺が濃厚つけ麺なのではないだろうか?しかしそうなると濃厚つけ麺は何つけ麺と呼ぶべきか・・・。
ともかく。
そんなこんなで別れの時間が近づく。
「バス停、どれや?」
「あれじゃないか?」
「ホンマや、多分あれやの」
「だの」
しばしの沈黙。つけ麺屋を出た時点で、二人ともだいぶ口数が減ってしまっていた。
「・・・あれ何の行列や?」
「タピオカドリンクやろ」
「よう並ぶわ、寒いに」
「やの」
「・・・・・・。」
沈黙が嫌で、ひとつふたつと話題を振ってみるものの、結局それほど盛り上がらないまま消えてしまう。
「・・・バス、あれやないか?」
「あれやの」
「来たなぁ」
「・・・来たの」
最後に泣きながら抱きしめ合えるくらいに感情家であれば、こんな感傷に浸ることもなかったのだろう。
生憎、私も彼もそんなガラではない。
互いにいろんな言葉を飲み込んでいるのてあろう沈黙は、刻々と新宿の雑音に紛れ、溶け消えていった。
夜行バスが静かにこちらへやってくる。
「んじゃ、身体に気をつけての」
「ん。また通話しましょう」
「あい」
大好きな小説ほど、最後の数ページを読み切らないまま閉じてしまう。私の昔からの悪い癖だった。彼がバスに乗り込むのを見届けてしまう前に、私は踵を返し帰路を急いだ。
私の大学生活の、恐らく一番楽しい時期が、黒い排気ガスを闇夜に吐き出しては走り去っていった。