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55歳で起業しました。②


私にとっての起業は、「フッ」っておりてきたものでした。
なんの準備もない私に、「やってみるの、みないの?」という問いかけ。

なんの勉強もしていなかったし、資金も無し。
あるのはこの笛と、声援と人のつながり。
そんな中、懸命に走り続けて10年。
2020年コロナの襲来を受けました。
その混沌とした時代もなんとか生き残り、今新たな課題に向かってます。

〈私が樹音というバトンを引き継いだわけ〉

夫は音楽大好きなフォークソング世代の人でした。
学生の頃からずっと歌っておりました。
そして、家族が暮らしていくために長野に移住して、始めた木のオカリナの制作にも力を入れておりました。

その笛を、制作しながら考えました。
楽器としてみなさんに喜んでいただくためには、進化が必要だと。
手直しができる自分のオリジナル笛が必要だと。

でも、基本の形を作るのにも、とても長い時間が必要でした。
試行錯誤を重ねていました。

その間にがんという病を得て闘病しながら音楽の仕事をしながら6年間。
笛の完成より先に、余命宣告を受けることとなりました。

その頃はちょっと珍しかった自宅での闘病。
仕事をしながらの闘病。
それは、家族と一緒にいるということの心の安定につながっていたようでした。
演奏活動も続けていました。

音楽を演奏し、お客様からいただく拍手が「生きる」というエネルギーになっていたのでしょう。
ドクターもその寿命に驚いておられました。

最期にむけて、心を整えていく姿を家族に見せてきました。
そして、なんとか完成にたどり着いた樹音。
多くの方々に手伝ってもらって、特許の申請も済ませました。
2010年3月のことです。

そして6月、完成させた笛を持ち、古巣の名古屋に程近い長久手市のホールで、大勢の人に見守られながらのコンサートを開催しました。
多くの人にお別れすることができました。

2010年8月26日の朝、自宅で家族に見守られながらそっと息を引き取りました。

その翌日、8月27日出棺の朝のことです。郵便物が届きました。
特許庁からの封筒です。
開封すると「森のオカリナ樹音」の商標が受理されたとの知らせ。
夫はこれを待っていたのです。
嬉しかったです。「とうちゃん、間に合ったね」と。

こんな経緯があって、私は娘たちと一緒に起業を決意したというわけなんです。
まるで樹音がバトンのように。


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