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《サバイバーから見た》noteのよさ。[改]

※前記事より加筆しています。
これは『虐待サバイバーnoterとしての私の記事』を読んでくださる方に前々からお伝えしたかったことです。






noteのよさは『読む側に選択権があるところ』だと思う。

私自身、似たような身の上のnoterさんの記事を読んで『励まされるとき』もあれば『完全沈没』するときもある。

読めそうになければ、読まない。

本当に辛いときは『フォロー』を外すこともある。
涙が止まらないときは、どんなに共感してもフォローを外しています。




まだまだ私自身が19…いや二十歳だったか。
随分年上の人に『なぜメンタルクリニックに通っているのか』と訊かれたので、正直に答えてしまったことがある。

話をしたのは親よりずっと年上の方だった。
私から見たら『おとな』だった。
まだ未熟な私には『誤魔化す』という能力や技術はなかった。
『誤魔化そう』とも思わなかった。

ましてや自分の身に起きたことがさほど残酷なこととも思っていなかったため、淡々と受け答えしたように記憶している。

しばらくして、私の話を聞いた人が精神科に運び込まれたことを知った。


未熟ではあっても、19~20歳だから『自分の対応に問題があった』と認識はできた。

『ひとは話を聞くだけで病気になっちゃう』


15~16歳のときに若いカウンセラーの心を折ってしまったことがあるのに、ちゃんと理解していなかった…

当時の私は『自分の話を聞いてひとが壊れてしまう』と思い知った。

しばらくは私自身もショックを受けて足腰が立たず、外出はできなかった。


ずっとでんぐり返りしているような。
周りの景色がぐるぐる回っていた。
自分の『ごめんなさい』『ごめんなさい』という声がぐるぐるの中心あたりに吸い込まれていくのを、泣きながらただ見ていた。
喉は乾くのに、水道にたどり着けない。
水は飲めないのに、涙は枯れない。
もう、私の存在そのものが一滴残らず蒸発して欲しい。
そんな風に思った。





その後の私は見事なまでの『愛想笑い』を手に入れた。

そしてゆっくりだけど『差し支えない場所』が少しずつ選べるようになった。


話していいレベル、また『話しておかなくてはならないレベル』を見極めるようになった。

やはり施設利用時や雇用時には『聞き取り』をされるし、『先出し』しておかなくては不義理になることがある。

とは言え、相手は人間。

けっこう聞き取りを受けるときはドキドキする。
『自分が怖い目に遭う』というわけではなく『相手を潰してしまわないか』に気をつけている。

自分が虐待を受けていたと認識し始めたここ数年は余計にドキドキしている。





こんな風に現実の世界でも『自分は家族から虐待を受けた人』だとは伝えている。
もちろん必要に応じて。




そのあたりの加減をnoteの場合は『読み手』の側が行える。

読まないという選択ができる。

個人的には『私の気持ちをわかる(実感できる)人間は少ないに越したことはない』と思っている。

だけど、
『実際に虐待を生き延びて…その後ってどうしてるの?』
『うち…虐待かなぁ?』
そんな疑問に答えられるのは、
『生き延びた人の声』だと思う。


実際に私は先輩虐待サバイバーたちのnoteを読みながら実家を逃げ出した。

…ああ、やっぱり置かれていた環境がおかしかったんだ…!!






……ただ、私の記事に『共感する人』には辛い経験がたくさんあるでしょう。
私の記事を読むことが辛くて辛くてしばらく体調不良になったり、ひどければフラッシュバックに苦しむかもしれません。
だから、無理には読んでほしくないと思っているんです。
読めるなら、でお願いします。
そのお願いをしなくても、noteでは読み手が『ああちょっと私の今の心の状態では読めないわ』というときに引き返してもらえる。
読まないという選択がしてもらえる。

これは当事者noterさん達がよく使う、
『〇〇の描写が出てきます。苦手な方はお戻りください』
『暴力についての記事です。
フラッシュバックの可能性のある方はご注意ください』と前置きをするのと同じ考えですね。
当事者はまず、自分の心を護らなくてはならないのだから。





実際、こんなヘビーな記事だから書き上げたときにすごく迷う。

『ショックを感じる人がいるよな…』

頭の中を救急車が走り回る。


『お前は不幸をばら撒いている!』
『この疫病神!!』
『悪魔!!』
若い頃にはそんな言葉を投げかけられたこともあった。
又聞きして知ってしまうこともあった。

当時の私は謝ることしかできなかった。

だけど、違うんだよ。

『自分が爆弾巻き付けられてるの知らなかった』んだよね。

謝らなくていいの。


ねぇ、
あなたは不幸の源でも、
疫病神でも、
悪魔でもないの。


少なくとも…自分の経験が人を傷つけると知っている。
知っているのと知らないのでは大きく違う。

その上で言えるのは、『自分の経験が人を傷つけることがあると知らないこと』を責めても意味がないということ。

だから、私も❝若かった私❞を責めないようにしたい。


破れかぶれになるでもなく、そこそこ吐き出したらまた歩き出す。

いまは『ちょっとだけ歩く』を選んだだけ。

読む、読まないを選ぶように。





一応、加筆前のものを貼っておきますね。








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