君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2009年の志村は明らかに精神が不安定だったのを覚えている。全曲セルフプロデュースを務めた4th「CHRONICLE」は内容が暗い曲が多かったし、突然髪を金髪に染めたり、8月に出演したロックインジャパンでは声があまり出ていなくて、ギリギリの状態で自らを保っていたように感じていた。
僕が志村の死を知ったのは、友人から突然「フジファブリックのボーカルが死んだぞ!!」とだけ書かれたメールをもらったのが始まりだった。何を言っているのか分からなかった僕は、すぐにネットを開き、そこでやっと志村の死に直面した。その後の事は全然覚えていないけど、とにかく悔しくて堪らなかった。受験が終わり上京すれば、志村がいるフジファブリックのライブが観れると考えていたからだ。夢が潰えた。同年7月にアベフトシが亡くなった時も同じような感情を抱いたけど、フジの活動をリアルタイムで追っていた分、衝撃が大きかった。
あれから、10年。
気づけば自分も志村と変わらない歳になっていたなぁ。金木犀の香りが1番好きな匂いになったなぁ。タバコは吸ったこと無いけど、志村の好きな銘柄がアメスピのメンソールだって事は何故かよく覚えてるんだよなぁ。志村のお陰でツェッペリンやAC/DC聴くようになったよなぁ。
とまあ、そんなとこでこの散文の結びの文章とさせていただきます。
ありがとう、志村正彦
今日はとてもいい天気だった
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