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虐待問題って子供の方にアプローチした方が早いのでは?

私は職場にも友人にも恋人にも(いたら、ね)虐待を受けていたことをオープンにしている。

ただ何でオープンにしているのか、じっくりじっくりじっくり考えたことはなかったかもしれないな…と。

『仲良し家族に育ったことは堂々と話してよくて、虐待を受けて育ったことは隠さなきゃいけない世の中がイヤ』

何で、私はそう思うのか?


さっき、ふと気づいた。

虐待を受けていることを隠すことが『助けて』を遅らせる。
虐待を受けていたことを隠すことが『助けて』を遅らせたって私がよくわかってるんだ。

そうだ。

私は『虐待を受けている子に❝助けて❞って言っていい』って気付いてほしいんだって。
(まぁ、自分が虐待されていることに気づくのか難しいんだけど…)

◎『助けて』を言って。

虐待しちゃう親にも
『ああ、また手をあげちゃった…』
『また、もの投げて脅かしちゃった…』
と悩むタイプの親もいると思う。
このタイプの親は、まだ『親御さん』と呼んでいい。
むしろ『そうやって悩んでみえるのは、アナタが本当は優しい親御さんだから』です。


しかし、残念ながら本気で『教育のため』にと縄で娘を縛るヤツもいるし、テストの出来が悪かったからと娘に包丁を突きつけるヤツもいる。

また、せっかく娘が頑張って入った学校を強制的に退学させたりするのも本来ならばクレイジーな話である。

また猥褻なテレビを娘の近くでみたりするのもアウトだろう。

気に食わない発言を娘がしたからと『お前が余計なこと言うからだ!』と土下座をさせて娘の頭を踏むとかアウトどころかもはやアウトローだ。

母が『どっちの服を着る?』と持ってきて、母の本意でない服の方を選んでしまっては、私は一日中責め立てられた。


虐待している自覚もないし。
同じことを隣人にやったら傷害事件だよ?ってのもわかっていない。
っていうか娘にやっても傷害事件なんだよ?


話が通じない親には『虐待はダメです!』と言っても理解ができないんですよね。

いきなりアフリカに行って現地民に日本語で『鶴の恩返し』を聞かせるのと同じです。




だったら、逆だ。

虐待されている側が『助けて!』を言いやすい世の中にするしかない。

◎日本人は防虐待訓練をやったことがない。



というか、そういえば学校では教わらなかったよね。
『お家のひとに叩かれたり、物を投げられたり、怒鳴られたり、お家の外に締め出されたりしたら、他の大人に助けを求めましょう』
とは言われなかったなぁ(言われた子もいたかもだけど)。

防災訓練はやったけど、防虐待訓練はやった記憶がない。

海外で『防虐待訓練がある』と聞いたことないけど、少なくとも『親がクレイジーね』とサラッと周りに話せるものだと聞いた。
アメリカなんかでは『うちの父が脱アルコール依存症プログラムのためにクリニックに通っているの』とか別に恥ずかしがるでもなくオープンに話すらしい。
そりゃあ、父は父の課題に取り組んでいるだけで、私の話をしているわけじゃない。
という理屈だとか。
日本の『恥文化』もそろそろ限界が来てはいないだろうか。



保健室登校もしたことはあるけれど、私は『教室にも行けず、家にもおれず、こんな座る場所をいただいてしまって…本当に申し訳ない。
ごめんなさい。
ごめんなさい。』
と謝っているだけだった。

いまでもやっぱり不登校や保健室登校(まだこの言い方するのかな?)はポジティブに捉えられないし、相談するったって相談しにくいし。

そもそも、自分が虐待されてるなんて思っていないから、
『私がもっとしっかりすればいいだけのこと…!頑張らないと!』
と拒食状態&人前で会話できない自分を情けなく思っていた。


◎虐待親ではなく、子供の方にアプローチ。

ガチの虐待親は『人間の心』を持っていない。
だから、『虐待はダメ!』が理解できない。


それならば子供に選択肢を与えたらどうだろう?

お家のひとが怖くてたまらなかったら、ここに来ていいよ?
っていう場所があったら必然的に虐待は減るんじゃないか?


子供側に家でもクラスでもない居場所があったら。

『それがふつーじゃん』って思える世の中。
いいと思う。

もちろんこれは❝虐待家庭❞についての話。
物理的接触も危険でしかないからだ。

学校の先生たちの数が足りない中、無理を承知で言ってみる。

行政は本当に学校の❝職員❞を増やせませんか?
教員でなくともできる仕事は事務員さんや用務員さんにおまかせしていいじゃないですか?
新しく雇用できませんか?
えいっ、こうなったら雇用問題も噛んでしまえ。
というか、スクールカウンセラーは何か事件が起きないとどうしても置けないのでしょうか?
何か事件が起きるたびに『〇〇学園はスクールカウンセラーを置き対応するとのことです』とニュースで聴くけれど、カウンセラーって常駐していないものなのでしょうか?

確保できませんか?

難しい話なんだろうなとはわかっているけど…。

何でも海外と比べるな!と言われるかもしれないけれど。

私は子供の頃に居場所が欲しかった。
もちろん、それが学校の図書室の隅でもよかった。
カウンセリングルームでもよかった。
もしかしたらお寺でもよかったかもしれないし、地域のじいちゃんたちの囲碁教室でもよかったかもしれない。

だとしたら、学校でなくてもいいか。

学校みたいな規模では無理なら、その役割を果たしてくれる地域の施設や団体にある程度お任せしていいと思う。
その代わり、しっかり金銭面のサポートは行政がやってほしい。
いや、国ができないのかな。
予算割いて。


もう、虐待について親の方にアプローチしていたら時間がない。
まだ若い子供の方に『助けてを言うのはダメなことじゃないよ!』『助けてを言うのは大切なことだよ!』って教えたほうが早い。


頑張らなくても、身も心も壊れるまで無理しなくても、私は『いていいよ?』って言われたかった。



虐待されたら❝助けて❞と言って。
怖いことされたら❝助けて❞と言って。

ここでの❝助けて❞は命を守る行動なんだから、堂々と助けを求めよう。


子供にも命を守る権利はある。


性善説を私も信じたい。

しかし、虐待に関して『親の性善説』に期待するのはあまりにも無謀だ。


◎イマドキは幼い子にも『性教育』をしようという流れだそうだが。

イマドキは幼い子にも『性教育』をしようという流れだそうだが、コレも噛み砕けば『ひどいことしないで!』『私は大切な存在なんだよ!』って言いましょうねと教えることのようだ。
『アナタは尊い』と子供に教えましょうということのようだ。
自分の性を守ることは命を守ることに通じる。

虐待から身を守ることも『ひどいことしないで!』の一環ではないか。

むしろこんなに当たり前のことを『当たり前じゃん』と思えていなかった自分が悲しい。



私は変なアラフォーかもしれないけど、『あのとき助けてって飛び出して良かったよ♪』と語り続ける。

『助けて』で人生は少しずつ開かれていく。
いや拓かれていく。

幼い頃の自分に似た子たちの背もたれになりながら、私はそんなことを考えているらしい。

まぁ、子供に直に話すと怖がらせちゃうから、『又聞き』くらいで子供の耳に入ればちょうどいいと思っている。



ーあの人、虐待されてたんだって。

ー親から夜逃げしたんだって。




うん、そうだよ〜ん。









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