私たちは誰かに命を救われて生きている
今回は私の家族の話をしようと思う。
私には物心ついた頃から母親がおらず(死別ではない)、どんな人か知らなかった。父と祖母と祖父の四人で暮らしていた。祖母が私の母親代わりだった。
母親という存在を知らない私はどこか欠けているのではないか。私の生きづらさの原因はそこにあるのではないかと思っている時期もあった。
私は自分の母親に会いたいとは思わず、初めからいない存在だという認識で、寂しい悲しいという感情はなかった。ただ自分は不完全なのではと思っていた。
大学の卒論で、明治の文学作家「泉鏡花」の『龍潭譚』という作品を題材に「子供の成長に母親の愛情は必要か」というテーマを扱った。
『龍潭譚』では幼い頃に母親を亡くした「千里」が、神隠しに遭い、その先で母親のような妖怪のような存在と出逢い、甘える。最終的にはその存在たちに送られて元の村に帰ってくる。
作者の「泉鏡花」も幼い頃に母親を亡くしていて、作品に母親のモチーフが登場することが多い。
私はその作品を利用して、「産みの母親」の愛が子供には必要なのか考察してみた。自分の生に対する答えが欲しかった。
卒論で私が出した答えは「子供は成長する過程で様々な存在から愛情を与えられている」というもの。産みの母親が成長の過程でいない場合でも、育ててくれた大人、周りの人達、自然という大きな概念等全てのものが、母親代わりのような愛情を子供に注いでいるのではないかという答えに落ち着いた。
しかし私の場合は、成長の過程どころかはじめからずっと守られていたことを最近知ることになる。
私の母親は心が強くなく事情があって子育てが難しく、父が預かって父と祖父母と暮らして祖母が母親代わりをしてくれたことで私はここまで元気に不自由なく育ってきたのだった。
親だけでなく私が何度もダメになりそうになる度大人や友達や環境、触れてきた本や音楽。たくさんのものに助けられて生きてきた。
私がここにいるのは、私を救ってきてくれたたくさんの人のお陰。
人は多かれ少なかれ誰かに救われた経験があって、そのお陰で今生きているのではないかな。
そう思って、今回壮大なタイトルをつけてしまった。
「私たち」と書いたけれど、そんなことないよと思う人もいるかもしれません。
「救われて生きてきた」と思いながら私自身誰かを救えていないし、恩も返せていない。常に感謝して生きているかも怪しい。環境を恨んでしまうことも多い。
それでもここで書いたことを心に留めてこれからも救ってもらった命で生きていく。