思い出巡りと運命
出会いから17年。嬉し恥ずかしだけど、いつか子どもたちに見せたかった、私たちの思い出の場所。
2016年の夏休み、私達夫婦は、息子2人を連れて、思い出の場所、宮崎県を訪れた。
今は、奄美地方に住んでいるが、私の出身は鹿児島県の離島で、夫の出身は関西。でも、知り合ったのは宮崎だった。
旅行当日、息子達も、私達も ワクワクしながら飛行機で宮崎に移動し、レンタカーを借りて、1日中思い出の場所を巡った。
お父さんとお母さんが初めて出会ったバイト先。
お父さん、お母さんがそれぞれ一人暮らししていたアパート。
二人でよく歩いた、アパート近くの河川敷。
それぞれが卒業した大学。
お母さんが、お父さんと仲良くなりたくて、友達に頼んで一緒にお父さんを待ち伏せした場所まで(笑)
1箇所ずつ、子ども達に説明しながら、なぜかとても気持ちが落ち着いた。
17年も月日が流れたのに、変わったようで 変わっていない景色。
その景色を眺めながらこんなことも思った。
私が宮崎に進学したことも、親の厳しさが理由で
親戚の叔母がいるところに下宿というカタチでしか進学を許可してもらえなかったから、他の選択肢が無くて。
本当は、東京とか大阪とか、同級生の友達が盛り上がってるみたいに大都会に出てみたかった。
でも、もし、宮崎じゃなく東京や大阪に出ていたら、夫とは出会えてないし
下宿した叔母の家が、私が働くことになったアルバイト先のすぐそばでなければ、夫との出会いはあり得なかった。
もしこの人と出会ってなかったら・・・なんて運命的なことを考えながら(照)
付き合って間もない頃に撮った写真と同じ場所でもう一度撮影した。
せっかくだから手繋いで歩いたら?と子ども達に言われ、私達は17年前にタイムスリップすることができた。
夫婦の思い出がいっぱいつまった場所に、家族4人で来ることができたことが嬉しかったし
あの時、まだ若かった私達で、2人で将来のことなんかをあれこれ話しながら歩いた河川敷を、今は自分の子ども達が歩いているってことが、なんだか不思議で。
そしたら長男が一言。
「お母さんが何回フラれてもあきらめなかったから、僕達に出会えたんだね、お母さんグッジョブ」
あうあうあ・・・そうだよそうだよ。
お母さん、お父さんに2回もフラれたからね(恥)
最初、友達と待ち伏せしてた時なんて
勇気出して「同じバイト先の者ですけど、誰かわかりますか?よかったらお友達になってください!」って言って
「あー いいですよ」って返事してもらえたまでは良かったけど
お互いの名前をって話になって
お母さんが先にお父さんの名前を確認して(名札を見てたからだいたいわかってた)
「私の名前は・・・」って言いかけたら
「あ、そのうち分かるからいいですよ。じゃ。」って
お父さん、あっさり自転車で立ち去ったんだから!!!笑
その時 一緒に待ち伏せしてくれた友達に
「こりゃ完全に脈なしやわ。どんまい」って背中ポンポンされたんだからね。
今思えば、なんで2回もフラれてもあきらめきれなかったんだ。
お父さんの誕生日聞いたら、1月6日で
「わ~~~♪ 私1月7日です!!なんかすごいですね!!」って言ったら
「あと1日ずれてたら同じだからすごいんだけどね」って言われて
ちょっとでも運命とか思ってくれないわけねって、ズタボロだったし(恥)
会う約束すると必ずOKで、いっぱい話し相手してくれるもんだから、これはもういい感じかもしれないと、思い切って告白したら
「あ、それは無理です。」ってあっさり言われるし(大恥)
それでもあきらめなかった理由は
やっぱり あなた達2人に出逢いたかったからとしか思えない。(照)
この思い出巡りからまた3年たって
その間に私の病気やら、夫の仕事の転勤やら、一見ハプニングのような出来事がいろいろとあったのだけど
それもどれも、そうなる運命だったかのように
それらの出来事のおかげで、今はもう1人家族が増えた。
脳血管にクリップが止まっている私にとっては、出産はリスクありで
脳外科の無い離島での出産は不可能だったし
転勤が決まったおかげで、脳外科と連携のとれる病院で、無事に新しい家族を産むことができた。
これまでの人生、この可愛い3人に出会うために、いろいろあったのかなと思えば
どの出来事も恥じることなく、良い経験と言える。
次は、娘も連れて5人で行きたいな、思い出巡りツアー。
今日も読んでいただきありがとうございました。