一目見て分かるなら
昨日のこと。
朝起きて顔を洗いに行って自分の目を見てびっくり。
右目のまぶたがものすごく腫れてたんです😱💦
ものもらいなのか?
でも、まばたきしても、痛くはない。
とりあえず 洗眼液で洗って、目薬さして。
家族のところに行きました。
「うわっ すごい顔やな」と 夫の声。
「いや 顔全体じゃなくて、目元だけね。」と私(笑)
「大丈夫か?」
「んー、頭痛もあるから、アレルギーか何かかな?」
「とりあえず今日は 無理せんでゆっくりしとき」
「ではお言葉に甘えて家事をサボらせていただきます(笑)」
こんな会話で夫を見送ったのですが。
ふと思ったんですよね。
心も目に見えたら?どうなるだろう?
目に見えないからこそ大切だったりかけがえないモノだったりするんだけど
見えないことで、傷ついた部分を周囲に理解してもらえずに苦しんでいる人もたくさんいる。
今朝の私の腫れぼったいまぶたのように
心の痛々しい姿が一目見て分かれば
それに対して 冷ややかな言葉をかける人はきっとそんなにいなくて
逆に温かく優しい言葉をかける人が増えるだろうから
傷だらけの人の心も少しずつ癒えていくんじゃないかなぁ・・・。
なんてことを考えても。
どうやっても他人の心なんて見えるわけがない😅(笑)
だからこそ
幼い頃から溜め込んだ傷ついた心があるなら
素直に言ってみるのもありだと思うんです✨
自分という人間を他者に見せる時
心の傷が多ければ多い人ほど
隠したり着飾ったりしなければいけないと思ってしまうかもしれないんだけど
心の傷は見えないからこそ、言わなければ伝わらないし
勇気を出して言ってみれば、もしかしたら分かり合える人が見つかるかもしれない。
私は、傷ついた分
もし同じような傷ついた心の人を見かけたら
必要であれば、その傷のサイズに合う絆創膏を差し出せるような人でありたいんです。
自己満足と言われたらそうなのかもしれないけど
私の中にいる幼い頃の私はずっとこう思っていたんです。
あの時もし、誰か1人でも大丈夫?と声をかけてくれたら
どこかに逃げ場所があったら
ここまで紆余曲折しなくてすんだかもしれないって。
(今となってはその人生で良かったと思っています。当時の私は逃げ場が無くお先真っ暗でした)
だから、幼い時に押し込めた自分の気持ちで苦しめられている人が
たとえ現在 大人だとしても
誰かの大丈夫?の一言で、もしも救われるなら
声をかけられる人同士で声を掛け合えたらいいなと思っています。
まだ、記事にできていないのですが
先日聴きに行った発達障害についての講話で
発達障害であるないに関わらず、生きづらさを抱えた人にとって一番の薬は、「ヒトグスリ」人と関わることですと教わりました。
(この講演会のことはまた改めて書く予定です)
傷ついた心は、あたたかい人との関わりや言葉でいくらでも変われると言っていました。
だから少しでも。
目には見えない心について、お互い思いやりながらコミュニケーションをとっていくことが理想だし
生きづらさがある人が「私はこんな心の持ち主です」って言える環境が少しでもあってほしいと思います👍
でももし、人の傷つき具合が実際に透けて見えたりしたら
きっとたくさんの人が、思った以上に傷だらけの心なのかもしれない・・・😱💦
やっぱり見えないものは、意味があって見えないようにできてるんでしょうね。
見えないからこそ思いやりを忘れずにいたいです。
今日も読んでいただきありがとうございました。